短編集
55. ちぎりを今再び (2/2)
「……は、は」
ライカは笑った。笑いが止まらなかった。けれど先程までとは違う、喉が引き攣っているかのようなそれは嗚咽めいていた。
ふらりと立ち上がる。そのまま、女と対峙する。
残りの敵兵がライカを取り囲む。逃げ道はない。一人で相手ができる人数でもない。
それでも、ライカは笑みを堪えきれない。
「……名は?」
訊ねれば、女は黙り込んだ。戦場に相応しくない問いに戸惑ったようだった。
「……ターシャ」
「そうか、ターシャか。俺はライカ。ライカだ」
「……今世の名などどうでも良い。私はヤイナハ王国の騎士としてここにいる。例え予想外の敵襲に予定が狂わされようと、ただ一人きりの敵を前に逃げる気はない」
「奇遇だ。俺もティリア王国の兵士としてここにいる。この場を退く気はない。それから、人を探していた」
「人?」
「フェイシア」
途端、ターシャの引き結ばれていた唇が緩み、切り上がった眼差しが見開かれる。僅かな、けれど確かな動揺。
そして。
見開かれた目が敵意以外の感情を宿してライカを見た。
探るように、確かめるように。
それは、ライカが国内を巡って探していた輝きだった。
「……嘘だ」
ターシャが呟いた。
呆然と、呟いた。
「年が、変わらなすぎる。ほぼ同い年じゃないか」
「同い年だよ。数時間違いだ。あの後すぐに追いかけた。フェイシアが先にいったあの後、すぐに」
「どうして」
「会いたかった」
手の中で剣の柄を握り締める。周囲の森がざわめく。
気配、それもたくさんの。
ターシャをはじめとする敵兵が異変に気が付く。けれど、時既に遅し。
「会いたかった、フェイシア。ずっと探していた。やっと会えた。――今度こそあの約束を守らせてもらう!」
瞬間。
ザッと周囲の木々の影から人が飛び出し、ターシャ達を背後から襲う。
「うわああっ!」
「て、敵襲! 敵襲……!」
ライカの同僚達が次々と敵兵を屠っていく。伏兵の登場に、ターシャ達は焦りを露わにするも対応が間に合わない。
血が飛ぶ。むわりと不快な臭いが鼻先にあふれる。吐き気、それよりも強い――赤い興奮。
敵が死んでいく。ターシャのみが残る。
ライカの同僚達が迷わず複数人がかりでターシャを襲う。いくつもの剣を一つの棍棒で防げるわけもなく、ターシャの腹に剣が突き刺さる。
「っは……!」
ターシャが血を吐く。腹から地へと赤がしたたり落ちる。
赤。
気が狂うほどに美しい色。
ああ。
復讐を遂げるまで、あと少し。
決死の覚悟に歯を食いしばり、ターシャは大きく棍棒を振り回した。数人の同僚の腕が捥がれ、数人の同僚の顔が剥がされる。血、肉、悲鳴。
僅かな隙の間、ターシャが顔を上げる。殺意めいた睥睨と目が合う。
「やめろサハル……!」
「今の俺はライカだ!」
ライカは駆け出した。剣を手に、ターシャへと駆け寄った。
そして。
その剣を振りかざした。
***
赤が散る。見慣れた、見飽きた、赤が吹き出す。
まずは一人。
続いてライカはターシャと対峙していた同僚の背へ剣を突き立てた。軍服の構造を知り尽くした同僚の背はガラ空きも同然だった。
剣先が宙へと到達する。剣の半ばまで、味方の肉に埋まる。
「……っ、な」
何を、と言いかけた同僚の背に足裏を当て、剣を引き抜く。その剣で首筋を斬り裂けば、とどめを刺された同僚はすぐさま地面へ倒れ落ちた。
たくさんの人間からたくさんの血が流れ出てくる。その赤は色褪せた地面を歪な色味に仕立てていく。
ああ、赤は綺麗な色だ。
剣先の血肉を振り払い、ライカはターシャを見遣った。
思った通り、ターシャは泣きそうなほどに顔を歪めていた。
「……馬鹿か、お前は」
腹の傷を手で押さえながら彼女は言う。
「約束なんて……敵同士では成り立たないだろうが」
「俺が君を守り通す、それが俺達の――何十年何百年も前からの俺達の約束だ。それを違える気はない」
「けど」
「とはいえ俺が君を守れるのはここまでだ」
それに、とライカは口端を軽く上げて呟いた。
「――俺は、フェイシアを許さない」
瞬間。
その体に衝撃が突き刺さる。ライカの体が大きく反らされる。
「……っは」
吐息に血が混じる。
「……な」
ターシャの目が大きく見開かれる。その眼にライカの胸元が映る。
投げつけられた剣が深々と背に刺さり、刃先が胸に到達していた。
ライカの国の剣だった。
「う、ああああ――っ!」
事態を理解したターシャが手にしていた棍棒を投げた。ライカの背後に隠れていたライカの同僚の頭部へ棍棒が突き刺さる。目玉が抜け、脳が欠片となり、耳がちぎれ、上顎を失った舌が露わになった。
倒れ込んだライカを支えきれず、ターシャとライカは共に地面へ倒れ込む。
「ライカ」
ライカの背から剣を引き抜き、ターシャがそばの死体から布を引きちぎる。顔を覗き込み、傷口を必死に押さえ込む。すぐさま布は赤くなり地に赤が伝う。
無駄だとわかっていながらも、その手が止血を諦めることはなかった。
「ライカ」
「……ターシャ」
今の彼女の名を呼び、ライカは手を差し伸べた。指の腹でそっとターシャの頬に触れる。知らない柔らかさがそこにあった。
彼女はフェイシアではない。けれど確かにフェイシアだ。
「……お前は、どうして馬鹿なんだ」
瞳を潤ませるその眼差しの美しさは、紛れもなく彼女のものだ。
「わざと背後を取らせたな。あの兵士が私ではなく裏切り者のお前を殺すように、私があの兵士を殺せるように……何度守っても、私はお前を守りきれない……!」
「復讐だよ、ターシャ」
ライカは笑った。
「俺を置いて、俺を庇って死んだ君への……復讐だ」
「生きて欲しかった。今度こそ、私より長く生きて欲しかった。それだけで良かった……!」
「俺もそう思った。だから、君にもう一度会うために、自分の喉を、君の心臓を貫いたあの剣で貫いた」
ねえ、とライカはターシャの頬をそっと撫でる。それでも間に合わず、ターシャの頬を伝った涙がライカへとしたたり落ちてくる。
血とは少し違う、あたたかいぬくもりが落ちてくる。
「笑ってよターシャ」
「ふざけたことを。笑えるわけがないだろうが」
「笑って。今回は一度も君の笑顔が見れなかった。そうだな……今度は老人として君が産まれる瞬間を見たい」
「わがままを言うな。それにお前が年上なんて経験上良いことがない」
「君が年上も嫌だ。同い年はもっと嫌だ」
「同感だ」
震える声を止め、唇を引き結び、ターシャはライカを見下ろした。ぼろぼろとこぼれる涙をそのままに、傷口を押さえていた手を己の頬へと伸ばし、そこにあったライカの手の甲を覆った。
「……会えないかと、思った」
眉根を寄せて、ターシャは囁く。
「探しても、探しても、見つからなくて……前世のお前が長生きしたのか、とうとう縁が切れたのか、わからなくて……二度と会えないのかと、思って」
「俺も思った。まさか敵同士という縁になっていたとは」
「縁が深すぎたか。何回も、何回も……一緒に生きてきたから」
ライカ、とターシャの声がライカを呼ぶ。血に汚れた手のひらで優しく、強く、涙に濡れたライカの手を握る。
涙に赤が混じる。
赤。
激情を燃え上がらせる、赤。
彼女の唇のような赤。
彼女の頬のような赤。
「……綺麗だ」
ライカは呟いた。呟いて、笑った。
「綺麗だよ、ターシャ」
「お前もだ、ライカ。赤に染まるお前は……いつのお前も、悲しみを覚えるほどに相応しい」
ゆっくりとターシャが微笑む。瞬きをするたびに涙がこぼれ、血と混じって赤い雫となって落ちていく。
「会えて、良かった。……また、来世も会おう。来世こそは戦場ではない場所で生きよう」
「君が、戦場以外、なんて」
「お前がいるなら戦場に拘らない。もう、拘らない。だから、もう、私の前で死ぬな。もう十分だ。もう……十分だ」
「わかった」
赤い雫に空の青が映り込む。父なる青と母なる赤が混じる。
「……来世で、待ってる」
そっと微笑む。まどろみに似た暗闇に従い、ライカは目を閉じた。
解説
2021年11月07日作成
「やまとことばワードパレット」九つ目。
「ちぎり」。Weblio古語辞書様曰く、
ちぎり【契り】
①約束。▽男女の間の恋の約束をもいう。
②前世からの約束。宿縁。因縁。
とのことでした。
ワードは【瞳が潤む・やっと・それだけで】。
男女が前世からの繋がりを保ったまま再会する、というお話になるのは比較的早く決まりました。とはいえ運命だとか一目で恋に落ちるだとか実はこの二人は前世で~的モノローグとかはつまらないので、本人達も当然のように記憶を保持し続ける異世界が舞台です。生まれ変わるのが当然の世界なら死も軽いものになるのかなあと思ったんですが、まあそんなことはなかった。彼らにとって死は幾度も乗り越えなければならない苦痛なんだと思います。それを受け入れた、さらにその先を描いてみました。
来世では二人とも農民として幼馴染か家族か、そういう近い存在として生まれているかと思います。年齢差は…そんなに離れていない気がしますね。そういうところも二人の縁なのでしょう。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei