刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之拾参


 空が赤い。
 地も赤い。あちこちで炎が上がり、煙が上がり、けれどそのどれをも視認できないほどの赤の花吹雪が宙に渦巻いている。高らかな声で歌い上げられている数え歌がうるさい。悲鳴、咆哮、鼻先を刺す血臭。
「……×××××」
 呼吸すら苦しげなそれへと呟く。
「鬼の妖魔は、何体出た」
「……八は、いた」
 なぜそれをくのか、などとは言わず×××××は答える。
「うち三体を倒して……けど倒す前に集落から火が上がっていたから……もしかしたら、十くらい、出てきたのかもな」
「今更だがあれは妖魔と呼ぶには不完全だ」
 妖魔は「門」と呼ばれる空間の裂け目から現れる。だが鬼の妖魔は門ではなく地の底から湧き出てきた。であればあれは、天照が「妖魔」と称しているものではない。
「幻、か……?」
「その可能性が高い。異様に多かった桜の木、現実にはあり得ないこの赤い光景――この空間自体が妖魔に都合の良い空間へと置き換えられつつある、そんな気がする。であれば妖魔の都合良く現れた鬼の妖魔もまた幻だろう。妖魔が固有結界を張ったのは私達を捕らえるためだけではなく、自分に有利な場を作るためでもあったと言える。呪術由来の妖魔きだから歌の通りの見た目と数しか出せない。つまり鬼の妖魔は最大でも十体と考えられる」
 霊核の位置が判明している、図体ばかりが大きい四つ目の鬼の妖魔、それがおよそ十体。普段ならば問題ない数だが、頼りの刀遣いは戦闘不能、天照からの援護は未だなし。
 四方から気配がした。妖魔の気配だ。刀神と刀遣いにとどめを刺しに来たか。両方とも動くことすらままならない、このままでは抵抗することもできないまま殺される。
 目を閉じる。しばし黙考、そして。
 ――開眼。
「×××××」
 名を呼ぶ。あと何度呼べるかもわからないそれを、呼ぶ。
「お前に問う」
 腕に力を入れ、どうにか上体を起こして膝を曲げ、地面に座り込む。それでも腹の傷は痛み、数度咳き込む。
 けれど顔を上げる。口を開く。
「×××××」
 その名を呼ぶ。
――に主と呼ばれる覚悟はあるか」
 それは呼び方の話ではない。単純な話題展開でもない。情けでもない。
 梓丸という妖刀に主と呼ばれることは、大きな意味合いを持つ。
 彼は息を絶え絶えにしながらもこちらを見遣った。その顔は驚きを表している。
 その言葉の意味を理解し、その上で目を疑っている。
「……それは誰よりも、君自身が嫌がっていただろう。初めて顔を合わせた時から、お前を主とは決して呼ばない、と」
「私は神だ」
 断じる。
「私達は物に宿る付喪神、人を惑わし恐怖を与える妖と似た人ならざる不可解そのもの、刀に宿りし刀神。……天なる父と地なる母から産み落とされし高天原の神ではない。。神と呼ばれている。ならば私は神として振る舞う。それが私達だ、刀神だ」
 神と呼ぶ誰かがいるのなら。
 神と信じてくれる誰かがいるのなら。
「私は神として、お前の願いを叶える」
 例えそれが、己の望まぬ結末であったとしても。
 そちらへと手を伸ばす。目を閉じれば、慣れた違和感が体を包む。ぐるりと回る視界、溶ける皮膚、広がった全身が縮み、まり、潰れていく感覚。
 体が一振りの小太刀へと収束する。
 刀遣いの手が地面をるように移動し、そこに転がったを掴む。それが答えだった。
 結果だった。
『……言い残すことは』
「何も」
 地面に蹲ったまま小太刀を掴んだ男は掠れた声で言う。
「全てが上手く片付いたなら、それで。……ああ、けど、一つ」
 低く落ち着きのある声はその一言を静かに告げた。
「君の相方になれて良かった」
『……こう言う時は同僚や家族への言葉を残せ』
 言うも答えはない。もう声をり出すのも難しいのだろう。むしろこれほど長く話ができるとは思わなかった。
 沈黙、無の時がかに流れる。
――我は梓の木の精により形を与えられし太刀』
 唱える。
『弓ならず刀に変じ、敵ならず主を殺すしの刀』
 名を、名に通じる言の葉を。
『柄を持つ者の思うがままに敵を貫く、主の願を叶えし者』
 某がゆらりと動く。上から吊られるかのように立ち上がり、小太刀をから抜く。脇差ほどの長さしかないそれを正面に構える。取り囲んでくる鬼の妖魔、それらへと真っ直ぐに、けれどそのどれにも気を向けずに、佇む
『我が呪いを見よ、我が名を見よ。我は邪を滅す清き梓弓にしてただ一つえられし矢、全ての縁を断ち切りただ一つの結果を成す因果断絶の一矢なり!』
 刀を振り上げる。切先に桜の赤が照り、輝く。通常ならばそれほどの体力も何も残っていないはずのその行為を、梓丸の異能が可能にする。
 異能「必中如矢」――あらゆる可能性を否定し必ず敵を貫く至極の一撃。「相手の急所に中て、殺す」という結果を先に固定し、それに至る経緯の全てを覆し、無効化し、今目の前で実現させる未来予言の一太刀。
 これが、本来の梓丸の異能だ。
『我は太刀にして無銘、異能持ちたる妖刀、そして必殺の刀――刀神、名を梓丸!』
 ――赤く輝く小太刀を振り下ろす。斬撃の軌跡が宙に鋼色の弧を描く。
 手応え。
 硬いものへと刃が食い込む感触。咆哮が間近から上がった。鬼の妖魔のそれとは違う、人の声に似た悲鳴。周囲を取り囲んでいたはずの鬼の妖魔の気配は既にない。その攻撃の全てを掻い潜り、弾き飛ばし、あらゆる可能性を否定してこの結果へと辿り着いた。
『……なるほど、お前が』
 目の前に突如現れた――正しくは「その目の前へと瞬時に移動してみせた」相手を見据える。
 それは鬼の姿をしていなかった。一言で言うのなら、化け物。人の体を幾つも集めたような図体、個々に首を回し個々にきを口走っている数多の頭部、何かを求めるように宙を掻く腕。それらがぼとりぼとりと落ちてはくっつき、蠢いている。
 怨念の塊。
 シグルイと呼ばれる妖魔に似ている。拡散した妖魔の霊力が死した数多の人間を取り込み形を成したもの。
『陰陽の者が呪術を操る家系の者か、その類いを取り込んだか? 捉えた人間の知能を会得するとは聞いたことがないが、刀遣いをもみ込んだのか。上位種、変異種、あるいは……何であれお前はここで終わる。数え歌も絶える。諦めろ』
 ――助けてくれ。
 声が聞こえてくる。妖魔の体を形作る人間の死体が腕を伸ばしながら叫んでいる。
 助けてくれ、痛い、熱い、苦しい、死にたくない。
 殺さないで。
『……その訴えは無駄だ』
 死は確定した。この刀遣いが梓丸を手にした時に、全てが定まった。
『散れ』
 小太刀を大きく斬り上げる。既に霊核を貫いていた切先が天へと振り上げられる。
 一閃、両断。
 ――慟哭
 幾十人分もの断末魔が天へと突き上がる。山が揺れる。妖魔は大きく体を震わせ、幾つもの口から叫びを発し、そしてぼろりと欠けた。
 蠢く死体の山が片端から崩れ、壊れ、宙へと散り、消えていく。
 消滅。
 刀遣いが地面へと倒れ込む。糸が切れた操り人形のような動きのそれを傍らで見る。
 地へと伏した某の前で妖魔がほろほろと消えていく。吹雪く花の中へと溶けていく。
 静寂。
 まるで、雪降る夜に立ち尽くすような。
『……×××××』
 自らも力尽き、膝を落とす。傍らに倒れる相方へと声をかける。
 返事は、ない。
 当然だ、全ては――この男が梓丸を手にした時点で、定まった。
 梓丸の異能が定めるのは敵の死だけではない。「主殺し」の逸話、それによる効果としてもう一つ、覆せない死が決定する。
『……お前は』
 答えがないと知りながら、聞いてもいないと知りながら、呟く。
『……良い主だったよ』
 あるじ、と再度呟く。呼びかけの響きを含んだそれは誰の耳に届くこともない。
 俯く。拳を握り込む。背を丸め、地へと顔を伏せる。あるじ、と繰り返す。
 ――動かなくなった男とその傍らに落ちた割れかけの小太刀へと、白い雪が舞い降りていく。


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Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.


(c) 2014 Kei