短編集
1. HEARTLESS (1/9)


この作品はアナログハック・オープンリソースを使用しています
あらすじ

西暦2072年。人間型ロボットhIEが街を闊歩する世界のうち、日本の佐渡島はhIE製造工場地として利用されていた。記者の内村は米国から左遷された少年技術者カールトンを取材するため島を訪れる。hIE嫌いのカールトンの家にはしかし、彼に拾われ修理されたhIEアイリスがいた。状況を理解できないまま、内村は一方的に取材期間を決められてしまう。取材を進めるため工場へ同行した内村に、カールトンは姉がhIEを人として愛し周囲から反対され自殺したことを告白する。機械は人間然としてはいけないのだと訴えるカールトン。帰宅時にhIE排斥派に襲撃されアイリスが撃退するも、帰宅後再び襲撃される。「hIEという間違いを世界に叩きつけろ」という命令に従い、暴力によって相討ちで場を制圧したアイリス。その欠け落ちた腕を抱いてカールトンは慟哭するのだった。後日カールトンは自殺し、事件の始終を書いた内村の記事は人気を博す。

 この世界には人の形をした機械が生きている。
『間もなく両津港に到着いたします』
 機械音声が朗々と船内に響く。数ヶ所のスピーカーから聞こえてくるそれと共に、壁に貼られたモニターの中で女性がニコリと笑って片手を広げ、背後の画像を指し示す。大海原、その先に見える岩盤の露出した小高い山。それが山頂の割れた特徴的な地形を映し出す前に、内村はリュックを片手で背負って船内を歩き出していた。他の乗客も次々に船を降りる準備を開始している。至って普通の、大型船の中のひとときがここにある。
「あら、ごめんなさいね」
 老婆が通路でよろりとよろめいて近くの客へとぶつかった。それを見てそばにいた男性が老婆へ手を差し伸べる。その頭部には木の葉型の髪飾りが左右に一つずつ、蛍光色を放ちながら佇んでいた。彼らが彼らたる理由そのものだ。
 つと目を細めて、内村は老婆達の横をすり抜ける。普段ならば人間とhIEのやり取りなぞ記事のネタになるような展開になるかもしれないと意気込んで様子を観察していただろうが、今の内村には彼らへの興味は一切湧いてこなかった。軽く跳ねて背中に負ったリュックを背負い直す。早くこの、足元がふわふわと傾ぐ場所から降りてしまいたい。
 船を降りた先で、長い通路を他の乗客と連れ立って歩く。見遣ればその半数は頭に木の葉型の髪飾りを二つ、つけているのだった。それもそうだろう、この島に用があるのは親戚の墓が未だに残っている人間か、高齢化しつつある彼らに墓の管理を委託された人間型ロボット――hIEくらいなものだ。
 自動改札の二つのボックスの間を抜ける。広いロビーを通って外へと向かう。ロビーに並んだ椅子に座って来客を持ち焦がれているような、百年前の光景は当然ここにはない。
 他の乗客達と共に外へと出る。錆びた軒に、やはり錆びた鉄柱。自動販売機があったのだろう地面は四角い錆色に汚れている。人間が行き来していた頃は重宝されていた、コンビニすら一件しかなかったこの島村の名残だ。
 顔を上げる。佐渡汽船両津港のエントランス――広い路面には大きく円を描くように白線が引かれ、そこが乗車用ロータリーであることを強調している。その線に沿って走ってきたタクシーへと手を上げ、ブレーキ音もなく停まったそれの後部座席へと乗り込む。
「とりあえず真野工場まで」
 言えば、音声を認識した前方のパネルが目的地までの道筋を青く輝かせた。「発進します」と男性音声が穏やかに告げる。
 座席の背もたれ胸元から紙煙草を取り出し、一本引き抜いて口に咥える。専用の発火装置をその先端に近付ければ、すぐさま煙草の先に赤い光が灯った。非煙型非含ニコチン煙草というのは約十年前、西暦2061年に開発されたものだ。それまでは発がん性物質を撒き散らす害悪嗜好品として社会的に批判を浴びていた。煙草業界がどうにか高度AIを駆使して開発したのが、この先端が赤く灯るだけの煙草だった。白煙のように水蒸気が出るだけで、依存性はない。時代劇業界が導入し始めたのをきっかけに昭和期愛好家――昭和という時代に代表される、人間の手だけが世界を切り開いていた古臭い時代を愛好する人々の総称だ――に広がり、爆発的に理解され人気を博した。その一件もあって、AIというものは社会に利あるものとして馴染み始めようとしていた。
 ――その僅か二年後に〝ハザード〟が起こらなければ。
 いや、と内村はハンドルもなく運転者のいない運転席を見遣る。
 AIは受け入れられつつある。あのハザードが起こった後も、AIによる技術開発は進んでいる。何よりハザードからの復興に超高度AI《たかちほ》が関わり、復興方法を国へ提示し続けた。人間達は超高度AIなしには何も開発できない段階にまで来ているのだ。
 技術進歩の頂点、人間進化の絶頂――人間科学の限界。
 窓の外を見つめる。整備され亀裂一つない路面の両脇に、空の半分を覆うほどの高さを持つ四角い建築物が所狭しと立ち並んでいる。平野を挟むようにあるはずの山は全く見えなかった。
「……変わっちまったなあ」
 親父がこの世界を見たらどう思うだろうか、と内村は思う。父が生まれた時代はまだAIは大したものではなかった。将棋やチェスは得意でも、人間の問いかけに選択肢を提示できるほどにはなっていなかった。まだ人間自身が選択肢を考え出す時代だった。だからと言うと妙だろうか、父は自分で考え、延命を拒む選択をした。煙草とアルコールによって酷く衰えた体を機械に置き換えようとはしなかった。内村には理解ができない。体の中身を取り換えれば生き延びられるのなら、難しく考えずそうすれば良かったのにと思う。
 けれど今は父のような人間すら見ない。病死する人間は著しく減少した。煙草もアルコールも無害なものに置換された。都市の空気は清浄に保たれ、公害は発生しない。
 父の生きた世界はここにはない。
 ふと体が横に揺れる。工場敷地内へと入ろうとしているらしい。早く椅子に座って煙草を吸いたいがために適当に目的地の近くを指定していただけだったのだ、数十分は見込んでいたが意外と近かったらしい。
「あ、ストップストップ。住所言うわ、住所。そこ行って」
 ポケットから端末を取り出し、数度指を滑らせる。現れたのはとある会社の社員データだった。右上に正面顔の少年の写真が浮き出ている。凛々しいとも言えそうなほど鋭利なそれを一瞥した後、その下に書かれていた文面を読み上げた。
『目的地修正完了、発進します』
 車が道を曲がり、山間地へと分け入っていく。

***

 手入れのされた小綺麗な山間地だった。木々は皆太さが同じほどで、整然と並んでいる。植樹されたものなのだろう。背の低い雑草がその間の地面を埋め尽くしている。日の光の入りにくいそこを、タクシーは進んでいく。路面もまた整っていた。山奥という人間に縁のないはずの場所を通っている道にしては、人の出入りを想定されている。その理由を内村は知っている。
 人間が一人、ここに住んでいるからだ。
 ふと、ひらけた場所に出る。木々のない、広大な土地がそこにあった。草木の代わりに建築物が佇んでいる。洋館――一言で言うならばそうだろう。赤茶のレンガを積んだ外壁、その奥の前庭にはバラが咲き、そしてそのさらに奥に人間用の扉がある。破風に蔦のような紋様、両開きの窓は黒い格子を嵌め、前庭の花々が華やかさを演出している。日本の離島、その山奥には相応しくない家がそこにはあった。
 タクシーを降り、門の前に立つ。感知センサーが動作し、外壁に張り付けられた小さなモニターが映像を映し出した。
『……わざわざここまで来るとは。物好きか?』
 画面の奥で少年が眉を顰める。先程端末で確認した顔写真と同一の、しかしそれよりは些か大人びた人物だ。笑みを想定させない険しい顔つきは重要職務に就いている軍人を思わせる。怪訝な顔ではありながらもその顔立ちが整っていることは見て取れた。白人の血を思わせる白い肌に透き通るようなブロンドヘア、その下から覗く冷ややかな灰眼は片方しかなく、もう片方は眼帯に隠されている。全体的に色素の薄い彼が身に着けているのは黒いスーツ調の服だった。胸元のブローチが禍々しい赤を放っている。
「やぁっほぉ!」
 両手を振りながら内村は画面へと顔を近付けた。
「早速ご本人登場かあ! 実物も美人だねえ、少年期の理想そのもの! あとで写真撮らせてよ」
『……誰だ』
「嫌だなあお忘れ? 人間の目で世界を見つめる超人気雑誌『ヒューマンズアイ』記者の内村ミノルっすよお」
『……忘れるも何も記憶にない。ふざけるなら本土のそういった場所でやってくれ』
 不機嫌極まりない様子で少年は眉を思いきりしかめて手をかざそうとした。通信を切ろうとしているのだ。慌てて内村はわたわたと両手を動かした。
「いやちょっと待って待ってごめんてグレン君!」
『初対面の相手をファーストネームで呼ぶな』
「十七歳なんて高校生じゃん? ノリの良い冗談言えば和むかなあって……あっ待って待ってってば切らないで!」
 ガッとモニターを両手で掴んで顔を近付ける。鼻先がモニターに接触する。
「冗談冗談、今までのは悪いジョークでした! お仕事の依頼です!」
『断る』
「と言われると思って、もう君の会社に許可取っちゃった。君の前の会社と今の会社両方に。今のご時世、hIEの評判を上げる記事は社会情勢を大きく左右する重要項目だからね、ちゃちゃっと許可もらえちゃいました。一社員でしかない君に拒否権はないよ」
『……なら初めからそう言え』
 チッ、と可愛げのない舌打ちをした後、少年はふわりと宙に手を伸ばして横にスライドさせた。と当時に門がズズズと開いていく。
『早く入れ。ここは本土と違って治安が悪い。僕にはあんた以外を入れる気はない。もたもたしていると門に挟んで事故死させるぞ』
「ういーっす」
 すすっと門の間を通り抜ける。意図的に挟んだ場合おそらくは殺人罪相当だと思うのだが、殺されたくはないので黙っておく。
 背後で門が閉じていく重々しい音を聞きながら、前庭のレンガ道を歩き出す。一歩進むごとに、見上げるほど大きな洋館が近付いてくる錯覚。
「……グレン・カールトン」
 そっと呟く。睨み付けるように洋館を――そのどこかにいる屋敷の主を、見つめる。
「あれが、世紀の天才少年――だったお子様、か」
 ふと前方を見、玄関前に佇む一人の少女の姿に気付いた。側頭部に木の葉型の髪飾り――hIEだ。東洋風の顔立ち、肩を覆う茶髪、機械的な繊維の存在を見せつけてくる薄桃色の虹彩。その見た目の大人しさのためか、質素な白いワンピースに首元の銀のネックレスという簡素な格好がよく似合う。
「ようこそ、内村様」
 背筋を伸ばしたまま腰を曲げて礼をし、彼女は玲瓏な声で続けた。
「オーナーの命により案内を仰せつかりました。どうぞ、中へ。なお、許可のない場所への立ち入りはご遠慮ください」
「そんな不躾なことはしねえよ」
「お気を悪くさせてしまったのなら申し訳ございません。前もってご忠告申し上げよとの命ですので」
 顔を上げ、微笑みを保ったまま彼女は玄関の扉を開いた。促されるまま、中へと入る。豪奢なシャンデリアが頭上から光を降らせる広い空間が目の前に現れる。一般家庭の居間くらいはあるだろう。天井は吹き抜け、床には毛の長い深紅の絨毯。
「豪邸だな」
「全てオーナーの設計です」
「hIEの設計だけじゃなく建築設計もできるのか」
「設計という分野における両者に差異はさほどありません。どちらも物、機能を理解し負荷を計算し役割を配慮すればあとは線を引くだけです」
「俺にゃあわからん感覚だな」
 hIEの後に続いて、内村は歩き出す。床に敷かれた絨毯のおかげで足音は一切しない。平らなものの上を歩いている気もしない。まだ水上にいるかのような不安定さが、未だ三半規管に残っている。本当に陸を歩いているのだろうか。



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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei