短編集 -風鈴荘
2. 雨の日にお客さんがやってきました (3/3)


「わたし、恋してるんです」
 唐突な言葉に、お茶をむせかけた。咳き込んでいると、メディウムはぽんぽんと背中を叩いてくれた。が、すぐに女性に意識を向ける。
「お相手は」
「……村の、若者です」
 頬を染めて俯く。メディウムが渡した湯飲み茶碗を、暖をとるように手のひらで包みながら、女性はメディウムをそっと見た。
「……その人、毎日会いに来てくれたんです。森の奥に住んでいるわたしを忘れている人もいるのに。毎日……声もかけてくれて」
 思い出して、嬉しいのだろう、笑みが絶えることはない。
 誰だって嬉しいものだ、自分に構ってくれる人がいるということは。
 でも、と女性を見る。目の縁がわずかに赤い。
 どうして。
「……どうして泣いているんですか」
「え?」
 女性がこちらを見た。目が合う。綺麗に澄んだ目だった。
「だって、あなたは今とても幸せそうだったから。だから、何で、泣いてるのかなあって」
「君は……」
 女性が驚いたように目を見開いた。そして、ふっと微笑む。美しい笑みだった。
「……叶わないから」
「え?」
「叶わないの、この思いは」
 だって、と呟くように言った女性は、目を逸らした。涙をこらえようとしているようだった。だって、と繰り返す。そして明るく笑って、何でもないの、と言った。
「泣けば良いのでは?」
 メディウムがふと言った言葉に、思わず目を向ける。
「え?」
 女性もまた、メディウムを見た。
 視線を集めながら、メディウムは優しく微笑みを浮かべる。
「泣けば良いのです。泣きたいだけ、泣いて、思うことをさらけ出せばいい」
「でも……」
「構いませんよ。もう、雨には慣れていますから」
 メディウムの言葉に何かを感じたのか、女性はきゅっと唇を閉じた。俯く。が、その肩が震え始めていることに気付いた。
「わ、たし……わたし……こんなに好きなのに……」
 震える声が聞こえてくる。メディウムが立ち上がって移動し、女性に手を伸ばした。そのまま、優しく抱き込む。メディウムの腕の中で、女性は嗚咽をもらした。
「何で……何で、好きになっちゃったんだろう……」
 何で、と何度も繰り返し、女性はメディウムにすがりついた。
「好きになって、みんなを困らせて、もう、失格……わたしなんか、最悪……恋しなければ、こんなことに、ならなかったのに……」
 雨足が強まる。外から雨音が、まるで部屋の中に振っているかのように聞こえた。女性の嗚咽に呼応するように、だんだんと強まっていく。
「好きに、ならなければ、よかっ、た……」
「それは違うと思うんですけど」
 女性が顔を上げた。しっかりと、目を合わせる。
「え……?」
 この人の声を聞いていたら、伝えたいと思えてきた。
「好きになるっていう心は、そう簡単に得られるものじゃないと思うんです。恋をしたくてもできない、相手がいない、そもそもそういう気分にならない……様々な理由があって、 いろんな人がそれに悩んでる。でも、あなたは素敵な人に会って、恋ができた。それは後悔すべきことじゃなくて、その人と会えた奇跡、そういう気持ちになれた自分、そういった幸運を喜ぶべきなんじゃないかなって思うんです」
 ああ、自分すごく語ってる。そう思いながら、続ける。
「ぼくもそうだったんですよ」
「え?」
「ぼくも、どうしようもなく自分の幸運を後悔したくなってたんです。でも、後悔はしたくないって思って。後悔したら、何か、こう……出会えた奇跡を嫌がってるみたいに思えるから。あなたは、その人に会えたことを後悔しているんですか?」
「してない」
 すぐに答えは返ってきた。
「してない。あの人に会えて、変わったもの、わたし。嬉しいって思えた。一人じゃないって思えた」
「なら、間違ってないんですよ」
 女性が瞠目したのがわかった。
「あなたはその人に恋してよかったんです」
 間違ってない。
「だから、自分に自信を持って下さい」
 出会いに感謝できるなら。
「別に諦めなくても、その人のために一生懸命になれば良いじゃないですか。振り向いてくれなくても、その人が笑っているんだったら、良いじゃないですか」
 素敵な片思いをしよう。
「ぼくは、その人の笑顔みたさに、今も毎日頑張ってますよ。すっごいつらいですけど」
 その言葉に女性は笑みを浮かべた。そして、また目に涙を浮かべる。
「そう、なの……」
 おかしそうに微笑んでいた。きっとその目に浮かんでいるものは、悲しみではない。そう願いたい。
 いつの間にか雨音は聞こえなくなっていた。ふと外を見る。雨は止んで、雲に隙間が見えてきていた。太陽の端が、そこから見えている。
 明日からは晴れるだろうか。そう思いながら、空を見上げていた。

***

「……暑い」
 次の日から天候は快晴、前日の雨が嘘のように晴れた。おかげで朝からじめじめとした暑さに見舞われている。
「リオ!」
 咲が後ろから走ってきた。振り返りつつ言ってやる。
「こけるよ」
「こけないもん――きゃっ」
 言ったそばからつまずいていた。転ぶまでいかなかったが。ため息をついて、背を向ける、咲はやはり横に並んだ。
「先に言ってよ!」
「言った」
「遅かった!」
「予知はできないから勘弁して」
 こんな会話をしている間に、汗がにじんでくる。額を拭うと、咲が、暑いね、と呟いた。
「それにしても、水神様も情緒不安定になるんだね」
「え、ああ……」
 胸の中を疼いた不快感を押し止める。確かにあの女性は人じゃなかったけど、でも自分と同じだった。
 同じ思いを抱えていた。
「ねえ、リオ」
 咲が見上げてくる。
「ありがと」
「え?」
「ううん、えっと……一緒にいてくれて、ありがと!」
 照れたように、しかしにっこりと笑った。唐突なそれに息を忘れる。
「……反則」
「え?」
「反則だから」
「え? 何が?」
 咲が不思議そうに覗き込んでくる。それから必死に視線を外しながら、学校へと向かった。顔が熱いのはきっと、この天気のせいだ。
 蝉の鳴かない残暑の一日。もうすぐ秋が来る。


解説

2014年05月03日作成
 大雨は水神様の涙、というお話。泣きたい時は泣けば良い、は私の信条ですね。「泣くな」「泣かないで」は嫌いな言葉です。歌詞とかにもよく使われるし、励ましの言葉でもあるんですけど、嫌いです。泣いた方が絶対良い。涙はストレス発散方法としてはかなり良いらしいです。
 そういえばカラスにも名前があるんですけど、案の定忘れましたね。このお話に限らず名前というものが重要なキーワードになりがちな拙作なんですが…何だったかな…少年陰陽師の影響で「正しい本名はめちゃくちゃ大事!」な世界観なはずなんですがなんてこった。メディとカラスだけが知っているということでなにとぞなにとぞ…


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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei