短編集
1. 君の真顔は美しい (1/1)
彼女は真顔が美しい。
私がそのことに気付いたのは、彼女と出会ってしばらくしてからだった。
「橋本さん」
彼女は私へとそう呼びかける。
「桜、綺麗だね」
そう言われて初めて、私は彼女の周囲に舞い落ちる大量の花びらに気付いた。まるで降り積もる雪のように、それは淡い色を一つ一つに宿したままハラハラと降り続けている。
これが全て花びらだなんて、この並木の木一本一本に歩み寄って枝の先へ目を凝らさないと気付かない。小さくて、少しだけツンとした花の香りを纏っている、穏やかであたたかな晴天下に降ってくる春の雪。公園内を縦断している石畳の両脇を埋め尽くすたくさんの木の幹は節張っていて無骨で、その枝の先にこの色をわさわさと宿しているとわかってはいても、小さくて淡いこの花びらとはまるで釣り合わない。地面に這うように咲き乱れる花を思わせる薄桃色のそれは、きっと空の上に広がる空色の庭で咲いていたものが降ってきているのだ。
澄み渡った空色の天上に咲き乱れる薄桃色の花畑。ひゅうと風が吹いて、そこから花びらばかりを吹き上げて、地上へと降らせている。
空から訪れたそれが目で追えないほどに降り続ける中、石畳に佇んで空を――もしくは空から降ってきている優しい色の花びら達を――見上げながら、彼女は宙へ手を伸ばした。手のひらで雨を受けるように、緩やかに脱力した手を差し出して、その指先を伸ばす。薄い盃を思わせるそれへ、春色の雨水がふわりふうわりとうねりながら落ちてくる。
まるで一枚の絵画を見ている気分だった。無骨な石畳が真っ直ぐに伸びていて、その両脇は無骨な木の幹がひしめいていて、まるで中世の城の前を思わせるそこに、無骨な騎士を従えるように彼女は佇んでいる。紺色のセーラー服が黒ずんで見えるほどに、普段は目を引くくらい目立つ襟元の赤いラインが見えないほどに、そこには一筋の白い陽光が差し込んでいた。プリーツの入ったスカートは広がりを抑えながらも彼女の膝頭を隠しはせず、風に広がる長い黒髪は見えない誰かが見えない指で掬い落としたかのように髪の毛一本一本が視認できるほどさらりと広がって、彼女のスッと伸びた首筋を白く素朴に見せつけてくる。光に透かすと茶色くも見える澄んだ黒の両目は空を見上げていて、その視線の先で傷跡も歪みもない人形然とした手が盃のようにして宙に差し出され、彼女に応えるように花片がひとつ、揺らめきながら着地していた。
きっとこれは一枚絵なのだ、と私は思う。有名な画家が描いた、桜並木の中に佇む少女の絵。私はその中に紛れ込んでしまったのだ。否、これは夢かもしれない。これは私が眠りながら見ている夢で、彼女は実在しなくて、私が見ているこの光景すらも非現実で。
そんなことを考えていた私へと、絵画の中の少女は目を向けてきた。桜色を映しこんだ虹彩が、絶えなく降り注ぐ花びらを受け入れた池の水面を思わせる。
「橋本さん」
彼女が私の名を呼ぶ。水面に陽光が乗り、さざめきの上でキラキラと光る。
「綺麗だね」
そう言って彼女は目を細めた。微かに水面が歪み、桜色の差し込みの角度が変わる。先程までと同じ色味の違う煌めきが、彼女の目に宿る。宙へと吹き上げられたしゃぼん玉の表面のようだ。くるりくるりと色が揺れては捻れて、消えては現れて、そのどれもが見惚れるほどに幻想的で。
「うん」
だから私は答えた。
「綺麗だよ」
主語のない、断定的な答え。それが私の本心だ。
私の答えに彼女はきょとんと目を瞬かせた。そして、
「ふふっ」
小さく――笑った。
盃状にして宙に伸ばしていた手を軽く丸めて口元に当て、微かに両肩を竦めて、彼女は笑った。花びらを浮かべる水面を思わせた眼差しは消えて、無骨な戦士達を従える女神のような気高さも消えて、そこにはただ一人の女の子がいるだけになった。
「そうだね」
彼女は笑った。笑って、くるりと私に向き直りながら腰の後ろに両手を回して、軽く腰を屈めて私の顔を覗き込んだ。髪が、スカートが、ふわりと広がる。
「えへへ」
緩やかに眦を下げた黒い両目が、宙を舞う桜色を反射する。頰が綻び、ニイと照れたように唇が横に引き伸ばされる。その笑顔へ、私はいつの間にか目を細めて頰を緩めている。
――彼女は真顔が美しい。その横顔が私を見て笑みに歪んだ時、美しさは失せて、代わりに彼女の中の可愛らしい大輪花がふうわりと花弁を開くのだ。
解説
2020年04月11日作成
pixivの公式コンテストに出したお話。SMILEBLOOMというコンテストでした。桜とか笑顔とかをキーワードにしたやつ。ちなみにこの作品のタグには「笑顔」「桜」「春」を入れていましたね。特に賞とかはなかったんですが抽選でアマゾンギフト券当たってもらえました。全体で2020人に当たるってあるけど全体で何人応募してたんだろう。メモですけど、閲覧数44のブックマーク1いいね0でしたありがとうございました。
当時はまだ小説書くの全然できなくて、リハビリって感じでしたね。綺麗な女の人が無邪気に笑う顔が好きです。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei