短編集
14. 冥土の事情 (1/1)
人は死んだら別の世界に行くという。地下深くに存在する、太陽の光のない、闇の世界――人間は昔からそこを黄泉、冥土、常世などと呼び、恐れ、避け、疎んできた。
とはいうものの、そこを恐れているのは人間のみで、ヒトデナイモノは時折そちらに行って閻魔大王と謁見していると聞く。人間の中にもヒトデナイモノと同様、頻繁に行き来していた者がいるとかいないとか。
太陽のないそこは光は炎で得るしかなく、しかし世界全体を照らせるような大きな炎などあるわけもなく、いつも暗く、寒い。太陽がないので草木も生えず、ただ荒野が延々と続いている。そんな中流れる一本の川には舟があり、死者はそれを渡ってこちらの地に足を踏み入れる。そして導かれているように、うねうねと曲がりながら続く一本の道を歩いていくのだ。
その道を歩く影が二つあった。一つはのしのしと歩き、一つはぴょんぴょんと跳ねている。どちらも人間の形ではなかった。
「地上に久し振りに行ったけどさ」
二つの影の内、大きな体をした方が大きな声で言う。金色の短い髪が暗闇の中輝いていて、しかしその中には二本の角が生えていた。
「やっぱり、この頃の人間は酷えよ」
ぎらりと牙を剥く。その顔は醜く歪んでいた。まさに、「鬼の形相」である。
「あっちでもこっちでもそうなんだけどさ、俺のこと見て、あいつらは何て言うと思う?」
「さあ、どうなんだべ」
鬼の横を跳ねていたもう一つの影が言う。それは傘だった。目をぎょろりと剥き、バサバサと透明な自分の体を開いたり閉じたりしながら声を発する。
「何だって良いべさ。おらなんてェ『ビニル傘に目ェついてる!』って言われンだァ。傘お化けっづったら、唐傘なんだとよォ。てめえ達だって着物着てねべ? 時代なんてェ変わるもんだってンによォ」
「そりゃ、ビニル傘が目ん玉ひんむいて跳ねてりゃあ、びっくりするだろうなあ。――けど、傘だってわかってもらえるだけ良いだろ。俺なんて、あっちでもこっちでも『般若!』だぜ? 般若ったら能楽の人間の化け物だろ。鬼ならまだしも」
「鬼、はもう無理だべ。てめェ服着てっし。向こうでは鬼はふんどし一丁、あと金棒だったけが」
「ふんどし一丁なんて寒いだろ、恥ずかしいし!」
ファーのついたコートを羽織った鬼が、眉間にさらにしわを寄せる。
「金棒なんて今時使わねえし。ったく、何もわかってねえ」
「んなこと言ったら閻魔様なんて散々だべさ。ほら、はえぐ見に行くべ」
荒野の中のうねる一本道の中、二つの影は進んでいく。その先にあるのは、黒い大きな城――閻魔城だ。
太陽も月もない、暗い空に突き刺さるような鋭い屋根。数多く突っ立っている塔。ギャオギャオと黒い鳥が泣き叫び、コウモリがバササッと飛び立っていく。
「カラスが増えたなあ」
「最近、林の木を刈り取ったんだァ。んだがら家をなぐしだカラスっこがここに来んだべさ」
「ああ、ここらで唯一木の生えてたとこだっけか。コウモリの洞窟もとうとう崩れたんだってな。大変なこった」
のんびりと会話をしながら門をくぐり、奥へと進む。見張りはいない、この世界に、閻魔様に楯突く輩はいないのだ。
閻魔城に入ってすぐ、鬼と傘に走り寄ってくる影があった。
「あ、お久しぶりです」
閻魔様の書記官の一人だ。人間は彼の姿を見ると、悪魔だと叫ぶ。とんがった耳やコウモリと同じ翼、肩と額にある突起物、そして先の尖った尾が、彼らにそう思わせるらしい。これでも人間に近い姿をしている方なのだが。
「司録さん」
「お元気そうで」
にっこりと微笑み、彼は板状の物を持ち上げて示した。
「この頃仕事が絶えなくて、充電が足りなくて。充電器を持ってこようと思ってたんです」
「それ、巻物でねなが?」
「ええ。あれはかさばりますから。これ地上で買ったんですよ。すごいですよね、何百人の記録がこれ一つに収まるんです」
光を放つ電子パネルを見せながら、司命はうきうきと話した。鬼はパネルの光に目をぱちぱちとさせ、身長の足りない傘はパネルを覗き込もうと必死になって跳んでいる。
「おかげで筆もいらなくなったし、計算も楽になって。あ、そろそろ行きますね。閻魔様の裁判を傍聴しに来たのでしょう?」
「んだ」
「もうすぐ始まりますから、どうぞごゆっくり」
にこりと笑って、閻魔様の書記官は城の外へと向かっていった。その背を見送った後、二つの影は再び城の奥へと歩き出す。
目的の部屋――裁判室には、門からまっすぐ歩けばすぐにたどり着く。紫色の小さな炎が灯るだけの暗い廊下を、迷わずに真っ直ぐ歩けたら、の話だが。この城の明かりを担当している鬼火家の一人息子によれば、この頃は明るい火が灯る油が高騰していてなかなか手に入らなくなっているらしかった。閻魔様はこの暗すぎる城内にご機嫌斜めなのだとか。
何度も通っている鬼と傘は、目的の部屋へと難なくたどり着いた。が。
「……いっぺえでねが?」
そう、すでに様々なヒトデナイモノ達が広い部屋を埋め尽くしていた。
割れた盆、破れた木綿、目のない人形の他、顔のない十二単の女性、狐火を灯した九尾、頭にペットボトルの水をかける河童、その他諸々のヒトデナイモノがライブ会場のようにぎっしりと傍聴席を埋め尽くしていた。
閻魔城に見張りはいない。そして、裁判の傍聴に人数制限はない。
「……見えるか?」
「見えねェどもよォ……しょうがねべさ」
「差してやろうか?」
「そらァ他の奴に悪ィべ。帽子も傘もいげね。マナーは守らねどいげねべさ」
傘が諦めたように、しかしはっきりと言った、その時。
――カン!
「静粛に!」
傍聴席の前、ステージのように一段高くなっているところで、先程電子パッドを持っていた書記官と同じ風貌をした者が声を上げる。ただ、その顔には笑みは欠片もない。
「司命様!」
「今日も格好いいわあ……」
傍聴席の一部からうっとりとした女性の声が漏れ出ていたが、当の司録は顔色一つ変えずに再び口を開く。
「閻魔様の御登壇である!」
りんと響いた声に傍聴席はしんと静まりかえった。ステージ上の豪華な椅子を除いて、そこにいるべき者はすでに揃っていた。裁かれる対象である人間も、先程司命につれられて登場し、服のない状態で床にうずくまっている。その中、奥の扉が音もなく開く。
扉の向こうから現れたのは、顔をきりっと引き締め、なめらかな生地の黒い服に身を包んだ人間の女性と似た姿をした者。その目は透明で、罪人の犯した罪を全て映し出す「浄玻璃の眼」と呼ばれる。髪は暗い裁判室の中でも美しく輝いていた。引きずるほどの長さがあるそれを耳より高い位置に二つにくくっている。
「閻魔様……」
誰かが呟いた、その瞬間。
「閻魔様あっ!」
「きゃあー生よ、生!」
「初めて見ちゃった!」
「こっち向いてー!」
「閻魔様らーぶっ!」
部屋を埋め尽くしたのは、歓喜の声。まさにライブ会場。
――そう、閻魔様に楯突く輩は、この世界には、いない。
「相変わらずの人気だなあ、閻魔様……」
「べっぴんさんだがらなあ……」
鬼と傘もうっとりとステージ上のその方を見つめる。
そして、歓声はヒトデナイモノ以外のものも混じっていた。
「ミクちゃん!」
「ミクちゃんだあああああ!」
罪人である人間達もよくわからない言葉を発して狂喜している。そこでようやく、閻魔様の口が動いた。
「……貴様らあぁっ!」
どこからともなく鞭を取り出し、容赦なく人間達をひっぱたく。その横でわたわたし始めたのは、罪人に直接手を下す役であるはずの鬼卒さんだろう。
「最近の奴は! よくわからん名で私を呼ぶ! 私を誰だと思っている、この、汚らわしい人間が!」
「ぎゃあああ! ミク様もっとおおおお!」
「痛嬉しいっすううう!」
裁判室に奇妙な悲鳴が上がる。
「最近ここに来る人間っておかしいよな」
鬼は肩をすくめた。
「人間の、閻魔様への恐怖がなくなってきたのも、地獄信仰が薄れてきたのもあるけどさ……性癖が、変」
「んだがらな」
傘が同意を示す。
「おらが知らねえ間に、地上は変わったンだなァ」
罪人の叫びが続く中、司命の声がりんと響く。罪状を述べているらしい。
「……前も同じ罪状だったな。流行りの女の子に熱中しすぎて他人に命に関わるような迷惑までかけたってやつ。ああ、閻魔様はそのミクっつー女の子に似てるらしい」
「くだらねェ」
「本当にな」
「くだらないどころじゃあない」
鬼の傍で、老婆が唾を吐いた。鬼がそれを見下ろし、目を見開く。
「奪衣婆さん」
彼女は、三途の川のほとりで人間の服を奪う仕事をしている。
「あやつら、舟代を持っとらんかったんじゃ」
「あの、三途の川を渡る時に必要な?」
「この頃の人間は、礼儀を知らんのか」
ぶつくさと文句を言う奪衣婆に苦笑し、鬼は肩をすくめた。
「人間の中には、昔からの風習を勝手にやめてしまう奴がいるようですよ」
「そなた、よくあちらへ行くのだったな」
「ええ、年末に仕事があるので」
「なら、人間共に礼儀を教えてこい」
「はいぃ?」
目を剥く鬼に、老婆は文句たっぷりと言わんばかりの顔を向けた。
「礼儀がなっとらん! 舟代を持たないわ、閻魔様にひれ伏さないわ、書記官二人の姿を見て怯えないわ……おまけに土産もない!」
「み、土産……?」
「冥土の土産と言うだろう! その言葉が誕生してから、閻魔様が甘い物をご所望して早数千年……一度も菓子の一つも届かん!」
「そ、それは……そういう文化がないからじゃ」
「最中の一箱くらい棺に入れさせてこい! 地上に人間全員にな!」
「……え、俺が言うんですか?」
「他に誰がおる! さっさと行かんか! どうせもうすぐ年末、あちらへ行くのだろう!」
ステージからは絶え間なく鞭の音と閻魔様の怒りの声と人間の叫び声が上がっている。そちらを一瞥し、鬼は大きくため息をついた。
「……あんな変な奴がいる場所にわざわざ行きたくねえよ……」
「……頑張れ、な、応援だけしでっからよ」
「ついて来る気はない、と」
無言で傘をばさばささせたそれに、再びため息をつく。そんな鬼の背を、奪衣婆はよろしくとばかりにバンバンと叩くのであった。
2014年12月03日作成
今はサービスが終了した小説投稿サイトで一番最初に投稿した作品。最初のだから明るいやつにしようと思ってこうした。どうしてこうなった。なおこの作品以外投稿しなかった。どうしてそうなった。
今の世の中昔ほど妖怪を怖がらないだろうな…と思って。棺の中にお金入れるのとかはさすがに葬儀屋さんがわかってるから省略されないと思うんですけど…ミクちゃんと似た格好の綺麗な人型の何かがいたら私も「え、初音ミク?」って思う気がする。ミクちゃん可愛いよね。長く愛されて欲しい。この頃くらいからボカロというものを知って聞くようになった気がする。彼らは音が確実に正確なので音感が鋭敏な時は助かります。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei