短編集
45. TwitterSS 6編 (1/1)


【蜂の巣】



玄関先に小さな蜂の巣ができておりまして
目に刺さるほどの鮮やかな色味の蜂が
こちらなぞには目もくれず
いそいそと前脚を動かしているその背中を
台所の母を見るように
居間の父を見るように
ここ数日眺めていたのですが、
今朝方見たら業者の方が来たらしく
彼らの姿も巣もなくなっておりまして
仕方がないと言い聞かせる今の我が胸中にございます


解説

2021年09月11日作成

 日記。こちらは全然被害なかったんだけど放置しておくわけにもいかなくて駆除してもらいました。悲しい。彼らが蜂ではなく私達が人間ではなく彼らの巣が私達の住まいになかったら、駆除してもらう必要はなかったんだけど。あの後巣があった近くの地面に蜂の死体が二つ落ちていました。アスファルトの上だったからなかなか消えず、蟻も来ず。自然にも還れないのほんと、ごめんというか申し訳ないというか、寂しいというか…うん。
 覚えておこうと思って小説という形にしました。たぶんスズメバチでした。


***


【無題】



幼い頃は読書の代わりとして
世界が見えてきた頃には命綱として
同胞とネットで話す頃には交流の手段として
小説を書いてきたけれど
褒めてもらいたいからでもなく
読んで欲しいからでもなく
人工呼吸器に頼るかのように
呼吸の一部として書いてきて
そこまでして生きていたいわけでもないと
気付いた時の
小説というものの無価値さに、
褒めや報いや共感を求めている
純粋無垢な人よりも
再起の難しさを知るのです。


解説

2021年09月25日作成

 悲鳴内包型不穏文章。小説書く意義がなくなったなあという感想です。メンタル崩壊を防ぐための命綱だったけど長生きしたいとは思っていないし、誰かと仲良くしたくて書いてるわけでもないし、褒めて欲しいから書いているわけでもないし。小説書くのやめようかな、というあれ。やめても良いんだけど小説を書く以上の手軽な暇つぶしが他にないので続けると思います。ゲームは充電とか飽きとかあるし何をするにしても体起こさなきゃいけないから姿勢がつらいし。なんか、その程度です。全然焦りもないしやる気もない。人生つまらんなあ。


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【籠鳥】



 口に出してはいけない本音というものがある。それは例えば人間関係を悪化させるものであり、例えば不特定の誰かを傷付け不快にさせるものであり、例えば社会的常識に反する不可解なものである。
 けれど人は言う。本音を言えない環境は良くないのだと。本音を隠すのは友情に反するのだと。
 であればこの思いは許されるのだろうか。口に出して、それで気持ちが楽になるとして、この思いは馬鹿にされやしないだろうか。否定されやしないだろうか。傲慢だ、自慢だ、煽りだ、異常だ、非人間的だ、そんなふうに言われやしないだろうか。
 例えば長寿に絶望しか見出せない悲観。
 例えば運と才能の良さを示す事実報告。
 例えば健康よりも享楽を優先する怠惰。
 例えば自死が不可能に近いという悲嘆。
 口に出した瞬間、忌避され、軽蔑され、嫉妬され、糾弾される思いの数々。
 気兼ねのない環境が幸福だというのなら、私の中で無呼吸を続けている陰鬱の鳥が閉塞から解放されることはないのだろう。


解説

2021年09月25日作成

 表に出してなかったやつ。書き捨てというやつです。ただの心情吐露。言いたいことを言わないようにするのは苦しいねえ。小説という形で解消してきていたんだけどどうにも誤魔化しにしかならなくて。不満を表に出さずに生きていくやり方が本当にわからない。皆どうやって生きているんですか? 私には全然わかりません。訊ねても「我慢する」としか言われない。我慢にも限界があるのに。本当にわからない。人間難しい。人間辞めたい。


***

【秋涙】



 はらりともみぢが落ちまして、私は足元を眺めました。常日頃歩きます散歩道はいつの間にやら赤く焼けた葉を多々と敷き詰めておりまして、一歩踏み出せば足裏が秋の音を奏でます。くしゃり、くしゃり、その音は水を含み湿気ていて、涙を踏み締めるかの如き悲しい音に、私は一歩をも動かせなくなりまして、仕方なしに首をグウと反らして上を見上げました。そこでは薄い白雲が筋を伸ばしていて、青の空を広く隠してしまっておりました。
 ハテ、空もまた、涙を流しておられるのでしょうか。雲が気を利かせて隠しておられるのでしょうか。
 少々羨ましく思いつつ目を閉じれば、サアと冷えた風が私の目元を拭ってくれました。


解説

2021年10月10日作成

 お気に入り。秋の寒々しいけれど趣のある寂しさがうまいこと表現できている気がします。
 もみじはわからないんですけど小学生の頃の通学路でイチョウとニセアカシアの木がたくさん植えられているところがあって、それらの葉は踏んで帰りました。イチョウはけっこう乾いているんですよね。紅葉は濡れているイメージです。


***


【遺書】



だいじょうぶは魔法の言葉
大丈夫、大丈夫、そう言われると
とても安心するの
だからわたしも伝えるよ
大丈夫、大丈夫
大切な人、大好きな人、悲しそうな人へ
大丈夫、大丈夫
まわりにいるたくさんの人へ
大丈夫、大丈夫、大丈夫

そうしてある時、わたしは
自分の何が大丈夫なのか
わからなくなってしまいました


解説

2021年10月14日作成

 夜中に書いたもの。ただの悲鳴です。こういうきつい思いをツイートしちゃいけないから小説という形で書くようにしていました。実はよくやってたりする。手軽に愚痴れるから便利だけど誰も気付いてくれない。


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【胎児の夢】



 揺蕩ひて、揺蕩ひて。そこは羊の水の中。
 揺蕩ひて、揺蕩ひて。そこは蠢くの中。
 静まりて、静まりて。
 目を閉じ耳を澄まして夢を見る。
 小さな小さな粒から始まる、小さな小さな夢を見る。
 魚になり、蛙になり、蜥蜴となりて猿となり。
 歩みて歩みて、立ち止まり。
 足裏にて踏む柔らかな、
 赤き肉壁に座り込み、
 顔を伏せて頬寄せる。
 耳を伏せ、耳を伏せ、はうばうと響く声を聞く。
 耳を頭を脳を鼻を、貫き震わし壊さむとす、
 巨大な笑ひ声を聞く。
 恐ろしう、恐ろしう、
 身を離して蹲り、端の端へと身を潜め、
 目を閉じ口を引き結び、
 どこまでもどこまでも沈みゆく。
 その先に光在り。
 嗚呼、我誤ちたり!
 抗ひて、抗ひて、我は散々叫ぶれど、
 柔な肉壁は我を圧し、大なる手が下方から我を掴み引きずり、
 我はいつしか光の下に、己が双眸を晒しゆく。
 嗚呼、我誤ちたり!
 我は泣く、我は泣く。
 羊の水に恋焦がれ、この寒々しき吸気をひて、

 我は嗚呼と泣き叫ぶ。


解説

2021年10月31日作成

 言うまでもなく夢野久作「ドグラ・マグラ」内論文「胎児の夢」です。あれ好き。胎を「はら」と読むのは完全に好みです。よくやる。ドグラマグラ読むきっかけだった某同人ゲームで引用されていたのもあるけど内容も好み。メンタルやられている時のドグラマグラと暗い日曜日はとても安心します。


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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei