刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之零


 冬だ。
 空を見上げれば雲。それも空を覆い尽くす、分厚い雲。雨の日のそれよりは白い気がするものの、青空が見えないという点は変わりない。
 ほう、と息を吐き出し、視線を戻す。
 街。それも都会と呼ばれる賑わいを宿す、人口の多い巨大集落。長年の努力の重なりによって建築された高層建築物が延々と並び立っている。狭間には土瀝青によって舗装された道路、そして白の塗料による線に沿って衝突し合うことなく交差し擦れ違い進む車なる自律型機械、その群れ。その只中、それらを見下ろせる高さの屋上で梓丸は縁に座っていた。片足を下方へと放り出し、もう片足は短く畳み、の上に踝を乗せている。袴の下へと高所を吹く風が入り込んで来るのもまた一興。強風でも吹き付ければころりと転落するだろうか。
 ほう、と息を吐く。吐息とは異なる白煙がするりと立ち上り消えていく。鼻をつく独特の味気――地が燃えるとも肉が燃えるとも異なる、脳天を突き抜ける心地良さすらある酔いの気配。ふむ、と右手の指に挟み持った紙煙草を見下ろす。
「悪くないな。煙管とも違うようだし、何より手軽なのが良い」
 近年人の群れからまれつつあるこれを手にしているのは興味だ。人間が吸えぬというのなら神が消費してやろうというもの。こうして風通りの良い場所で一人嗜むならば他者への害にもならないだろう。
 美味――かどうかはわからないものの、暇潰しには丁度良い。
 眼下を再度眺める。屋根屋根の屋上に残る白色が輝かしい。溶け残った雪が、雲の向こうからの陽光を反射しているのだ。
 雪。
 冬。
――雪が降らない冬があったことを覚えているか」
 問う。傍らの人影は薄く笑うだけだ。とはいえ記憶はしているのだろう。此奴が忘れるわけもない。
「雪が降るほど低温にならなかったというわけではない。。秋が終わり、気温が下がり、草はびて木々は葉を落とした。そして――桜が咲いた」
 右手を宙へと差し出す。細い紫煙が大きく揺らぎながら地平を突き、梓丸の視界の中で遠方から立ち上る白煙に擬態する。
「桜だ」
 唱える。
「桜が芽吹いた。春の象徴たる桜が、早咲きのどの花よりも早く色を宿し、膨らみ、五片の花びらを広げた。冬に、夜に、一斉に咲いた。そして一斉に散らされた。十の鬼に、木の根ごと千切られ食われた」
 ――沈黙。
 口を閉ざし、そして差し出していた煙草をその口元へと運び、咥える。呼吸に紫煙が混じる。
 ふ、と吐き出した息は白い。
「……苦いな」
 この感嘆は何に対するものだったか。
「この時期になると思い出す。思い出したくもないが……忘れるわけにもいかない、そういう記憶だ。お前にとっては忘れるべき記憶なのかもしれないが」
 隣へと視線のみを動かす。やはり人影は何を言う素振りもない。
 無言、か。
 昔とはだいぶ異なってしまった。
 空を見上げる。手元から煙が上がっていく――それに光景が重なる。地平、煙る大地、月さえも失われた暗き夜空は赤く黒く、同じ色を灯しているはずの煙の発端がどこなのかも判断できない。
 
 
 
 臭いがしてくる。脳天へと溜まり、五感全てを掻き乱す悪臭。悲鳴、絶叫――歓喜の咆哮
「……天霧る雪のなべて降れれば、か」
 呟きは紫煙よりも早く、街へと消えていく。


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Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.


(c) 2014 Kei