短編集 -五月の雪
1. 消えない味 (1/3)
「近所で夏祭りがあるらしいんだ、行かない?」
夕日色に染まる教室の中、そう言って勉強道具を片付ける僕にズズッと顔を寄せて来たのは、クラスの可愛い女の子――ではなかった。
「……何でお前なんかと」
「何でってなんだよお、つれないなあ」
ぶう、と声に出して不満を表現する男子生徒に、僕は大きく大きくため息をついてみせてやる。くいっと眼鏡を押し上げた。
「僕はですね、どうせ受けるなら可愛い女の子のお誘いを受けたいんですよ。彰人みたいな可愛げの全く無い男じゃなくて」
「え、可愛げ満タンじゃん、ちょーきゅーとじゃん、ほら、見てよこのアキチャンのつやつやの肌」
「汗でぎとぎとしてるだけじゃん」
「口にしてはいけない真実がこの世には存在するのです。お気を付けなさい……」
「誰だあんた」
「カオルクンの最愛のヒ、ト」
「最悪の人、の間違い」
「そんなバナナ」
「あ、そうだ、帰る前に職員室に行かなきゃ。この教科書の答え間違ってる」
「そ、そんなバナナ」
「数学の時間に言えれば良かったんだけど、確信が持てなくて。でもさっき解いたらやっぱり違ってて」
「いやちょっと待って待ってボケを無視しないで、お願いだから!」
がしりと両肩を掴まれた。日に焼けた肌が夕日を反射している。僕が移った両目がうるうるとしているのは、きっと先程彼が差していた目薬だろう。
「俺寂しくて泣いちゃうから! ね、薫!」
「わかったわかった、よくわかんないけどわかった」
「わかってないんかい」
「理解に努めていない」
「努めて」
「義理がない得がない理由がない。まあそれはともかく」
「待って突っ込みどころたくさんあったよ今」
反論しようとする彼の腕を払い、眼鏡を押し上げる。
「で、何だっけ」
「夏祭り」
「それが何だって? 主語述語その他諸々をつけてもう一度言いなさい」
「俺は、夏祭りに、行きたい!」
「あ、そ」
「反応薄っ!」
再び涙目になる彼に深いため息を聞かせ、僕は机の上に頬杖をついた。机が夕日色になっている。早く帰りたい。宿題が大量にあるし、予習もしなきゃいけない。
がたり、と立ち上がり、机の横にかけていたバックを手にする。
「じゃ」
「……いやいやいやいや」
そのまま教室を出ようとした僕の腕をがっしりと掴んでくる。うっとうしそうに見れば、彼はやはりうっとうしい目のうるませ具合で僕を見ていた。
「……うっとうしい」
「酷っ! それ人に向けて言う言葉?」
「人だったんだっけ」
「そりゃないわ」
教室には誰もいない。それもそうだ。もう放課から数時間経っている。みんな部活にいったり遊びにいったりしている時間だ。テスト前でもないのに教室にいる人なんていない。
だからこそ、僕はこんな時間まで教室にいたのだ。
「こんな時間まで教室にいる奴が人間なわけないだろう」
「……それ薫もじゃん」
「言い直す。こんな時間まで僕の勉強を邪魔し続け横からBGMの如く無駄話を続けた迷惑極まりない君が、人間なわけがない」
「……うっわあカオルチャンまじぎれ」
「うるさい」
突き放すように言っても、腕を掴んでくる彼の手の力は全く衰えない。
「……全く」
それどころか、大人が子供にするような、呆れたと言わんばかりのため息をつくのだ。
「これだから県トップの成績の持ち主は」
「何が不満なんだよ」
「いや。むしろお前らしくて良いんじゃね?」
そう言って、彰人は苦笑する。
「もうちょっと愛想があれば、なおさら良いんだけどな」
「……余計なお世話だ」
力を込めて腕を振れば、彼の手は簡単に外れた。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei