短編集
11. さむぞら (1/1)


 辺りは真っ白になっていた。硬質な灰色をしたビルも、三色を規則正しく灯す信号も、白線が描かれた道路も、そこを走る車も、ショーウィンドウが並ぶ歩道も、街路樹も、上空から絶え間なく降ってくるものに覆われ、輪郭を曖昧なものにしていく。空気も白っぽく見えるのは、空が明灰色の雲に覆われているからだろうか。
 レストランの窓ガラスは結露で白く曇っている。行き交う人々の口元には白い息が呼吸と連動して、現れたり、消えたりしていた。マフラーに顔を埋めるサラリーマン、手袋をした手を頬に当てる女子高生、顔を真っ赤にしつつも携帯端末からじっと目を反らさない中年男性。誰もが体を縮め、顔を上げず、時折吹く風に耐えている。
 一方にはショーウィンドウが並び、車道側にはバス停が並ぶ幅広い歩道を、青年は一人で歩いていた。息は白く、頬は赤い。紺色のマフラーに顎を埋め、ベージュ色のよれたコートをきっちり着ていた。裸の手には大きめの黒い鞄を提げている。
「……早くこたつの中に入りたい」
 願望を口にしたところで、叶うわけではない。はあ、とため息をつけば、それは白く濁った息となって吐き出された。
「……次は、どこの会社だっけ」
 立ち止まり、鞄の中からクリアファイルを取り出す。正面に大きく描かれた笑顔の若い男女二人を一瞥し、彼らの持つ内定書を見、でかでかと書かれた「頑張れ就活!」の字には目もくれず、青年は中から紙を取り出した。
「えっと……?」
 ――ピロロロロ。
 鞄の中から電子音が鳴り響く。一瞬肩をびくつかせた後、鞄を急いで地面に置き、中をがさごそと探った。自分が今道の真ん中にいることに気付いてはいたが、この際しょうがない。両脇を迷惑そうに歩いていく人々に心の中で申し訳なく思いつつ、ようやく音源である携帯端末を取り出した。その画面に映し出された名前を見、動作を止める。
「……澪か」
 てっきりどこかの会社からの連絡かと思った。そうぶつぶつ呟き、青年は耳に端末を当てる。
「もしもし」
 ――あ、樹くん? 澪だよ!
「うん、わかってる」
 ――あ、そっか。携帯だもんね、そっち。
「家電から電話なんて、どうしたの」
 ――あのね、あのね!
 いつもより明るい彼女の声に、何となく予想はついた。それでも、相手の言葉を待つ。
「何」
 ――受かった! 受かったの! 公務員試験!
 酷く明るい声で、彼女は言った。その声に苦笑しつつ、立ち上がり、鞄を持つ。
「そっか。良かったじゃん。地元に帰れて」
 ――ほんとそれ! やっと実家のご飯が毎日食べられるよー!
「だからって寝坊するなよ、立派な社会人にもなって」
 ――し、しないもん! ……たぶん。
「ははっ、自信なさげ。澪は遅刻魔だったからな」
 電話口で笑えば、彼女はふてくされたようなうめき声を上げた。眠いものは仕方がないだの、私の睡魔が最強なんだだの、無茶苦茶な言い訳をしてくる。それを聞き流しながら、マフラーを口元に引き上げた。風が出てきて、鼻が痛い。
「ま、良かったじゃん。頑張った甲斐あって。おめでと」
 ――うん。ありがと。あーあ、これからはもう学生じゃなくなるのかー。嫌だなあ。
「……うん、そうだね」
 ――でも就活終わったと思うとすごく楽になる!
「……そう、なんだ」
 ――あ、樹くんも受かったら教えてね!
「……まあ」
 じゃあね、と言って彼女は一方的に電話を切った。ツーッ、ツーッ、という音を聞きながら、冷たい唇を引き結ぶ。
「……おれ、最悪」
 呟きは誰の耳にも届かない。
 自分は何度も不採用通知を受け取った。いろんな企業の元へ行き、苦手な面接をたくさんした。彼女の努力は知っている。でも、なぜが、家で勉強していた彼女よりも、足を使って苦手なことに立ち向かっていた自分の方が優秀なように思えてならない。
 実際は比べることではないはずなのに。
 すごく、いらいらする。彼女の明るい声に、彼女の報告に素直に喜べない自分に。
「最悪」
 言い聞かせるようにもう一度呟く。風が感覚を失った頬を鋭く掠めていった。


▽解説

前話|[小説一覧に戻る]|次話

Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei