さらしの廻祈譚
02. 理に叛するモノ (1/1)
一歩、大きく強く踏み込んだ。
「ッはあああああ!」
気迫、地を強く蹴り出す。体が浮く。人の身ではなし得ない、助走なしの滞空そして旋回――腰を捻るその動きの中で、荻の右手に苦無が生じた。手品でもない、錯覚でもない、文字通り宙から掴み取り出すが如く”生じた”ものだ。
横回転の勢いに腕を合わせる。大きく振りかぶり、手の中の刃物を眼下の敵へと突き刺そうとする。
敵――そう呼称しても差し障りのないそれは、言うならば化け物だ。皮膚はなく、肉は黒く形を失い、どろりと地へ溶け込んでいる。この場所が荒れ野でなければ植物が枯れていたかもしれない、そう予感させる禍々しさを宿す暗黒色。頭部はあるが目玉はない。口はあるが顎はない。腕は太く足は太く、しかし関節はない。
〈鬼〉。
「人ならざるモノ」という意味で、荻達はそれらをそう呼ぶ。その中でも殊更に手がかかるのが、この〈叛鬼〉だ。見つけ次第倒さなくてはいけない。
「――ッ!」
全身で飛び込むように〈叛鬼〉へと飛びかかり、刃を突き立てる。ぐちゃりと皮膚のない肉に苦無が難なく突き刺さる。手応えがない。それでも荻は素手で〈叛鬼〉の肉を掴んだ。やはり、ぐちゃりという手応えのなさ。肉を掴み上げられているというのに〈叛鬼〉が悲鳴を上げることもない。
当然だ。彼らには痛みを感じるすべがない。必要もない。
痛みなど邪魔なだけだ。
〈叛鬼〉の腕が上へと伸びる。伸縮自在なそれが邪魔なものを摘み取ろうと荻へ迫る。チッ、と舌打ちをした。
刃先が奥に届かない。目的のものはかなり深い場所にあるようだ。
「由人!」
叫べば、応えるように幾本もの糸が飛来してくる。蜘蛛の糸のようなそれは意思あるかのように〈叛鬼〉へとまとわりつき、絡み付き、その四肢を封じ込め蝕んだ。その糸に絡め取られたのは〈叛鬼〉だけではない。
ぐ、と無理矢理に腕を引く。糸が腕に引っかかり、食い込み、動きを阻害する。
「荻!」
荻ごと〈叛鬼〉を絡め取った糸の先、束を手にした青年が叫ぶ。
「行けるか!」
「行くしか、ないでしょ……!」
〈叛鬼〉が蠢く。危機を察してもがき、足掻き、拘束から逃れようとする。由人の糸は生半可だ、荻をも巻き込んだそれは少しの腕力で解けるだろう。そうでなければ荻の体が〈叛鬼〉へと溶け沈み、融合していた。糸とは縁だ、二つ以上のものを結び、溶かし、一つにする。由人の糸にはその力がある。由人はあえて、その効果を弱めているのだ。
〈叛鬼〉の動きを封じているうちに事を成さなければいけない。
「……【分け身たる我が命に応え】」
呟く。途端、ふわりと耳元に風が生じる。苦無を突き刺した〈叛鬼〉の体へと腕ごとずぶずぶと沈む。糸の効果もあって足元すらも沈んでいく。このまま全身が沈めば、〈叛鬼〉に自らが溶け込み融合するだろう。
――それで良い。
その方がこの状況を突破しやすい。
「【吹けよ、吹けよ、さざなみの歌。繋げよ、繋げよ、絶えぬ乙女の祈りの声】」
沼に沈む心地の足元に浮力が生じる。膝上までが沈んだその全身に風が吹く。
体の内側から、風が吹く。
「【この身に宿りし王の欠片、この身に宿りし憎悪の欠片。応え、応え、全てを廃し全てを消し去る暴れ鳥。増えよ、増えよ、全てを壊し全てを嘆く山を統べしモノ】」
苦無を逆手で両手で持ち、糸の拘束に抗いつつ頭上に掲げる。詠唱を進めるたびに全身に風が渦巻いていた。それはそよ風から一律の風となり、暴風となり、竜巻と化す。沈んだ下半身にも風が吹き、〈叛鬼〉の体をこじ開けていく。
咆哮。
〈叛鬼〉が吠える。体に穴が空いていく事実に危機を知り、その先にある絶望を叫ぶ。
「【我は”オギ”の子、王の欠片】!」
咆哮にも暴風にも負けない大声で唱える。
「【応え羽、応え翼――我に仇成す者を切り裂き廃せよ】!」
途端。
ブオッと突風が荻を包んだ。荻の体を中心に渦巻いたそれは瞬発的に発され、瞬く間に〈叛鬼〉の肉体全てを粉微塵にする。咆哮が宙へと消えていく。
圧倒的な力。
それでも砕け散ることなく残るものがあった。
黒い肉を失った〈叛鬼〉のいた場所にポウと光るものが浮いている。丸い、手のひらに乗るほどの玉だった。
魂、と言われれば信じてしまいそうな、光る玉だ。
「たあああああッ!」
それへと間髪入れず荻は落下する。頭上に掲げた苦無の切先を、全身の落下と共に玉へと叩き付ける。
瞬間。
パリン、と薄いガラスが割れる音がした。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei