短編集 -五月の雪
5. 潮騒 (4/4)


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【 14:56- 】


 寂しいな。
 そう言った薫の顔を思わず凝視してしまった。
 寂しい。それは予想外の言葉だ。弟の話をすると、決まって可哀想とか、ご愁傷様とか、悲しいねとか、そういった無難な言葉が返ってきていたから。
「寂しい、か」
 そうかもしれない。だから、自分は、きっと、弟の存在を夏の海に、その代わりになる存在を自分の傍らに、望んでいたのかもしれない。
 思い至ってみれば、自分の可笑しさに笑いそうになった。わかっていた。自分がもういない存在の代わりに誰かの世話を焼きたがっていることくらい。よく覚えていない弟と重ねて、誰かがひとりぼっちで教室の机に向かっているのを見過ごせなかったことくらい。
「薫」
 見れば彼は黙ってこちらを見てきていた。彼は県一の秀才だ。頭が硬くて、それでいて時折感性が豊かだった。そうでなければ弟の姿をこのしかめ面に重ねるようなことはなかっただろう。
「腹減ったな」
 笑えば、薫は呆れたように眉をひそめた。
「さっきかき氷を食べていたんじゃなかったか?」
「あんなんじゃあ空腹は満たねえよ。あー焼きそば! フランクフルト!」
「祭りの屋台じゃないんだから……」
 呆れつつも、しかし彰人と一緒に立ち上がってくれる。ふと、彰人は手の中の紙コップに目を落とした。赤い水だけになったかき氷を、砂の上にぶちまける。砂の上に一瞬たまった水は、あっという間に染み込んでいった。砂の色が濃く変わる。しかし日差しのせいですぐに薄れ始めた。
「捨てるなら手洗い場とかで捨てろよ」
 呆れたように薫に言われる。ああ、と彰人は笑って見せた。
「打ち水だよ、打ち水」
「そういう奴は世間から嫌われる」
「あーら、カオルチャンはアキチャンのこと嫌わないものねえ?」
「もう帰るよそれじゃあオゲンキデサヨウナラ」
「まあまあまあまあ、冗談はさておき! ちょうどおやつの時間ですし? ね、薫様!」
 背を向けようとするTシャツをがっしと掴む。きっと、このやりとりが楽しいのだ。何か言えば返事が返ってくる。手を伸ばせば触れられる。
 そうか、と彰人は目を細めた。
 探しても求めても手に入らなかった存在は、今そばにいる。夏の海の向こうではなく、今、自分の隣に、ずっと。
 幻覚ではなく、事実として。
 夏の海で赤いかき氷を買うことはもうないかもしれないな、と暑い日差しに首が焼けるのを感じながら、彰人は思った。

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【 -14:59 】

解説

2015年07月20日作成
 ずっと抱えていた空虚な心を、友人に救われた。
 文藝屋「翆」さんの夏企画で、同一の日の海での出来事を各々一時間分書きましょうというやつに参加したもの。私の担当は14時~14時59分でした。
 彰人が薫になついてる理由は何だろうと考えた時にこの海の企画が来て、思いついたものです。記憶のあまり残っていない弟と薫を、けれど重ねるではなく同一視するでもなく、ただちょっと気にせずにはいられなかった…という程度の。弟にしてやれなかった分、してやれない分、彰人は自分ができる限りのことを隣にいる誰かへ向け続けると思います。

 このお話には私の個人的な記憶が関係しています。
 私が小学五年生の時、同級生の男の子が亡くなりました。一年生二年生の時に同じクラスで、女の子にちょっかいを出しては先生に怒られるような明るい子だったんですが、白血病だったらしいです。新聞のお悔やみ欄に九十歳とか八十歳とかの中に「十歳」って書いてありました。私はそれを帰宅途中に幼馴染から「○○って覚えてる? あいつ死んだんだって。新聞に載ってた」と教えてもらって、あわてて帰って新聞を見て、動揺したまま母に報告しました。母もその子のお母さんと仲良くしていたのでショックだったみたいですね。
 その時はただ「死んじゃったのかあ」と思っただけだったんですが、小学校を卒業する時に卒業アルバムを見てものすごくショックを受けたんです。その子の写真がどこにもなかった。各学年のクラス写真も入っていたんですが、私の一年生と二年生の時のクラス写真が含まれていませんでした。もちろん、その子がいた三年生四年生のクラス写真もなし。その違和感を隠すためか、彼がいなかったクラスでもいくつか集合写真が削られていました。たぶん皆気付いていないんじゃないかな。個別の、たとえば綱引きをしている子供のアップ写真にもその子の背中すらどこにもなかったですね。ここまでするのかと絶望に似た心地でした。
 正直な話私も最初気付かなかったんです。ふと思い出して「卒アルではどういう扱いだったっけ」と思って、見てみたら、いなかった。あわててクラス替え前に作った文集を引っ張り出しました。集合写真を一枚貼り付けてあったはずだから。でも、当時のカメラの性能なのでピンボケしてました。顔なんてわからなかった。思い出そうにも思い出せなかった。「将来の夢」の欄に「野球選手」って書いてあるのを見てボロ泣きしました。思い出して懐かしむことも弔うこともできない。私だけは忘れないでいようと子供ながら思いました。  その後高校に通い出した頃だったかな? 母が「○○君覚えてる? お母さんがバイト先に買い物に来て少し話したんだけど、ようやく前を向けそうって話してたよ」と教えてくれました。妹がいたらしいんですが、彼が亡くなった後すぐに学区が変わらない範囲で引っ越していたらしいです。家の隅々、あちこちであの子を思い出してつらくなるからと。突然死んだ我が子、我が子を置いて卒業する私達、写真の残っていない卒アル、大切なはずの痕跡を大切にしておけないまま引っ越した心地、無事に卒業した妹…様々な点に思いを馳せては涙の気配を喉の奥に感じます。

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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei