刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之拾弐
声が、聞こえる。
笑い声だ。高らかに、楽しげに、愉快げに――哄笑を上げている。その声が歌を歌っている。繰り返し、繰り返し、同じ歌詞を歌っている。
〈壱ツ、わらしべ掴み上げ〉
〈天まで伸びよと笑ふ吾子〉
〈弐ツ、揃ひて皆歌へり〉
〈桜散りたる夜の風〉
薄っすらと目を開く。土の匂いがした。一瞬か、それ以上か、少しばかり意識を失っていたらしい。腕に力を入れ上体を起こそうとする。握り込んだ指に土が纏わりつく。
「……ッ、は、がはッ」
込み上げてきたものを一気に吐き出す。次いで咳き込む。鉄の味がした。直り切っていなかった傷が開いたか。頭が割れるように痛い。体は怠く、感覚すら曖昧になっている。力が入らない。
何が起こったのか判らなかった。何かが向かってきたのは見た。それによって吹き飛ばされたのだろうことは今なら想像がつく。全身を地面に叩きつけられたのだろう。途中、桜の幹にでもぶつかりへし折ったのかもしれない。どこに何をぶつけたのかも判らないほどに全身が痛みを発していた。
〈捌ツ、揃ひて皆歌へり〉
〈小倉に届かぬ神桜〉
歌は絶えない。
ぼたり、と何かが目の端で落ちる。何ともなしにそちらを見、そこに誰かが立っていることに気が付いた。人影が一つ、行く手を塞ぐように立っている。こちらを見下ろしているのかと思ったが、逆のようだ。背を向けてきている――否、あちらに向かって梓丸を庇うように立ち塞がっている。
ぼたり、と再び何かが落ちる。
赤。
血。
肉。
「×××××……!」
頭が瞬時に明瞭さを取り戻す。動きの悪い体に無理をさせ上体を起こし、そちらへと顔を上げ――言葉を失った。
人の形が桜色に縁取られている。後光が差しているかのようなそれの中央に、赤がある。
手を突っ込み、掴み、引き抜いたかのような赤い風穴が――空いている。
某がその場で膝をつく。手にしていた豊和がカラリと落ちる。疲れ切ったかのようなその動きの後、某は顔をあちらに向けたまま笑った。
「……無事か、と聞くのは無粋か」
「お前……何を、して」
「職場からの預かり物を、壊すわけにはいかないんでね」
「この程度で折れるわけがないだろう、私を見くびるな」
「その手の冗談はやめてくれ」
某は笑う。笑い声のような数え歌があちこちから鈴のように重なり響く中で、静かに笑う。
「あと一撃でも食らえば折れるんだろう、その傷」
「……騙されてはくれなかったか」
「これでも長いこと、刀神様方と一緒に戦ってきたからな。どのくらいの傷が、致命傷になるかくらい……判る」
声が掠れている。膝をつくその姿に覇気はなく、再度立ち上がれるとも思えない。その背を見つめる。見つめ、それしかできないまま、数度呼吸する。
歌の合間に別の声が聞こえてくる。悲鳴――悲鳴だ。人間の声、何かを恐れる甲高い警戒音、敵性体へ来るなと乞うている絶望の。
どうにか首を回してそちらを見る。住民が集められているはずの方向から煙が上がっていた。火だ。火が上がっている。そちらだけではなく集落全体に――それよりも広範囲に。鬼の妖魔が山を降りたのか、何かの拍子で生じた火が山を延焼しているのか。けれど炎そのものは見えない。周囲の桜の赤に紛れて炎の赤が霞んでいる。
――全てが赤かった。
宙に赤いものが散っている。雪のように舞うそれによって空中全てがその色に染まっていた。
桜。
桜の、花。
仄かに光り輝く薄桃色、それが幾万も散り、浮き、降り、舞い、見果てぬ先まで宙を染め上げている。幾重にも重なった桃色は濃さを増し、桜の花弁とは思い難いほどの赤色へと変じていた。空をも覆うほどの花吹雪――まるで赤い箱の中に閉じ込められたかのように、視界の隅から隅まで赤い。
炎。
花。
天。
地。
気付けば、視界はかなり開けていた。遠くの山すらも赤霧の中とはいえ輪郭が見えている。あれほど立ち並んでいた桜の木は一つもない。根だけが残っている。その切り口は歪で、大きな手でもぎ取られたかのよう。まるで綿毛を広げた綿帽子を千切り、息を吹きかけ遊ぶ稚児のように――桜の木々が引き千切られ、花は全て吹雪と化している。
胴を失った木の根に花弁が降り積もっている。何層も重なり合った仄かに輝くそれは、薄桃色を通り越して赤い。空と同じ、大気と同じ、赤。
人の腹から零れ地を濡らす、赤。
〈壱ツ、わらしべ掴み上げ〉
〈天まで伸びよと笑ふ吾子〉
〈弐ツ、揃ひて皆歌へり〉
〈桜散りたる夜の風〉
〈参ツ、天照る光の隠れなば〉
〈地覆ひぬる肆ツ目鬼〉
〈伍ツ、揃ひて皆歌へり〉
〈稚児の海咲く爪陸ツ〉
〈漆ツ、わらしべ掴み上げ〉
〈天をもくくれと笑ふ吾子〉
〈捌ツ、揃ひて皆歌へり〉
〈小倉に届かぬ神桜〉
〈舞へや歌へや、ひさかたの〉
〈天霧る桜のなべて降れれば〉
歌、が。
一から九を数え、そして。
十を意味する嘲りの和歌が。
――梅の花それとも見えずひさかたの
――天霧る雪のなべて降れれば
空を白くするほどに降り続ける一面の雪、その中で咲く梅の花が見分けられない、そう歌う古き短き歌、それを踏まえた予言の歌。
これが、十を数える歌詞。
全てを己の配下に置き、全てを桜の赤に染めた妖魔が完成させた数え歌。
「……なぜだ」
問う。問わずにはいられない。
「なぜ、私を囮にしなかった。あれの九を数える歌詞を聞いただろう。百に届かぬ、つまり九十九――九十九神、それが奴の狙いだ。長らく現存した物に宿る妖……私達刀神を奴は鏖殺しようとしている」
「修繕の技術が失われた妖刀を全て壊せば、刀遣いは皆、ただの人間になるからな。どこまでも……知恵の働く妖魔だ」
「なら私を囮に住民の元へ向かうのが筋だろう! 私ならそれを理解すると、その上で妖魔を足止めし力を削り、結界を弱らせるくらいはすると……その後本部からの援護を得て妖魔を改めて叩くのが良いと判らぬお前ではないだろうが!」
「言っただろう」
×××××が低く引きつった笑い声を上げる。
「物には思い出が宿る。それが大切だって奴もいる……簡単に、壊させるわけには、いかないんだよ」
訳がわからない。
否――理解している。
鬼の妖魔の数は多い。それを、梓丸を囮にした状態で住民を守りつつ倒すことは難しい。刀神なしでは刀遣いはただの人間、普通の人間よりも戦闘ができるだけのただの人間なのだ。耐え凌げるとも思えない、今から山を降りたところで間に合うとも思えない。良くて全滅、悪くて全滅。
ならば――刀神だけでも生かし、次の作戦を考える方が余程勝機がある。
この男は今より未来の可能性を選んだ。
「……すまんね」
両膝をつき、腕をつき、某が地面へ蹲る。地面は既に赤い。花弁の赤と某の赤が混じって、どれが何なのかも判らない。
「刀で、受け流すつもりが……腹で受けてしまって。何とか斬り返して倒せたんだが」
下手すぎるだろう、と普段なら言っていた。きっとこの男もそれを望んでいる。慣れ親しんだあの会話を望んでいる。だから、痛みに耐え、朦朧とする頭をどうにか保ち、危機感のない話を延々と続けている。
彼は、判っている。
――あいつらに誇れる最期でありたい。
あの願いが叶わないことを。
Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.
(c) 2014 Kei