短編集
17. この悲しみは、終わらない (1/1)
「失礼します!」
薄暗い司令塔に駆け込んできたのは新米の兵士だった。
「準備、整いました!」
「わかった」
静かに返せば、望遠鏡と無線機の並ぶこの部屋は微かな無線機の機械音が聞こえるだけになった。
知っている。皆が、この作戦に反対していることを。
「よろしいのですか」
隣にいた直属の部下が低い声で言う。
「引き返すのならば今です」
「二言はない」
短く返す。
「皆、反論は今の内に言え。上司に嫌々従ったのだと後で言い訳ができるようにな」
壁一面のガラス窓から戦場を見下ろして言い放つも、口を開く者はいない。
司令塔から戦場はよく見渡せた。あちこちで砂ぼこりが立っていた昨日、死者は敵軍も合わせると数百人に及んだという。数百もの生物がこの地で物体と成り果てたのだ。全く想像が追いつかない。
けれど、人が生物から物体へと成り果てる瞬間なら、しっかりと、覚えている。
――元気でね。
先月、そう言って、彼女はベッドの上で微笑んだ。死期を悟った彼女は、どんなに昔の記憶を遡っても見たことのないような、晴れ晴れとした涙を流していた。微笑みながら涙するという現象が実際あり得たなんて、カタブツの私には当時までわからなかった。
そして、崖下の君を引き上げようとでもするかのように懸命に握っていた君の手が、微かな動きさえも止めてしまったあの瞬間。微かな呼吸と共に動いていた君の細い指がぱったりと私の手を撫でるのを止めてしまった瞬間。
「……反論は、もう良いのか」
是とも否とも返ってこない司令塔の中、私は己の手を握りしめた。
そして、顔を上げ、大きく息を吸い込む。
「――これより原子爆弾投下を開始する」
司令塔の中に私の声が響く。
「敵は先月化学兵器を用いて国土を汚染した。多くの民が死んだ。徹底的な打撃を奴らに与えない限り、同じ手法を繰り返してくることは目に見えている」
例え世界が滅びようとも。
「失敗は許されない」
例え大量の死がもたらされようとも。
「このくだらない戦争を、終わらせるんだ」
君の最期のぬくもりは、忘れない。
***
全てが燃え尽きた街で、一つの影が佇んでいた。焦点を合わせる対象のない荒野は、確かに、人が住み、笑い、歩いていた街だったのに。
上空から降ってきた何か――それが破裂して、一瞬にして白い光が目の前のだだ広い大地を包んだのだという。そして何もかもが燃え尽きた眼前を、呆然と眺めることしかできない。
――またね。
あの言葉が嘘だなんて、欠片も思わなかったのに。またね、という言葉の意味を信じて疑わなかったのに。
「……そんな」
握りしめる手が痛い。
「なんで……!」
最後に彼女と交わした握手はいつだったろう。
「どうして……!」
君との最後のぬくもりが、思い出せない。
2015年01月09日作成
戦争のお話。悲しみは悲しみを呼ぶ、連鎖していく悲劇の繰り返し。わかりにくいお話になっているんですがこういう報われない話or報われた先に新たな悲しみに呑まれた人がいる話を唐突に書きたくなって書いて、そしてその後放置していました。改めて読むと私らしいですね。奇跡は起こらず悲劇は終わらず。現実ってそんなものです。文字で奇跡は好きなだけ起こせますが、だからこそ奇跡のない”当然”を書き記していきたいと思っています。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei