短編集
33. 回想「馬肉」 (1/1)


 久しぶりの街に降り立ち、私は特に感動もないまま二車線道路の歩道を歩いていた。久しぶりと言っても二、三ヶ月前までは毎日のように通っていた道と景色だし、何か大きな変化があるわけでもない。強いて言えば建設途中だったコンビニが堂々と街並みに馴染んでいる違和感くらいだ。
 大学生だった頃は、この道を歩いて大学へ向かっていた。雨の日も嵐の日も。台風が来ようが大雨で道路が冠水しようが、大学から「今日は全ての講義を休みにします」なんてことは言われなかった。むしろ大学からのメールはなかなかに無神経で、「天気が悪いので気を付けて登校して下さい」とだけ。何に気を付けろと言うんだ。飛んでくる看板か。荒れた風の中雨に顔を晒して曇る視界から飛んでくる看板を見つけようとしながら登校するより、家で外からの風圧に震えながらネットゲームをしていた方が何倍も安全だ。
 そんなこんなな思い出とも言えない記憶を思い出しながら歩いていた私の目に、とある居酒屋が目に入った。私自身は一度しか入ったことはないが、学生には人気の居酒屋の一つだ。
『馬肉はじめました』
 大きく癖のある、うねるような字が入り口のドアのガラス部分に貼ってある。大学周辺の居酒屋で馬肉があるのは珍しいことではない。というかこの居酒屋、今まで馬肉を扱っていなかったのか。
 馬肉、と私は呟く。美味しそうだとか、食べたいだとか、そういう感覚はない。あるのは懐かしさ。あとは寂しさだ。

***

 馬というと何をイメージするだろう。歴史ドラマの主人公が手綱を操りながら荒野を駆ける場面だろうか。何頭もの馬が騎手を背にレーンを駆け抜ける景色だろうか。
 私が思い出すのは、馬小屋だ。薄暗い風除け程度の小屋に、悠然と立つ馬の姿。そして、それに手を伸ばして体を叩きながら笑っている姉の姿だ。
 姉は大学で馬術部に入った。もともと牛や馬が好きで、進学先も獣医学系が良かったらしいのだが、学力が足りずそれは叶わなかった。けれど後々、姉は言った。
「獣医学系じゃなくてよかった。命を扱うのは難しい」
 姉の通う大学の馬術部は、多くが元競走馬らしい。競走馬として走れなくなった馬は、大学の馬術部などに世話をされる。けれど大学の厩舎で一生を終えることはあまりない。他の大学の馬術部に引っ越すこともあればアニマルセラピーに使われるといった他の道を歩むこともある。
 姉いわく、馬にもいろいろいるようで、性格の個体差が激しいのだそうだ。気性の荒い子に噛みつかれることもあれば、大人しい子に懐かれることもある。顔をみれば個体を識別できるらしい。私には模様や色に違いがないと全て同じに見えているのだが。
 姉には一頭、とても可愛がっている馬がいた。白い馬だったと思う。姉のいた馬術部では馬に対しておおよそ担当者が決まっていて、生き物が相手なこともありほぼ毎日厩舎に通っていた。お盆休みや正月に姉が帰ってくることはまずなかった。父や母は寂しがっていたが、姉が楽しそうならと口うるさく帰って来いとは言わなかった。
 姉は楽しそうだった。ある時見せてくれた馬術部で作ったTシャツには、部員が可愛らしくデザインした馬の顔が並んでいて、どれがどんな子かを一頭一頭詳しく説明してくれた。あの時ほど嬉しそうな姉は、実家暮らしをしていた頃には見たことがない。
 姉は楽しそうだった。私は馬が苦手なままだったけれど、馬と楽しげに話す姉のことは眩しく思っていた。

 姉は大学を卒業後実家に帰ってきた。驚いたことに、大学4年になって急に「地方公務員になる」と言い出し、滑り込むように地元の役所への就職を決めた。部活は卒業間際まで続けていたはずだから、勉強をする時間も限られていただろう。一度決めるととことん努力ができるあたり、努力が不得手な私には到底及ばない。
 そんな姉が就職して一年くらいが経った頃、家に遊びに来た母が、姉が最近大学に遊びに行ったことを教えてくれた。
「可愛がってた馬がね、馬肉にされるから最後に会って来たんだって」
 姉の馬術部にいる馬には、様々な道がある。どこかの牧場でのんびり過ごしたり、子供達を楽しませたり、食料になったりする。
 私は馬肉と聞くと、姉のいた厩舎を思い出す。そして、馬に触れて楽しげな姉の姿を、白い馬に顔を寄せている姉の背中を思い出すのだ。


▽解説

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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei