短編集
1. HEARTLESS (2/9)


「こちらです」
 大きな扉の前で立ち止まり、hIEが言う。そして扉をノックし「お連れいたしました」と声をかけた。「入れ」と傲慢な命令がくぐもって聞こえてくる。人間相手ならば相手を怒らせかねない傲然とした様子だが、hIEはやはり何を思う様子もなく扉の取っ手へと手をかけた。
「記者なら用があるのは工場の方だろう」
 内村が立ち入って早々に聞いたのは不満そうな声だった。部屋の中央に置かれたソファで、先程モニター越しに見た少年がふんぞり返って肘掛けに肘をついている。立ち上がって来客を歓迎する様子はない。
「なぜここに来た?」
「もちろん、君に用があって」
 失礼、と一言声をかけて内村は向かいのソファの横にリュックを置いた。座面に座り、その沈みすぎない柔らかさを堪能するように数度身を揺らす。
「良いソファだ」
「ソファの良し悪しを口にする程度には良いソファに座る機会が多かったと?」
「それなりにね。いろんな政治家にも会って来たし、高級ホテルに潜り込んだし」
「『ヒューマンズアイ』の得意分野は不倫現場だからな」
 カールトンが嘲笑うように目を細めてくる。「知ってんじゃん」と言えば「有名な戯言だ」と返された。
「悪いがここに政治家はいない、高級ホテルもない」
「俺はあっちの担当じゃねえよ、安心しろ」
 hIEがテーブルの上にカップを二つ置く。すまんね、と言いながら内村は手元に置かれたそれを持ち上げた。紅茶の香りが上品に鼻先へと立ち上ってくる。
「良い茶だ」
「あんたの目的は僕か」
 単刀直入な問いに、内村はしかしゆったりと紅茶を楽しみ続ける。一口飲んでからカップを置き、ソファの背に寄り掛かった。
「話が早すぎて駄目だね、カールトンさん。相手を焦らして自分のペースに持ち込むのが商談ってもんよ?」
「これは商談じゃない、成立内容の説明だ。僕にイエス以外を言う権利はない。――僕をネタに記事を書くつもりだろう? 本国から島流しされたhIE技術者の末路として」
「そんなに素っ気ないんじゃあ読者は増えんよ。もっと面白い風にしなきゃ」
 くるり、と内村は己の頭を指差し円を描く。側頭部で行われたそれは「頭を使え」という意味だった。無論、カールトンもそれを読み取り睨み付けてくる。それへとニイと笑ってみせた。
「ハザード以降hIE大量生産の場となった離島で一人暮らす米国の天才少年、その生活の始終。――ハザード以降世論はhIE増加への懸念を反映している。とはいえ俺達はもうhIEなしに生きていけなくなっている。俺達は便利を捨てられない。コンビニエンスストアの重労働と電力浪費が問題視された後も、結局はAIの導入という形でコンビニというシステムは保たれることになった。結論、俺達はhIEを拒めず、どうにか自分を納得させてhIEを受け入れるしかない。そういうもんだ、俺達は」
「そうだな」
 カールトンが背筋を正して両手の指を組む。
「hIE工場が置かれるようになった佐渡は未来への布石だ。ハザード以降、人々はAIによる社会統制を恐れるようになった。当然だ、2063年のハザードは超高度AI《ありあけ》が超効率的に人類を選別し人類の未来を切り開いたのだから」
 ハザードという言葉に特定の事象は含まれない。災害という意味しかその単語は持ち合わせていない。けれど2063年の第二次関東震災を契機に、人々の歴史に「ハザード」という単語が固有の意味を含んで君臨した。
 震災後、選択肢の提示だけではなくその判断すらも委ねられた《ありあけ》は、人間存続のために行動を開始した。その結果、人々に暴動を起こさせ餓死させ、救うべき人間の数を減らすことで復興の道のりを見出した。人間ならばやりようもない、機械的で効率的な復興の仕方だった。きっとそれは間違ってはいない。大昔の農村でも、収穫物が少ない年は老人や子供といった弱者を切り捨てることで農村が保持された。けれどそれは大勢の前で行ってはいけない方法だったのだ。
「ハザードは日本軍による《ありあけ》爆破によって終結した。人間の知を超えた超高度AIへの恐怖が人々には植え付けられた。それを踏まえて作られたのが、この佐渡島hIE製造工場集合地だ。仮にhIEが人類を脅かすことになっても、この島そのものを破壊し沈めればhIEが増産されることはない。この考えは昨年のリスボン会議を経て他律型hIEが生産されるようになった今も続き、こうして自律型hIE製造ラインを転用した他律型hIE製造工場が稼働している」
「ま、仮に破壊したところで被害がゼロになるわけじゃない。そもそもhIEと超高度AIは別物、そこらを歩く人形でハザードは起きようがない。無駄な懸念なんだけどねえ」
「けれどここが”AIは人間が支配している”という示しになる。平穏の象徴になる。この島をピックアップし肯定するような記事を書くことで、人々のhIEへの恐怖を麻痺させることができる」
「そういうこと」
 ピッと内村は人差し指を立てた。
「hIEを人間の味方であり人間を支える便利道具だと印象付けて、hIEの評価を上げ、hIEの社会浸透を増進させる」
「そして僕の会社……hIE製造会社は利益を得る。あんたの取材を断るわけがない」
 なるほどね、とカールトンは大きく肩を上下させた。呆れている様子だった。そして、その右目をそっと細めて視線を泳がせる。
「……世論操作か」
「大昔から世界中がメディアを通して使ってきた小技だよ」
「薄汚い手法だな」
「けど確実な方法だ。誰だって無駄な戦いは避けたいもんだし、どの時代にも隠すべき事実はある」
「否定はしないが」
 何かを思い出すような顔をしながらカールトンは立ち上がった。彼の眼前に置かれていたカップには、口のつけられていない紅茶が湯気を失ったまま残っている。
「飲まねえの?」
 何ともなしに聞けば、途端に彼の表情は強張った。それは拒絶を表していた。そして、思い出したくもないことを思い出した時の恐怖も孕んでいた。
「……飲むわけがないだろう」
 声が硬い。
「誰が、こんなもの」
 歯を剥き出しにしてカールトンは唸った。その背後には紅茶を淹れたhIEが無表情で佇んでいる。
 いつも微笑むように設計されているはずのhIEの無表情に、それへ目を向けず憎悪を膨らませるカールトンに、内村は浅く息を吐く。歪な化け物が目の前にいるかのような錯覚。得体の知れない物がそこにいる恐怖。
 微笑みのない人形、金属の塊へ怒りを抱く人間。
 奇妙な光景。
「今日は気分が悪い。明日からあんたに付き合ってやる」
 言い捨て、カールトンは部屋を出て行こうとする。その背へ無表情のままのhIEが、一時代前のロボット人形のように口だけを動かす。
「定時連絡です。全工場稼働中、異常なし。お部屋にてお風呂が沸いています。オーナーのお部屋の空調機の修理が完了いたしまし」
 ――途端、テーブルの上に残っていたカップが取り上げられた。
 止める間もなかった。
「黙れ!」
 怒声、液体が物にかかる音。茶髪へ茶色の液体が伝う。
 カールトンが紅茶をhIEへとぶちまけていた。
「僕をオーナーと呼ぶな!」
 カールトンの手からカップが投げ捨てられる。絨毯の上に空になったカップが跳ねる。
「おい!」
 立ち上がり声を上げる内村へ、カールトンはギロリと強い視線を向けてくる。片目だけだというのに身が竦んで動けなくなりそうだ。そっと息を吐き出して、その息に乗せて声を出す。
「……落ち着けよ。こいつが何したって言うんだ。人間じゃないったってやって良いことに限度はあるだろ」
「うるさい」
「カールトン」
 名を呼ぶ。取材が始まったら一番に聞こうと思っていた問いを、口に出す。
「……君にとってhIEは何だ」
 カールトンは薄く笑った。笑ったと表現して良いのかわからない、口の端を僅かに上げただけの変化だった。泣き出しそうにも見え、挑発してきているようにも見える、感情の読み取れない顔だった。
「勝手に動くアダルトビデオ」
 簡素に答え、カールトンは背を向ける。落ちたカップも濡れたhIEも立ち竦む内村も置いて、その背は部屋を出ていった。



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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei