刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之肆


 女性によって室内へと案内され、某は十畳ほどの畳が敷かれた広い部屋へと通された。中央には木製の座卓が置かれ、床の間の横には仏壇が備わっている。線香の匂いのする落ち着いた部屋だ。
「突然ごめんなさいね」
 急須と湯呑みをお盆に乗せ、そばに座りながら女性は恥ずかしそうに笑った。
「思わずはしゃいじゃって。粗茶ですが、どうぞ。――今旦那も呼んできます」
「あ、その前に一つ良いですか?」
 ありがとうございます、と頭を下げた後慌てて某が女性を呼び止める。
「三日前から出入りできなくなったということでしたが」
「ええ」
「では」
 某の声が自然と低くなる。
――三日前、おそらくあなた方が出入りできなくなる直前にここに来た人を知っていますか?」
「……そういえば来ていたわね、知らない人が。旦那が対応したのであたしにはちょっと……」
 でも、と女性は良いことを思い出したかのように微笑んだ。
「二人のうち一人がとても綺麗な人だったの。美人というのではなくて……息を呑むような、もしかして神様なんじゃないかって感じの」
 呼んできますから、と改めて夫を呼びに行った女性が戸を閉めたのを見、ようやく某が肩から力を抜いて畳の上で胡座をかく。大きく息を吐き出して天井を見上げた。
「……どう見る?」
『勘付かれたな』
 するり、と小太刀から姿を戻し、梓丸はその横に立つ。腕を組み、脱力する某を見下ろした。
「妖魔が緋鍔局の職員の行動に勘付き、結界を施した。……そう見るべきだが一点奇妙な点がある」
「俺達がここにいる理由、か」
「ああ」
 床の間に飾られた掛け軸へと歩み寄り、それを眺める。描かれているのは白い兎だった。その輪郭だけが墨で描かれている。おそらく背景は白い雪なのだろう。
 雪。
 冬。
 そして――春同然の山間集落。
 に手を当て目を伏せる。
「結界を施されたのが三日前……今日まで誰も集落の外に出られなかった。その一方で私達は特に何を感じることなく集落に立ち入れた……」
「戻れなくなったがな」
 つまりこれは。
「……誘い出されたか」
 某の声は低い。
「思った以上に厄介な案件かもな、これ。それに集落に帰れなくなったなんていう話は聞いてない。三日も前からそうならさすがに警察から連絡が来てるはずだろ。ていうか、緋鍔局の奴らがここに来たのって昨日か一昨日じゃなかったっけ」
「ここに来る前に一通り情報は集めたつもりだが……この集落の周辺だけ春となっている状況を考えれば、この結界内部は異空間化しているのかもしれないな。結界が張られているだけではなく、結界内の時間の流れも独自のものとなっている……何であれ完全に立ち入れなくなっていたよりは良い、結界内部で好きに動き回れる。上手くいけば妖魔と一騎討ちだ」
「是非ともお断りしたいところだ」
「わざわざ敵を内部に引き入れたんだ、いずれ直接顔を出して来るだろう。本部から増援が来るよりも早く。……思ったより早く事が終わるかもしれない」
「それまでに決戦の準備を整えなきゃってことか。気が重いが」
 とは言いつつも某の様子に緊張は見られない。腰から外し畳の上に置いた豊和のへ何ともなしに触れている。
 ――×××××。四十代、鯉朽隊の参段。かつては前線で体を張っていたが、先月の巨大妖魔との交戦の最中に体調不良を訴え、内臓の病が発覚。協調性はあるものの他人の世話をすることがないため誰にわれることもなく誰にまれることもない、無難な男。梓丸を「梓」だとか「梓の君」だとかと呼ぶ珍しい人物でもある。家族はいないと聞いてはいるものの、死別したのか離別したのかは知らない。
 付き合いは短い。一年も経っていないはずだ。数度組んで妖魔と戦っただけの、仕事仲間。
 その背中を見つめる。死が近いというその背中を、見つめる。
 人が死ぬのは珍しくない。梓丸の異能は戦闘向きなため、戦線へと赴く人間と組むことが多かった。何人かはその場で死んだ。そういうものだ、戦いの場へ足を踏み入れるというのは。いつの時代も敵が誰であろうとそういうものだった。そうでなくとも人は死ぬ。病気で、寿命で、不運で、すぐに死んでいく。だからこの男に何があったとしてもい守る気はない。守ったところですぐに死ぬのだから。
 けれど。
 ――その背が生を誇れる最期であれば良いとは、思っている。
「お待たせしてごめんなさいね」
 す、と戸が開く。女性の背後から同年代の男性も入ってきた。女性の夫だろう。
「旦那です。こちらは……ええっと、あら、お名前をまだ聞いていなかったわ。――あら」
 ふと女性が顔を上げ、床の間の前に立つ梓丸に気付く。途端口がぽかんと開いた。男性もまた似たような顔をする。
「……ええっと、ええっと、……えええ?」
「……説明は任せた」
「押し付けられたなこりゃ」
「人間には人間を」
「はいはい。――お騒がせしてすみません」
 言い、畳の上で立ち上がって某は懐へと手を入れた。取り出したのは煙草ではなく、それよりも一回り大きな縦開きの薄い手帳。
「先日私の同僚が来たと思いますけど、あれの続きと思っていただければ」
 言いつつそれを指で開く。警察手帳のように内部に挟まれた身分証が現れ、男性と女性へ実情をす。
「対妖魔機関『天照』職員の×××××とバディの刀神、梓丸です」


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Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.


(c) 2014 Kei