刀神
怨念数ヘ歌之語リ 終




 雪が降っている。
 空を覆う白い雲、遥か遠くのそれからゆらゆらと揺らぎつつ白い綿が降っている。手元に落ちてきたそれのうち、幾つかが煙草の煙の中へと降り、白煙の中に溶けた。白の中に白が紛れ消えていく――その様子を横目に見つつ屋上の縁でため息をつく。
「……昔の話だ」
 指に挟み持った煙草を口元へと運ぶ。
「お前達人間にとってはなおさら、遠い過去の話だ。……自分の葬式に来ていただろう、ならお前が知りたがっていたことは既に見ていたはずだ」
 あの刀遣いの葬式には元妻とその子供も列席していた。天照の説明を聞くその顔も、彼は見ている。ならば今も顔を出してくる必要などないというのに。
「死者は天へ還る、それがこの世の理だ。未だ還らずというのはそろそろを受けるんじゃないのか。……お前の名を忘れても出来事そのものを忘れることができない私が、こうしてお前を呼び出し縛めているのかもしれないが」
 そばに立つ男は答えない。その手には煙草もない。沈黙ばかりが紫煙のように屋上に揺蕩っている。
「……しかし忘れろと言う方が無理のある案件だったぞ、あれは。知っているだろうがあの後酷く叱られたんだからな、異能を使ったことに対して。貴重な人材を一つ簡単に殺す異能だからと使用を禁じられてはいたものの……後悔はないと言ったら封印されかけた。そばで笑っていたの、気付いていたからな。……驚くな、当然だろう。あの後お前のデスクに隠されていた女優の写真集を皆にしたのはそれの腹いせだ。知らなかったのか?」
 再度煙草の端に口をつけかけ、けれどあることに気付いて大きく息を吐き出した。微かな煙を上げていたそれを傍らに置いた灰皿へと押しつける。
「何年経ってもこの煙草は変わらないな、味がすぐになくなる。知っているか? この銘柄、来月には廃番になる。お前が生きた証も順調に消えている。……あと、そうだな、去年話した連絡用携帯端末だがさらに機能が増えた。スマホだ、スマホ。スマートフォン。特にカメラ機能が凄い。夜間の被害の状況も明瞭に撮れるようにとされているらしいが、インカメラでもかなり綺麗な写真が撮れる。刀神の間で自撮りがさらに流行りそうだ」
 あの事件の時には連絡用携帯端末はなかった。それがあれば固有結界の中からでも本部に連絡が取れたかもしれない。が、当時なかったものは仕方がない。その分現在の妖魔退治が順調に進むことを喜ぶべきだ。
「……時代とは移り変わりを単位とするもの」
 全ては変化する。消え、変貌し、加えられ、発展し、別物が生じていく。そうでなければ時代が変わらない。
「それが理、そうであるべきことだ。死者なぞどこぞをのらりくらりと漂っていれば良い。あるだろう、魂だけが向かえる虚空が。あの世と呼ばれる無の世界が。そこに行け、私の知り合いもいる。いつまでも何かに固執していると妖魔になるぞ? 本当にそうかは知らないが。……だからそろそろ消えろ、もう顔を出しに来るな」
 灰皿を持ち上げ、立ち上がって街に背を向ける。そのまま振り返らずに屋内へと戻ろうとした。
 と、梓丸が向かう先で扉が開く。屋内から現れたのは顔見知りの職員だった。
「あ、本当にいた」
「何か用が?」
「メンテ、空きが出たので報告に。退治の直後なもんで、混んでたんですけどね。ただの定期メンテなら隙間時間にやれるって」
生憎鵺退治にはまともに参加しなかったからな。適当に声をかけ適当に街を歩いただけだ」
 職員の脇を通り抜け屋内へと向かいかける。しかし職員が「それにしても」と首を傾げて問うてきたので足を止めた。
「確か去年の今頃も屋上にいましたよね? その時も煙草を持ち出して……普段は吸わないのに」
「知り合いの命日だ」
「ああ、そういう……だから煙草の匂いも嗅ぎ慣れないやつなんですか。他の人達が吸ってるのと違いますよね、それ」
 ああ、と手にしていた箱を見遣る。あと数本しか残っていないそれは軽くひしゃげていた。
「古いからな。味もないしワンコインで買えないしと散々な評価だ」
「へえ。煙草には詳しくないですけど。……あれ、一人なんですか?」
 どういう意味かとその顔を見上げる。職員は過去を思い返すように顔をめてに手を当てた。
「さっき、誰かと話をしてませんでした? 話し声が聞こえていたような……り言です?」
 職員から目を離し、先程までいた屋上へと視線を向ける。そばに佇んでいた男の姿は既になかった。今年も終わった、ということだろう。
 来年は――来年にならないと判らない。これが最後の二人の時間だったかもしれないし、最後ではないのかもしれない。
 未来のことは判らない。
「……見えないのか?」
 す、と誰もいない屋上を指差す。
「いるぞ。女が一人」
「……え?」
 職員が改めて屋上を見る。見渡し、再度見渡し、そして嫌そうに顔を歪ませた。
「……えええ?」
「冗談だ」
「もう! やめて下さいよ!」
「はっはっは」
 笑い、背を向けて階段を降り始める。その後ろを職員が不満げな声を上げながらついてくる。
「その手の話は苦手か? ならとっておきの話をしよう。今でも妖魔の仕業だったのか不明なままの案件だ」
「やめて下さいったら!」
 懸命な叫び声に再度笑う。笑い声は階段に響き、幾重にも木霊し、消えていく。
 ――雪。
 雪が降る。全てを隠すように、覆うように、降り積もる。音を吸い、色を吸い――数え歌を消し、赤を消し。
 全てを白へと、無へと、作り上げる。
 冬。
 紫煙のように白く、線香のように白く、雪に紛れるほど白い吐息が零れる静かな季節。


 春はまだ遠い。


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「怨念数ヘ歌之語リ」終

▽解説

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Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.


(c) 2014 Kei