刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之弐


 刀遣いであり臨時の相方である某と共に向かったのは山深くの集落だった。乗合車停が点在するもその時刻表には数字が一つしか書かれていないような、そういった僻地である。乗合車がなくとも個々に小型の自家用車は持ち合わせており、広い田畑を行き来するのに苦労はしていないようだった。苦労するのはこちらである。妖魔というものは人を狙う、に人が多いところへ出没しやすい。ということはつまり、こういった場所へ赴く機会などそうそうないのであった。
「まあってたさ」
 ×××××が言う。
「当然の摂理だな」
 助手席で背もたれを大きく倒した梓丸も言う。
 ×××××が改めて両手で車の把手を握る。そして、息を鎮め、前方を睨み、肩の力を抜いて――一気に加速踏板を踏み込んだ。途端車輪が路面の上で勢いよく回転する轟音がけたたましく響く。が、窓の外の白い景色は変わりないままだ。
「あー」
 某が把手へ突っ伏す。
「スタックしたぁ。バックもできない……」
「チェーンは着けたんだがな」
「他にどうしろと……」
「自動車免許取得時に教わらなかったのか」
「南国出身だからな……口で話しはされたかもしれないが……山の中ってどれだけ積もってるのかとか、除雪がどれくらい入るものなのかとか、想定しきれなかった……」
「なら過剰に備えておくべきだったのでは」
「備えたさ、冬着とか長靴とか。でも車で行けないところがあるだなんて普通思わないだろう?」
「側溝に落ちるでもなく路上で動けなくなるとは話題性に事欠かないな」
「笑い話にする前提で話進めないでくれますか?」
 把手に俯せつつぎろりとんでくるその視線から逃げるように梓丸は窓の外を眺めた。銀世界とはこのことか、両脇の山肌といいその間に広がる田圃といい、全てが白いものに覆われている。かろうじて畔と水路が残っているから判るものの、これ以上積もったのなら道と田畑の境目すらわからなくなりそうだ。人気はない。そうだろう、冬の田畑に用がある人間はそうそういない。これでも積もっていない地域らしいのだから、北国はいかなる冬を迎えているのだろう。
「梓。何かこう、車を持ち上げるとかできないか」
「無理だな」
 きっぱりと言い放つ。
「的確な箇所に穴を開けて使用不可に追いやることはできるが」
「やめてください」
「そうか」
「残念そうな顔するなよ……」
 自分の特技が活かせないと判明したのなら、誰でも落ち込むのではなかろうか。
 とはいえここで冗談を言い合うほど暇ではない。用があるのはこの先なのだ。集落もそこにある、人の助けを呼ぼうにもまずは先へ進まなければ。
 車は動かない。人を呼ばねばならず、集落は更に先にある。
 となればできることは限られてくるだろう。
「……梓」
「早くしろ」
 数分待って、とばかりに煙草の箱を懐から取り出した某へと、梓丸は簡潔に答えたのだった。
 ――車が雪に嵌まってから暫く後。
 車から降り、二人は歩いて集落へ向かうことにした。時刻はまだ昼過ぎだが用心に越したことはない、と某は普段使いの量産型妖刀「豊和」を腰に提げている。背には食糧を詰め込んだ鞄――緊急事態を想定した時に一番に恐れるべきは生気不足だからと無理矢理背負わせた。梓丸はというと小太刀の姿になって豊和と共に提げられている。生気の消費量を考えて、というよりは面倒事を回避するためであった。
『天照の介入が著しい都会は刀遣いと刀神への理解がある。だがこういった場所ではそうもいかない。ただでさえ姿を変えられないんだ、妖怪だとか幽霊だとかと騒がれて任務が滞るのはとても厄介だ』
「経験者は語るってやつか」
『……幽霊ではないと証明するのが大変なんだ』
「梓の君はどこからどう見ても平安期の姫さんだからな」
『間違われないようにと髪の結び方を大正風にしたり袴にしたりしてるのに』
「努力幅が小さすぎる……しかも今大正時代じゃないから」
『じゃあパーマとか……ミニスカート……?』
「平安から現代までのジェネレーション突っ込んだファッションされたら突っ込みしかできなくなるからやめて」
 から見ればり言を言い続けている不審者だなとは一言も言わず、他愛ない話をしながら二人は――実際は某だけだが――雪の中を歩いた。当初「雪! ザクザクする! 膝下まで埋まった!」と興奮を隠し切れていなかった某も数分後には足を動かす疲労に顔をらせ、それでいて踏み締めた雪に滑らぬようにと全身を強張らせている。幸い天気は良かった。青空とは言えないものの、雨降る前とは異なる白い雲が広々と広がっているだけだ、山に積もる雪の白さと相まって天と地が接しているように見える。風は冷たいものの強くはない。
 斜面に沿うようにぐるりとうねった道を歩く。地図によればそろそろ家の一つは見えてくるはずなのだが――そう思いつつ道なりに歩いていたその時、急に視界が開けた。小高い山で見えなくなっていたその先が突如見えるようになったのだ。
 某の足が止まる。
「……え」
 絶句。それは某だけではなかった。
『……これは』
 梓丸もまた、言葉を失う。
 小太刀の姿でもわかる異変がそこにはあった。
 風が緩やかに吹いている。それは雪の上を走るにしては柔らかく暖かい。漂ってくるのは陽の光を受けた土の匂い――遠くで小鳥が鳴いている。軽やかなそれは眼前の景色に似合っていた。
 田園風景。
 割れのある路面の傍らで木製の家々が静かに佇む中、山肌にも川辺にも木々が立ち竦んでいる。ざらりとした木肌は黒く、折れ曲がりながら周囲へ枝を広げていた。もうすぐ花開くのであろう小さな芽吹きが枝の端々に窺える。暖かな陽射しが頭上から降っている感覚、知らず肩の力を抜き息を吐き出してしまいそうになる長閑さ。
 そこに白はない。雪は気配もない。
 冬が、ない。
 ――春だ。
 するりと某の腰から抜け、梓丸は姿を人型へと戻した。驚く某へと目を向けることなく周囲を見渡し、ぎ、全身の肌をそばたてる。
「……×××××」
 静かに名を呼ぶ。
「急ぎ戻れ。本部に連絡だ」
「突然どうした」
「空間ごとおかしい」
 背後を任せるように某へと背を寄せ、改めて周囲を見る。
「気温が違う、風向きも違う、湿度も大気圧も違う」
「そこまでわかるのか」
「何百年と一箇所にいれば大きな違いは判るようになる。お前達だって気圧の差で頭痛を起こすだろう。――これは固有結界の類いだ。それに」
 そっと顔を背後へ寄せる。応えて、某が腰の刀に手を添えながら耳を寄せてくる。
「聞こえるか」
 確認する。
「ああ」
 答えが返ってくる。張り詰めたそれとは違う音が二人の耳に届いている。
 それは、幼い子供の笑い声だった。
 ――ひとつ、わらしべ掴み上げ、
 ――天まで伸びよと笑う吾子
 ――ふたつ、揃いて皆歌えり、
 ――桜散りたる夜の風。
「……歌、か」
えるなよ」
 囁き声で言い交わす。
「あの手のものは。復唱もするな。居場所を知られて取り込まれる」
「……まずは連絡か」
「できるならな」
 車が止まったところはまだ大丈夫だろう、と梓丸は思考する。
 あの場所はまだ冬だった――否、正しく冬が訪れていた。あそこまで戻れたのなら、天照本部とも連絡が取れるはず。逆にここで連絡は取れないと見た方が良い。固有結界の内側となれば通信手段が効かなくなっている可能性がある、加えて異常の原因に盗聴されかねない、連絡は取るべきではないだろう。
 そっと顔を見合わせ、頷き合う。まずは固有結界からの離脱を図るべきだ。
 梓丸が小太刀へと戻る。某は散歩と言わんばかりの仕草で踵を返し、元来た道をゆっくりと戻り始める。背後への警戒は止めず、けれど殺気を隠して足を進める。
 ――案の定と言うべきか、目の前に再び雪道が現れることはなく、車のところへ辿り着くこともなかった。


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Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.


(c) 2014 Kei