短編集
55. ちぎりを今再び (1/2)


※残酷描写注意

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 復讐すると決めていた。彼女は俺を置いていったのだ。ならば俺もまた、彼女と同様に彼女を置いていき、目に物を見せてやらなくてはいけない。
 それがライカの誓いだった。物心ついた頃からの誓いだった。ライカがライカとして生まれたのは国の隅に位置する農村で、彼女は今度は同じ村には生まれてこなかった。とはいえ彼女は必ずどこかにいる。国中を探せばいつか会える。
 会って、今度こそ。
 この誓いを、思いを。
「そんなえげつない」
 ライカのこの話を聞くたびに、カルは屈強な体を揺らして笑った。
「大切な姫さんだろ?」
「前世の彼女は王族じゃなかった」
「そういう意味の『姫さん』じゃねえよ」
 カルは手にした斧を振り下ろす。硬い音を立てて、大きな切り株の上で薪が二分になる。ライカの兄であるカルは前世からの知り合いだ。同じ兵学校を卒業し、同じ軍に所属し、カル――当時の名はホルードだった――が一年先に戦死した。その差がそのまま、産まれる時期の差となっている。だからライカとカルの歳の差は一年だ。
 一緒に飲みに行ったり鍛錬したりと縁は深かったものの、まさか近所でもなく従兄弟でもなく実の兄弟として産まれるとは思わなかったが。
「彼女――フェイシアはライカ、いや……サハルと仲良かったじゃねえか」
「だからこそだ」
 ライカは己の手のひらを見つめた。前世よりも皮膚の厚い、くすんだ肌を見つめた。
 記憶にある手よりも丈夫な己の手を見つめた。
「……この手を浸した血のあたたかさを覚えている。フェイシアの名を叫んだ喉の痛みも。忘れようもない」
「ライカ」
「許さないと決めた。フェイシアは俺を、サハルを置いていった。約束が違う。俺は許さない、許さないと産まれた時から決めたんだ」
「頭の硬い弟だ」
「兄貴は相変わらず不断だな」
「柔軟と言え。見た目は硬くなったけど」
 カルは斧を肩に背負った。ホルードと呼び同僚として親しくしていた時とは異なる、背が高く屈強な男だ。飄々と前髪を撫で付ける胡散臭い男ではない。肉親が変われば外見が変わる。成長過程が変われば人生が変わる。それでも、魂と呼称されるライカ達の本質は変わらない。思考も、性格も、記憶も、おおよそは変わりない。それがライカ達の常識だった。
 だから、彼女もそうであるに違いないのだ。あの時の裏切りの記憶を保持したまま、この世界に別人として産まれ落ちている。
 ならば探せないわけがない。外見が変わっていたとしてもライカが彼女を見間違うわけがないのだ。
 ライカは――サハルは、フェイシアをとても愛していたのだから。
「いよいよ明日か」
 カルが空を見上げる。つられて、ライカも空を見上げた。
 青い空だ。晴れた、前世からずっと――その前からずっと変わらない空がそこにある。空の青は父なる青なのだとライカ達は学んでいる。人は青に安らぎ、赤に情を抱くのだ。血の赤は母なる赤、人々を激情に駆り立てる色。恋する乙女の頬の色、愛しい相手の唇の色、怒る人々の耳の色。それで人は争うのだと。母なる赤を求め、母なる赤に興奮するがゆえに、さらに鮮やかな赤を目にしようと。
 だから青は常に空にある。そして人々が赤を認識できぬようにと一日の半分を夜と呼ばれる空間にする。夜は青も赤もわからなくなり、そこでようやく人は赤を求めなくなり眠りへと誘われる。
 ライカ達は父なる青と母なる赤の間で生きている。
「カルは行かないんだな」
「俺は今回は良いよ。今回の人生はな、のんびりと農民をやってみたいのさ。前回は統治していた地域の農民に知識が古すぎると笑われたからなあ」
「大昔から環境も変わった。長らく軍に従事してきたカルの知識が追いついていないのは仕方がない」
「随分と言ってくれるな。とはいえそういうことだ。戦いにも疲れてきていた頃だし良い息抜きになる」
「軽んじたことを言っていると痛い目に遭うよ」
「失言失言、ったく人生が一度きりなのも足りないもんだ。その時代のいろんな人生を体験できれば後々役に立つんだが」
 カルが朗らかに笑う。それへとライカは首を横に振った。
「いや、一度で十分だ」
 ゆっくりと、思い返すように。
 ――鮮やかな赤の液体、濡れた刃先、己の喉から上がった悲鳴。
「……あんな思いをしながら死ぬのは、一度だけで良い」

***

 次の日、ライカは正式に軍人として軍に配属されることになった。兵学校からの卒業だ。昨日までは定期的に家に帰ることができたが今後はそうもいかない。国境を越えてくる異国人を相手に、常に武器を手に取らなくてはいけないのだ。
 それがこの国の軍人の勤めであり、その軍人とその家族は軍人の勤めに応じた報酬を受け取れる。体力的にも精神的にも疲弊しやすい代わりに半永久の安寧が約束されている職だった。
 ライカは軍人になる。それは前世でも前々世でもライカが勤めていた職だったからであり、そして目的の人物と近付くための選択でもあった。
 首席で卒業した新人は希望の場所への所属が許される。ライカは目論見通り首席で卒業し、その権利を用いて王宮守護隊の一員となった。国内のどの場所へも立ち入りが許されている特別な軍隊だ。王宮守護隊への加入はライカが目標を達成するには必要不可欠なものだった。
 復讐まで、もう少し。
 あとは、彼女を探し出すだけ。
 再会はライカが国内を巡り巡った二十年後にようやく訪れた。

***

 外壁の縁に立つ。見下ろした先には手入れのされていない森があった。ちらちらと見えるのは森と同じ色合いの布を被った人間の姿。
 今日の任務は、王宮へと近付いてきていた潜伏兵へ急襲し彼らの指揮官を引きずり出すこと。捕らえた捕虜によれば、その指揮官はライカと同い年だという。つまり前世では同じ年に死んだ人間だということだ。ライカの前世であるサハルが死んだ時期は大戦只中だったから不思議な話ではない。
 眼下を眺め、ふ、と片足を前に出す。す、と全身が沈む。
 足場を失った全身が真っ直ぐに外壁から落ちる。
 落下――体を逸らして回転、頭から剣を掲げた腕と共に降下。
「はあっ!」
 落下地点にいた敵兵の肩口へと体重もろとも剣を叩きつける。骨が砕け肉が散る。着地、その勢いを殺さないまま体を旋回、腕を振り回す形で剣を振る。無警戒だった人間達へと刃先が当たる手応え。
「うあっ……!」
「ぐああっ!」
 声。そして。
 ぶわりと吹き上がる、赤。
 ――ぞ、と体内が熱くなる。
 不意に笑みが漏れる。
 ああ。
 やはりこの色は良い。
「……はは、はははははは!」
 敵が戦闘態勢を取る前に剣を振る。時折飛び上がって相手の頭を蹴り飛ばす。顔面を斬り、首をへし折り、腕を捻り上げて地面に叩きつける。
 痛みを訴える悲鳴が、赤が、散る。
 何という快感か!
 思考が鮮明に、ただ一つへと集中する。他の何をも考えられなくなる。
 殺せ。
 殺戮を、血を、赤を。
 母なる赤を、さらにたくさんの赤を、眼前に!
「……っ、の!」
 誰かが悔しげに何かを投げつけてくる。何回も何十年も何百年も軍人として戦場に立ち続けてきたライカには大したものでもなかった。即座に首を振り回避、投げナイフを投げつけてきた敵兵へと一歩大きく踏み込み接近、すかさずその懐に鎧の隙間を狙って剣を突き刺す。
 手応え。
 服を、肉を、全てを貫く、筋を断つ感触。
 そして、血。
 血だ。
「ははははは!」
 笑いが止まらない。
 ――刹那。
「たああああああああっ!」
 突然の雄叫びと共に死角の外から殺気が迫ってきた。後頭部を潰される――しかし前面の兵士が邪魔で前方へ回避できない。
 ち、と舌打ちし、その場でしゃがみ込みつつ手元の兵士を引き寄せた。頭上へとその上体を引き上げる。ガッという重く湿気た音と共に頭上で血と脳漿が散った。
 死体となった兵士をそちらへと放り投げ、その隙に身を転がす。距離を取り、威嚇を込めて剣先をそちらへ向けて――ライカは背後を強襲してきた相手を見た。
 女だった。
 長い髪をそのまま流した女だった。敵兵を意味する軍服を身につけた体は鍛え上げられ、その片手に太い金属棍棒が握られている。他の兵士を従える凛々しい顔立ちはまさに戦場に似合いだった。とはいえ戦場に女は珍しい。男と体力差があるからだ。それに、王宮女官の方が待遇が良いため大抵の女はそちらを目指す。軍隊に女が全くいないわけではないが、大抵は参謀役や女性王族の専属守護隊へ所属し、戦場の前線には出てこない。
 珍しい。
 そう、珍しいのだ。
 
 ***



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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei