刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之拾壱


 歌と笑い声を耳にしながら某と梓丸は夜の山を登り始めていた。周囲には桜が花開き、暗闇の中で薄桃色を灯らせている。こういった山に植えられているのは大抵杉の木だ、おそらくこの桜並木も幻覚――数え歌からして、妖魔の呪術が完成するための要素の一つ。相手の術中にいるのだという自覚が緊張を増幅させる。桜の花によって足元が照らされているのがせめてもの幸いか。
「……六までだな」
 某が言っているのは数え歌の話だ。先程から音量も変わらず聞こえてくるそれは、一から六までを繰り返し数えている。
「同じ呪文を繰り返すことでより強固な場を作り上げているんだろう。七以降がれば相手の次の手段も見当がつくかもしれないんだが」
「歌詞に意味があると?」
「歌詞でなくとも言葉には必ず意味があり、力が宿る。直接的な言葉ほど強い。月が綺麗だと抜かすよりも好きだと言う方が衝撃が大きいだろう?」
「偉大なる作家様を馬鹿にすると叩かれるぞ」
「その分バチを与えてやる」
「この神様怖いんですけど」
生憎罰を下す類いの妖力は持ち合わせていないがな。――言葉は具体的である方が効果が大きい。だが呪術となるとそうもいかない。直接的な言葉ということは誰が聞いても内容を理解できるからだ。これから起こそうとしている現象を全て先読みされていては永遠に優位に立てない」
 なるほどね、と一度足を止めて周囲を見遣りつつ某が相槌を打つ。
「嫌味ったらしい遠回しな言い方も時には必要、と」
「遠回しすぎると伝わらない場合があるが」
「特に梓の君には通じなそうだな」
「何を。私ほど冗談すらも扱える柔軟な刀神はいないぞ。――話を元に戻すが、例えば、数え歌に何度か出てきている言葉があるだろう」
 ――揃いて皆歌えり。
「あれはおそらく、鬼の妖魔への合図、召喚呪文だ。先程の襲撃で初めは二体、そして後に五体となった」
「なるほど」
「数え歌を読み解けば何かわかるかもしれない」
 既に妖魔の気配があるため、頭の中で歌を唱えても問題ないだろう。桜咲く斜面を登りつつ梓丸は数え歌を思い出す。
 ひとつ、わらしべ掴み上げ、天まで伸びよと笑う吾子
 ふたつ、揃いて皆歌えり、桜散りたる夜の風。
 ――わらしべ。
「わらしべと言えば?」
 問えば、望んだ答えはすぐに返ってきた。
「わらしべ長者だな」
 一本から物々交換を繰り返し、やがて屋敷を手に入れる男の話――今昔物語集や宇治拾遺物語に原話が認められる日本の御伽噺だ。
「わらしべ長者が最後に手に入れるのは屋敷――示唆しているのは己の縄張りのことか? ということは妖魔は結界を広げようとしている……いや」
 みっつ、天照る光の隠れなば、覆いぬるよつ目鬼。
「天、か」
 ――天まで伸びよ。
 ――天照る光の。
「この歌に出てくる『天』はおそらく対妖魔機関『天照』のことだ」
「俺達の職場か……なら俺達だけがこの固有結界に入れたのも頷ける。元々標的は天照職員だったんだな」
「数え歌の噂を流させ、天照に調査させる……こちらのやり方も見抜かれているな。まずは下調べが入り、その後討伐要員が派遣される」
緋鍔局が来た後に結界を張れば討伐要員を腹の中に閉じ込められる、か」
 巧妙な罠だ。天照の仕事の流れを熟知している。妖魔には知性を持つ者もいるにはいるが、まさかここまでとは。
 悔しいが今の今まで妖魔の思う通りに事が運んでいるのは事実。早いところ突破口を見つけたい。
「一についてはつまり、自らの『縄張り』もしくは『攻撃』を『天照』へ向けようということだな。二はさっき言った通り、鬼の妖魔の召喚呪文だ。桜、夜、風、この三つに関してはまだ不明だが」
「夜桜を咲かせて目を楽しませようってわけじゃないだろうからな。三と四は前に聞いた通り、天照の手が届かなくなった三日間とその後現れた四つ目の妖魔……」
 で、と某は足を止めた。周囲には相変わらずの桜の木――そして見上げた先には星のない夜空。斜面はなく、足場は水平。小高い山の頂上、集落を見下ろせる平坦な地へ着いたのだ。
「五は妖魔の数、六は子供殺し……なんだよな?」
 いつつ、揃いて皆歌えり、稚児の咲く爪むっつ。
「六の歌の表記が正しくないのは隠蔽だろうな」
 某の顔に浮かんでいる疑問へと答え、梓丸は小さく頷く。
「ワタは腸――内臓を意味するものだったが、実際の歌では『海』が使われていた。『咲く』もまた同音異義語の『裂く』、『海に咲く』では不可解だが『を裂く』となれば意味が通じる。気付くのが遅ければあの子供達が標的だと判らず死なせていた。海としたのは六の大字がだからか」
「言葉遊びだなあ……」
「こちらを嘲笑っているんだろう」
 妖魔の正体は依然不明なままだ。だが判ってきたことはある。精神干渉をする妖魔であること、天照の職員を標的にしていること、天照の仕事の流れを把握していること、そして。
 ――天照へ嘲笑と執着を向けてきていること。
 光る桜の中で二人、背を向かい合わせて立つ。今のところ異変はない。変わらず歌と笑い声が聞こえてくるだけだ。けれどこのまま時が経つわけはない、何か起こるはずだ。
 何か。
 何か。

〈弐ツ、揃ひて皆歌へり〉
〈桜散りたる夜の風〉

 あはははは、ははははは。

〈参ツ、天照る光の隠れなば〉
〈地覆ひぬる肆ツ目鬼〉

 あはははははははははははは。

〈伍ツ、揃ひて皆歌へり〉
〈稚児の海咲く爪陸ツ〉
ツ、わらしべ掴み上げ〉

 ――息を呑む。

〈天をもくくれと笑ふ吾子〉

 七。
 七を数える歌が、今。
 天――『天照』を、捕らえよと。
「梓!」
 声と同時にそれに気付く。視界の隅、春の夜にしっとりと濡れた土――そこから這い出てくる上体、それについた腕が振りかざされている。
 長い爪が桜の色に照る。

ツ、揃ひて皆歌へり〉

 八を数える笑い声が聞こえてくる。揃いて皆歌えり――例の鬼の妖魔の襲来を意味する歌詞だ。
「ッ!」
 地を蹴り距離を置こうとする。八の歌詞がそれなら、妖魔が八体現れる可能性がある。一度に相手できる数ではない。態勢を立て直し相方と連携、すぐさま手近なところから斬って倒さなければ。住民が身を潜める家屋には隠蔽の符を使っているものの永続効果があるわけではなかった。八体を、符術の力が切れる前に倒さなければいけない。時間はかけられないのだ。
 しかし。
 蹴り出そうとした足が止まる。何かが足首を掴んでいた。何か――見ずともわかる。手だ。鬼の妖魔の、手。
 歌に呼ばれて次々と現れ始めているのだ。
 ぐ、と足が地面に固定される。逃げられない。
「梓!」
 途端、声。名を呼んできただけのそれと共に足下へ斬撃が加えられる。ばら、と妖魔の手が砕けた。すぐさま後退、梓丸のいた場所に某が滑り込み妖魔の腕を斬り落とす。
「×××××!」
 声を張り上げる。
「各個撃破、時間を稼げ! ここまで術が完成しかけているなら術者の位置を割り出すこともできなくはない! 一気に大元を叩く!」
「了解!」
 豊和を構え某が勇ましく答える。その背に確かな実力を見、ならばと異能を発動しつつ周囲へと目を走らせた。ここは高所、結界内部を一望できる。某に防戦を頼むことになるが耐えてくれると信じよう。術者である妖魔の位置さえ判れば――その急所の位置さえ判れば現状は打破できる。
 そう、思っていた。
 そのはずだった。

〈漆ツ、わらしべ掴み上げ〉
〈天をもくくれと笑ふ吾子〉
〈捌ツ、揃ひて皆歌へり〉

 歌が笑っている。

小倉に届かぬ神桜〉

 ――九つ目の、歌詞。
 これが九を数える歌詞なのか。けれど小倉、神、桜――どこにも九という数字はない。鬼の妖魔を呼び出す歌詞と同等の何かか。けれどここに来て変則的な呪文が組み込まれるのは奇妙だ。完成間近の呪術が不安定になる。
 九番目の歌詞。九の含まれない歌詞。神、桜。
 小倉。
「小倉……」
 これもまた隠されているのだ。『わらしべ』と同様、『海』と同様、本来の意味を隠している。
 小倉。
 小倉、百人一首。
 それに届かぬ、神。百に届かぬ神。
 ――九十九神。
「まさか……!」
 瞬間。
 視界の隅で何かか飛び出してきた。それを視認するより先に、それが迫り、眼前に接し、そして。
 目の前が、頭の中が、全てが。
 桜の花のように淡く色付き、染まり、やがて――赤へと転じていく。


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Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.


(c) 2014 Kei