短編集
1. HEARTLESS (3/9)


「本日はこちらでお休みください」
 廊下で立ち止まり、hIEが一部屋を手で指し示す。拭いたとはいえ、その髪の毛先はしっとりと濡れたままだ。そっと目を逸らし、内村はぼそりと呟く。
「……悪かった」
「と申されますと?」
「俺が余計なことを言ったせいじゃん。いくら錆止め加工されてるったって……」
「いつものことです、お気になさらず」
「いつも?」
 目を向けた先でhIEは微笑んでいた。カールトンの前では一切見せない、hIEの標準の表情だった。知らずほっと息をつく。無表情というのはどうにも警戒心が先立ってしまう。人の基本は無表情だというのに、微笑みがないと怖くなってしまうのだから奇妙なものだ。
「オーナーはhIEがお嫌いですから」
「それは何となくわかってた。話も聞いてたし。だからこそ、ここに来た。hIE嫌いのhIE技術者なんて面白そうだったからさ。正直、hIEの君がこの家にいたことに一番驚いてる」
 ちらと来た道を見遣る。既に見えるはずもない先程の部屋を思い出す。
「……グレン・カールトンは何でhIE技術者をやってんだ? それも、天才的だったんだろ。今世界各地を歩いてるhIE本体とその製造ラインはあいつが設計したって」
「その点に関しては少ししかお話できません。オーナーに口外を禁止されていますので」
「用心深いっつーか先読みされてて悔しいってーか……じゃあ何について聞けるわけ?」
「私ができる限りをお聞かせできますよ」
 にこりとhIEは笑みを深めた。どうやらあの堅物から詳細を聞き出すのは困難に近い、まずは下調べとして彼女から事情を聞き出しておくか。
 彼女にいざなわれ、部屋の中へと入る。来客用にしては広すぎる部屋だった。寝台はもちろん、ソファとテーブル、テレビ、奥には風呂場もある。人嫌いでもありそうなあの少年がこの洋館を設計したのなら、これほど立派な部屋は必要ないようにも思えるのだが。
「このお屋敷はオーナーがご家族のために考案されたものです。本来は本国に建設される予定でした。出向を機にオーナーがここへ建設をされたのです」
 問いを口にした途端、hIEは答えを発した。
「家族、ね」
「ご存じですか?」
「もちろん調べてある」
 リュックを床に置き、ソファへと腰かける。hIEが向かいのソファの横へと立った。見上げる形で視線を合わせる。薄桃色の虹彩はぴくりとも動かない。
「カールトンは米国では有名な技術者一家だ。両親共にAI研究に携わっている上、その長男もhIE製造の第一人者。長女――あいつの姉だけが、そっちの分野じゃなかった。が、両親が築いた財産の多くを引き継ぐことができる立ち位置にあった。財産もだが本人もなかなかの美貌で、婚姻を望む輩は多かったらしい」
 だが、とポケットから出した煙草に火をつける。煙草の先端が赤く灯る。煙を吐き出せば、それは宙へと広がって消えていった。
「死んだ。……自殺の線が強い。良いとこのお嬢さんがどうして死んだ?」
「その詳細について私からお話することはできません」
「ちぇ。じゃあ別の……ああ、そうだ」
 右手で煙草を摘み、口から離した。手元から煙が立ち上る。それがちょうど、立ったままのhIEの姿を薄っすらと隠していく。
「君の名前は?」
「《アイリス》と名付けられています」
「オーケー、アイリス。あいつは……グレン・カールトンはなぜhIEを嫌っている?」
「お話できません」
「んじゃあの目はどうした。病気だとしても今の医療技術で十分治せるだろ」
「お話できません」
「女の好みは」
「お話できません」
「好きな食い物」
「お話できません」
 にこりと可愛らしく笑んでアイリスはそう言った。拒絶に不快感を付随させないための表情だ、知っている。hIEは外見を人に似せて作られている上、現在流通し始めている他律型は何をどうすれば人の感情がどう動くかという心理学的データもクラウドに共有し、それを元に行動している。脳髄が外部サーバーに置かれているのだ、そこにアクセスすることでhIE達は皆同一のデータを元に人間らしく人間に嫌われない行動を取る。嫌われないどころか人間の思考を誘導することだってある。笑顔を向けられれば気持ちが明るくなるし、人助けをしている場面に出くわせば手伝おうかという気になる。そうして人間達はメディアを通すよりも本能的に統制される。アナログハック――人型をした物体による人間行動の誘発。
 今のところ彼女の動作によって思考が変わったという体感はない。アナログハックは受けていないようだ。そこに安堵しつつ、内村はソファに背を預けて思いきり頭を掻く。
「だーっ、これも駄目か。じゃあ何を聞き出せば……」
 思った以上にアイリスから聞き出せる情報が少ない。グレン・カールトンは身の上話をする気もさせる気もないのだろう。好き好んで武勇伝を語るような性格ではないことはわかっていたが、これほどとは。
「じゃあ君のことを聞こう、うん、そうしよう。カールトンの方は……まあ何とかなるだろ」
 煙草を再度咥え、空いた手で胸元から端末を取り出し、内村は端末内部のアプリケーションを起動した。音声録音をオンにする。画面に入力音声の大きさを示す棒グラフが上下にふわふわと動き始める。
「改めて……君の名前は?」
「《アイリス》です」
「君のオーナーは?」
「いません」
「え?」
「現在オーナー契約を行っている方はいません」
 内村がアイリスを見つめる。その視線の先で、アイリスは困ったように眉をハの字にした。
「……登録上はオーナーの会社の所有なのですが」
「けど、あいつのことオーナーって」
「名を呼ぶなと言われていますので、他に呼称が思い付きませんでした」
「なるほど……じゃあ何でここに?」
「拾っていただきました」
 アイリスは微笑んだまま胸元へと手を当てて目を伏せた。そこに大切な何かがあるとでも言うような、人間が懐かしく嬉しい思い出を語る時の仕草だった。
「廃棄されていた私を直してくださったのです。私にはそれ以前のデータがなく、帰る場所を持ちません。なので私はあの方のおそばに控えさせていただいております」
「よく許可してもらえたな」
「駄目だとは言われませんでした。勝手にしろ、と」
 へえ、と内村は眉を顰める。
 聞く限りでは良い美談だ。壊れ切ったhIEを拾って直して、使える状態にした。hIEはそれ以降オーナーではない相手をオーナーと呼んで世話をしている。良い美談だ。
 一点を除いて。
「……カールトンはhIEが嫌いなんじゃねえのかよ」
 ぼそりと呟く。煙草を咥えながら発したそれは、大した声にもならずにくぐもり、白い煙と共に宙に消えていく。
「じゃあなんでアイリスを直した? hIEはそこらの物よりも厳重に管理されてる。使いようによっちゃあ危険だからだ。持ち主のいないhIEって時点でかなり怪しい。それをわかってないあいつでもないだろ。危険だとわかっていて、心底嫌いな物をわざわざ拾って、直して、そばに置くことを許可したと?」
 アイリスは答えない。答えを持ち合わせていないようだ。ふうん、と鼻でため息をつき、内村は端末をタップして録音を終えた。画面の中の棒グラフがピタリと停止する。長さの異なる棒が乱立したその画面を、見つめる。
 憎み嘲るような顔でhIEを罵倒した少年を、思い出す。
「……こりゃ思ったより興味深い御仁だね」



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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei