短編集
15. 魔法使いは旅をする (1/1)


 街並みは西洋風、文化は先日行った世界より遅れているらしかった。
 リンゴンと大きな騒音をたてて鐘を鳴らす大きな時計台のふもとでそれを見上げ、途中で首が痛くなって下を向いた。歩行者と車とで道はわかたれているものの、アスファルトは使われていない。三色ほどの石を適当に敷き詰めた地面は、色合いは風味があるが、よく見ると石と石の隙間に砂が入り込んでいて、細かい粒子の一つ一つが良く見えて気色の悪いことになっていた。あわてて視線を上げ、トトは周囲を見渡す。
 丈の長いスカートをはいた女性がタキシードの男性にリードされて歩いている。車道の方ではタイヤの外れそうなディーゼル車の初期型ががたがたと唸りながらトロトロ走っていた。耳に届く言語は、英語。
「……ここにもいないみたいだね」
 肩をすくめる。そんなトトに目を向けてくる人はいない。トトの格好がその場所にとても不似合いなのに、だ。ジーパンにパーカー、カラフルなスニーカーという明らかに奇妙な彼は耳からイヤホンを外し、毛先の茶色い金髪を風になびかせ、大きく伸びをする。太陽の光に右手人差し指の指輪が光った。
 そして、フッと口の端を上げる。人差し指を口元で立てた。
「風に乗って、フライハーイ♪」
 トトのスニーカーの靴紐が激しく揺れる。足元に渦巻くような風が起こっていた。その力はやがてトト自身を浮かばせ、空中に彼を留まらせる。
 それでも、周囲の着飾った西洋貴人は目を彼に向けないのだ。
「さて、と」
 周囲の反応を気に留めず、トトは遠くへと目をやるかのように水平にした右手のひらを額に当てた。ス、と瞳孔が広がる。そして――瞳の奥に金色の光が灯る。ぐっと視界の中央が拡大した。
 しばらくそうして遠くを眺める。
「……お、パンチラねーちゃんみっけ♪ お隣にいるのは……不倫夫婦かな? あーあ、探偵につけられてるのわかってないなあ」
 ニヤと口元を緩め、トトは一人笑い声を上げて笑った。
「あっはは、やっぱ便利だねえ、同類が誰もいない世界ってのは。こんなことしてたら確実にばれちゃうもんなあ。……ん?」
 ふと真顔になり、ある一点に目を凝らす。
「あれは……」
 呟き、トトはスッと目を細めた。
 何キロか先の寂しい街の一角で、女の子が男に絡まれていた。トトが自身の耳元で右手の人差し指をくいっと曲げれば、風が優しく耳を撫でる。それに乗って声が聞こえてきた。
『お前が盗ったんだろ! オレのめちゃくちゃうまい天下一の野菜を販売する正義の八百屋本店からリンゴを!』
『身に覚えがありません! ていうかそれ自分で言ってて恥ずかしくないんですか?』
「……なんだかくだらない言い合いしてるなあ」
 でも、とトトは目を細める。必死に言い返している女の子は、じりじりと追い詰められ、やがて壁に背をつけた。不安なのだろう、必死になって相手を睨み上げている。
 風には、実際の声以外も聞こえてくる。男が故意にありもしない罪を彼女に言い寄っていることも、彼女が叫ばないまま何か訴えていることも、トトにはわかった。
 ――助けて、誰か、誰か。
「……叫ばないまま助けを求めるなんて、馬鹿だよ」
 確かに、叫んだところで誰も助けてはくれないけれど。
「……女の子は噂話に鋭いからなあ、聞いてみるか」
 一息つき、トトは右腕を真っ直ぐに横に伸ばす。指輪の上を中心に一つの円が描かれた。やがてそれは複雑な模様を内部にじわじわと浮かび上がらせていく。
 薔薇のような、何枚も重なった花びらのような模様が完成した瞬間、それは円の外側を沿うように旋風を放つ。――風の魔法陣だ。
――行け」
 単調な声とともに腕を前方へ薙ぐように振る。それに従って風の塊が前方に――トトの見つめる場所へと勢いよく飛んでいった。拡大された視界の中で、男の背にそれがぶちあたり、その体を吹っ飛ばす。女の子が驚いて目を丸くしきょろきょろとし出したのを見てから、トトは一度目を閉じ、指輪を瞼の上に重ねた。ツ、と指輪の冷たさが目に伝わってくる。ザッと鋭く短い風が耳を掠めた。
 トトが指輪を離し、目を開ける。未だに状況を理解していないのか、吹っ飛ばされた男を呆然と眺める女の子が、目の前にいた。一瞬で何キロもの距離を詰めたのだ。
 トトは右手を顔の前に翳し、スッと横に動かす。スワリと風が体から離れていった。トトの身の回りの光の屈折率を変え、トトの姿を隠していた風は、微かに女の子の髪を揺らして消えていく。
 女の子は揺られた髪に気付き、そしてこちらを見――固まった。
「え……!」
 壁にへばりついたままこちらを凝視する。その顔に呆れつつも表情には出さず、トトは短く問うた。
「あのさ」
「神様……?」
 女の子の言葉に、トトは口を開いたまま目を見開く。
 ――今、何て。
 女の子もまた、自分の発言に驚いたように口を両手で塞いだ。
「え、えっと、あの」
――違うよ」
 くすり、と乾いた笑い声が自分の口から漏れ出る。つられて、自分の顔が乾いた笑みを浮かべた。
「ぼくはカミサマじゃない」
「え……」
「どちらかというと、カミサマを探してる魔法使いってとこ。ふざけたカミサマを、ね」
 ――ぼくの師匠であり、ぼくの願いを叶え、ぼくの両親を殺し、ぼくを殺しかけた、ぼくの絶対的なカミサマを。
「にしても、いちいち聞くのが面倒だな」
 トトは大きくため息をついた。女の子がきょとんとした顔を向けてくる。彼女に優しい笑みを向け、トトは右手をその頭に乗せた。
「え、あの、ちょ……!」
「失礼するね」
 指輪が彼女の頭皮に触れた瞬間、腕を伝って脳へ、体内を風が駆け抜ける。それに乗ってイメージが脳裏に届く。
 親と見られる男女に微笑みを向けられながら食べる温かい夕食、同年代の花売りから買った花を生けた花瓶、優雅なドレスを身にまとった友人の誕生パーティ、馬車の中で下町を眺めながら胸が浮き立っていた日々。そして、とうとう親に内緒で家を黙って出てきた先刻。彼女の記憶は風にめくられていく本のページのように、次から次へと場面を切り替えていく。
「あ……」
 何らかの衝撃がいったのか、女の子はかすかに呻いた。すぐに手を離し、トトはまたため息をつく。
「やっぱりここには来ていないか。あの変人なら、無駄に人助けして無駄に目立って有名になってるかと思ったのに」
 彼女の記憶には、それらしい人もそれらしい話題もなかった。ちなみに彼女の名前はイーリンらしいが、今となってはどうでも良くなってしまった。
「じゃ、ぼくはこの辺で」
 くるりと背を向け、トトはイーリンへ一言言った。イーリンが戸惑ったように声を上げる。
「え……?」
「一つ言っておくけど」
 足を止め、トトは片足を引いて振り返った。立ちすくむ少女に、トトは淡々と告げる。
「どんなに生きたくても、叫ばないと誰にも伝わらないから――カミサマにもね」
 トトは前を向き直って歩きを再開した。右手を耳の高さに掲げ、顔の前にスッと動かす。柔らかい風が体を包み込むと同時に、イーリンの目がトトの姿を見失ったようだった、視線を感じなくなる。
 しばらく歩けば、大きめの道に出た。この辺りは裕福な人が少ないのか、車はないらしく、舗装されていない道を子供達が元気よく走っている。ふと上を見上げれば、青い空が電線の向こうに広がっていた。
「……電気の発達は他の世界より早いんだ」
 呟き、一人肩を上下させる。そして前を向き、両手を真横に真っ直ぐ伸ばした。指輪の上に魔法陣が描かれ、そこから発生した旋風は、今度はトトの体全身を巻き込んでいく。
「行こう、次の平行世界へ」
 風がトトの姿を歪ませていく。そして、空気の中に薄まっていくように、トトの姿は色と輪郭を失い、やがて街から消えた。


▽解説

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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei