短編集
57. 春を待つ (1/1)


 いわゆる変身願望というやつである。このところ会社勤めもうまく行かず、家族と連絡を取ることすら疲労を覚え、いっそこの命を終わらせてしまおうかと思っていたのだがそうも簡単に行くわけもなく、せめて別人としてもう一度あらゆる点をやり直せたのならと投げやりに思いつつ地面の上で暑さに寝そべったミミズを妬ましく思っていたのだが、どうやら今自分はそのミミズの横で雑草として立ち尽くしているようであった。
 そういえばどこかの誰かが虫に変身した男の話を書いていた気がする。あれの結末はどんなだったか。
 ミミズが寝そべっていた場所は私の住居の真ん前の路上であった。私は干からびたミミズの横でアスファルトの割れ目から背を伸ばして我が家の玄関を眺めつつ、車の往来に体を流し、路面からの熱射に耐え、雨を待っていた。たまに吹く風は涼しくもない。季節は夏である。
 私が雑草となった数日後――もはや何日経ったかを数える気迫もない――我が家へと立ち入る人がいた。両親である。おおよそ会社から連絡が取れない旨を聞き、大家と連絡を取って我が家へ顔を出しに来たのだろう。
 無論部屋の中に私はいなかった。両親はしばし嘆いた後、自らが呼びつけたらしい警官と話をしていた。会社の人間も来た。どれもこれもが懐かしい顔ぶれだった。
 仕事の合間を縫って現れた同僚は嫌そうに顔をしかめたまますぐに会社へ戻っていった。警官もすぐに帰っていった。両親もまた、呆けた顔のまますぐに立ち去っていった。
 私は叫ぶことなくそれを見つめていた。叫ぶという動作ができなかったのだから仕方がない。口もなければ声帯もなく、肺もない。ただひたすらに日を浴びて呼吸するだけである。けれど不思議と焦りはなかった。いつか両親か誰かが私の存在に気付いてくれる気がしていた。そうでなくともいつか元の姿に戻れる予感がしていた。
 そうでなくては困る。
 両親は高齢だ。病のため仕事ができないでいる。子供は私しかいない。金を稼いでやれるのも介護をしてやれるのも私しかいない。会社での私もまた唯一だ。あのプロジェクトの詳細を把握し進めているのは私だけで、同僚達には今更手に負えないだろう。この家の貸し賃を払っていたのは私なのだから、大家だって困るはずなのだ。それだけではなく私には友人がいる、突然連絡が取れなくなったら困るだろう。誰も彼もが困るのだ。元に戻れないわけがない、そんなことが許されるわけもない。
 私は干からびたミミズと共に日々を過ごした。ミミズはやがて蟻に連れて行かれたが、私は一人で我が家の玄関前に立ち尽くしていた。その間、両親や同僚や友人や警官やその他見知らぬ人間が我が家を出入りしたが、徐々に背を伸ばしていた私が気付かれることは一切なかった。一方の私はというと、皆のその顔色も徐々に憂いを晴らし、決意のような心地がその姿に見えるようになっていたことに気付いていた。数日後、いよいよ家の中の物が次々と運び出されていくのを目の当たりにし、私は笑うことも嘆くこともできないまま立ち尽くしていたのであった。
 その後しばらくして、我が家の郵便受けに養生テープが貼られ、誰も姿を現さなくなった。雨が降り暴風が吹き荒れ気温が下がってきた頃のことである。往来のなさは天候のせいではないことはさすがの私にもわかっていた。それでも私は雑草として、枯れることも腐ることもなく、玄関前に立ち尽くしていた。
 ある日、随分と伸びた身長を風に揺らして私は激しく焦った。
 目の前に鎌を手にした大家がいたのである。
 そういえばこの大家は定期的に家周りの雑草を刈り取るのであった。それも、薬ではなく鎌で。
 やめてくれ、と叫びたかった。やめてくれ、鎌で俺の体を千切るのはやめてくれ!
 そんな私の声にならない声など気付くわけもなく、大家は私の上部をガッシと掴んで私の根本をブッツリ切った。
 ――思ったより痛みはなかった。
 今気付いたのだが、草に痛覚はないのである。焦った私が愚かであった。
 恥ずかしさにシュンと縮める背もないまま、私は根っこだけで数日を過ごした。季節は秋の終わりに近付いているようで、風は冷たく強く、往来する車のタイヤは冬仕様となっていた。
 そしてようやく気付いたのだが、草には温感もなければ視覚もないのである。私はどうやら「雑草になった」という事実をしばらく受け入れられないままに、人間くさく触覚だとか視覚だとか聴覚だとかがあるつもりで日々を過ごしていたらしい。雑草になって今まで感じてきたと思っていた全ては錯覚であったのだ。否、「錯覚」という感覚すら私という雑草には存在しないのであろうから、これは例えである。
 人間とは多感なのだなあと私は根っこで思った。無論、根っこに脳みそはないのでこれもまた例えである。痛覚もなく五感もなく思考もない。そうしたことに段々と気付くごとに段々と私という存在が何なのか考えることも感じることも不要な心地になってきて、私は静かに根っこが地面から栄養を吸い取り茎の中で葉を伸ばす下準備をしている様を予感しつつ、心も思考もないままに静かな時を過ごしていた。
 もはや我が家がどうなっているのかも知らない。両親や会社のプロジェクトや同僚や大家がどうなったのかも知らない。知る由もなければ知る機能もない。
 今の私はただ、アスファルトの下で春を待っている。


解説

2021年11月13日作成

 エブリスタ「三行から参加できる 超・妄想コンテスト」参加作品。
 お題は「変身」。
 このお題見たらカフカの変身しかなくないか? と思ったものの私まだカフカの変身ざっと流し読みしただけなのでした。せっかく良い装丁の本で買ったのだからいつかちゃんと読みたい…。
 というわけで面白みはない、淡々としたお話になりました。最後は「無」に行き着くという、救いとは真逆のお話。でもこういうの好きです。淡々とした語り口といえば安部公房かな…高校の国語の時間に「鞄」が題材になったんですがあまりの芸術性にわけわかめすぎて逆に衝撃的でしたね…児童向け小説やいわゆるライトノベルを読みそのあたりを書いていた私が文芸に興味を持った理由の一つだと思います。また読みたいなあ。


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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei