刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之壱




 その話が聞こえてきたのは新年早々だった。
「数え歌?」
 梓丸の言葉に頷きながら、男は口端に煙草をえた。茶色の濾材が古風なその煙草は値が張る上味の持ちが悪く、今やこの男しか吸っていない。
「夜になると聞こえてくるそうだ」
「妖魔か」
「そう考えられている。先程緋鍔局から報告が上がって、調査を命じられた」
「名誉なことだな」
 ふふ、と軽く笑みつつ、梓丸は男の顔を覗き込む。
「退職前の大仕事というわけだ」
「退職とは言っても定年じゃない、腰抜けの自主退職だが」
「内臓に病があるのなら仕方がないだろう。人の命とは短く、そして人とは思い残しをしやすいもの。残りの人生をどう楽しむかはお前次第だ。死があちらから出向いてくれるというのであればこちらから歩み寄る必要はなし。悪い選択ではないだろう」
「そう言ってもらえると助かる」
 男は頷いた。
「同僚の中には『命捧げてこそ』な奴もいるからな」
「それもまた生き様の一つだ。どちらが良いと断じることはできない」
「神でもか」
「神だからだ。神とは人の願いや思いが形を成したもの、に人の願いや思いに先んじるは慎むべきだ」
「それっぽいことだ」
 男が笑う。無骨な男だったと記憶している。声は低めで、その実直な性格に似合う体格の良さが印象的だったような――その輪郭は朧、時々話した内容すら覚えていない。名は何だっただろうか。
「それで×××××」
 男の名を呼び、梓丸は姿勢を正した。とん、と指差した先には背の高い金網柵がある。緑に塗色された針金が組まれたそれは屋上を取り囲んでいるもので、そして梓丸達がいる場所は屋上の縁なのであった。
「これからどうすると?」
勿論、任務に向かうよ」
 胸元から取り出した携帯灰皿に煙草を押し入れつつ男は笑った。歯を見せる、けれど陽気さよりは物悲しさを思わせる笑み方だった。
「今?」
「今。……あー、煙草入んない。中身捨てないと」
「……ここから?」
「嫌な顔をしてくれるなよ。いつも通り抱えて跳んでやる」
「お前の扱いは雑なんだ、こう、首元を引っ掴んで屋根を駆けるだろう。バディを組みたくない刀遣いナンバーワンなんだぞお前」
 くい、と自らの後ろ首を差し、梓丸は眉をめて男を見遣る。
「こちらも人の姿を取っている以上急所は人と等しい、扱い方は考えろ。それに私達は神を名乗る者、故に神に相応しい扱いをされなければ気が済まない。我欲としても、神という言霊としてもな」
「言霊?」
「名は言わば短い呪文による召喚術だ。術と言うからには結果が出る。それがお前達による私達の扱い方であり私達自身の行いだ。お前だって符術を使って期待通りの結果が出なかったら不満になるだろう」
「ああ。峰柄衆に文句を言いに行く」
「それと同じだ。神と呼ぶからには神として扱え」
 言い切れば男は「はいはい」と返してくる。相変わらず緊張感の少ない刀遣いだ。
「んじゃ刀に成るか、梓の
「そうしよう。私は人型以外の姿になれないんだ、気道を塞がれるのはその後の行動に支障が出る。それから私は男だ、姫じゃない」
「男か女かじゃないさ、神か人間かって話だ。そうなんだろう? 神様」
 男は梓丸の頭へと手を置く。わしゃわしゃと力強く撫でてくるその手から逃れようと身をった。
「まあそうだが……ということはその呼ばれ方も間違ってはいないのか……」
「うんうんそうそうそゆこと」
った」
 頷く。よくは理解できなかったが、そういうことならば納得して問題ないだろう。
「――では」
 す、と梓丸は目を閉じる。息を吸う。ざわりと髪がき、服のが大きく揺れる。ぐるりと回る視界、溶ける皮膚、広がった全身が縮み、まり、潰れていく感覚。慣れ親しんだ異常はやがて一つの形へと収束する。
 ――小太刀。
 太刀と呼ばれるものよりは小さな、細身のそれを男が掴む。明らかに不釣り合いだ。大柄の男が扱うものではない。
『つくづく奇妙だな』
 刀の姿のままため息をつけば、声は風音のように空中へと広がり散っていく。直接耳に届いたわけではないそれを聞き取り、男は「そうだな」と素直に答えた。
「だが他にいなかった」
『他の刀神はお前と組むの全力で嫌がったからな……』
「むしろなぜ君は俺と組んでくれた?」
『決まっている』
 男が屋上の縁へと立つ。眼下には街。飛び降りれば命はないだろう高さの先にあるのは、硬い路面。
『一人はすぐに飽きる』
「俺は暇潰しか」
『当然』
「随分な神様だ、なッ!」
 踏み切り。
 男の体が宙へと飛び出す。支えのない胴体はすぐさま落下へと転じた。頭から転落、けれど建築物の側面を辿るような自然落下の中で男はくるりと回転し体勢を立て直す。そして、右手を懐に入れた。取り出したのは数枚の紙片――と呼ばれるものだ。
「よっと」
 ばらくように地へと投げ捨てる。紙片は鳥のように滑空していき、やがて紙とは思えない動きで地と水平になり、宙でぴたりと停止した。その上へと男は着地し、さらに蹴り出し次の符へと着地、それを繰り返していく。
『それ、先月の巨大妖魔を対処した時に配布された符じゃないか』
「空中浮遊都市のな。返却しろとは言われてない」
『まあそれもそうか』
 返せと言われていないのならば返さぬが道理だろう。その点は同意できる。
『補助としても悪くない』
「というと」
『私の異能はの性質だ。弓矢に縁があるからな。とは相生の関係にある。……五行くらい学んでいるだろう? 符術を学ぶ上で必須項目だぞ?』
 返事はなかった。まさかとは思うが、そういうことだろうか。
 何も言わずに地へと降りていく男へと梓丸はため息をついた。そもそもこうまでして屋上から飛び降りる理由もない、これはそういう男なのだ。煙と同様高所を好む者、鋏と同様扱い方次第だとわれる者。確かに飽きは来ないが文句の一つや二つは言いたくなる。
『全く』
 呆れた声で言ってみる。刀の姿でのそれは、この本心にはない不満を表現してくれているだろうか。


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Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.


(c) 2014 Kei