短編集
10. レール (1/1)


 敷かれたレールの上を歩く。
 この言葉、知ってるか? 知ってるだろ?
 他人に、特に親に準備された人生を、疑うことなく従順に歩むことを表してるけど、この言葉、あまり良い意味では使われないよな。
 よく「親の敷いたレールの上を行くのはもうやだ」とか、そういう風に使われる。けどさ、考えたことあるか? なんで敷かれたレールの上を行くのは駄目なんだ?
 楽してるから? 自分の意思がないから? でも、列車は敷かれたレールの上を正確に走って、事故なく積み荷を運んでる。レールの上を行けば、間違いなくまともな人生を歩めるんだ。
 まともな人生を歩むことの、何がいけないんだ? レールから外れて暴走して事故を起こす電車より、レールに沿って何事もなく毎日を過ごす電車の方が断然良いだろ?
 そう、「敷かれたレールの上を歩くことは良くないこと」っていう考え方をおれたちは理由もなく持ってるんだ。親や友人、周囲の人に言われて、そう思い込んでる。
 これだってレールと同じじゃないか。おれたちは、他人が考えた、自力で手にいれた人生じゃないのは良くないっていう考え方を、理由もわからず、知ろうとせず、疑うことなくそれに従順になっていたのさ。
 馬鹿らしいだろ? 言ってるそばから、もう敷かれたレールの上にいることがわかっちまう。既存のレールの上に立ってるやつに「敷かれたレールの上なんか歩くなよ」って言われてもな。鼻で笑っちまうよ。
 おれ? おれは、自分でレールを敷いて歩いてるぜ。自信ある。自分で高校も大学も就職も決めた。小さい頃からやりたいことは進んでやって、やりたくないことは嫌だってはっきり断った。今までのおれの人生は、全部おれがおれ自身の力で得たものだ。
 だってさ、誰かの言いなりになってる人生なんてカッコ悪いじゃん。
 え? なんでカッコ悪いって言えるかって? そりゃ、当たり前だろ、親もダチもセンコーも、誰かの言いなりになって自分の意思で動かないのはカッコ悪いんだって、そう言ってたんだからさ!


▽解説

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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei