刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之伍
イグサの匂いが快い室内で×××××は正座をしていた。座卓を挟んで向かいにこの家の主人である男性とその妻である女性が座っている。梓丸はというと部屋の片隅で柱を背に一人佇んでいた。
「異変が起こったのは三日前からです」
女性が四人分の湯呑みを座卓の上に置く横で、男性が口を開いた。
「思えば、あなた方の同僚の方が去った直後からでしょうか。なぜか山から出て行けず、街で働く者達も帰って来なくなりまして……今年はこの山だけ雪が降らず気温も下がらず、奇妙なこともあるものだなとはおもっていたのですが……いよいよ三日前から桜が芽吹き始めたので、これは不気味だなと家内と話をしていたところです」
「三日前以前から冬が来ず、三日前からさらに春らしくなってきたと……うちの職員がお聞きしたのは数え歌が聞こえてくるというお話でしたが、そちらは?」
「え、ええ」
ちらりと主人が横を見遣る。それへと応えるように女性が頷いた。
「息子達は今もたびたび歌います……小学一年生と三年生なんですけど」
今は自分達の部屋にいます、と付け加え、女性は続ける。
「秋の終わり頃から聞いたことのない歌を歌うようになったんです。その時は何とも思わなかったんですが、事あるごとに口にするので気になってしまって。学校で学んだのかと思ったらそうではないみたいで……帰り道に聞いたのだと」
「誰かに教えてもらったわけではなく?」
「はい。うちの子、夕飯を食べさせてもらったりとか泊まらせてもらったりとかする仲の子が近くにいて、夜に家を行き来したりもするんですけど」
女性によれば、子供達はその歌を夜の野外で聞いたのだという。
「学校でも流行っているみたいです。しかも最近、子供達だけじゃなくて大人もそれを聞くようになって、道で誰かと会うとそのことばかり話題にしてしまって」
「お前、確か歌詞覚えてたよな」
「え、ええ、確か……」
主人の言葉に頷いた女性が何かを言おうとする、それを妨げるように梓丸は口を開いた。
「言うな」
低く、鋭く、強制的に。
「それを歌うな。呼び込むぞ」
告げる。
場が静まる。発声の機会を失った女性が半開きの口をゆっくりと閉ざした。
静寂。
それは、重苦しく気不味い空気。
「……梓」
咎めるような声音に視線を返す。こちらへと体を向けかけた×××××が睨み付けてきていた。それへと腕を組んだまま目を細める。
「お前には言ったはずだ。あれはそういうものだと」
「ああ。だが言い方というものがあるだろう。脅すようなやり方は良くない」
「本当のことを端的に言っただけだが……残念ながらその辺りは詳しくない。人間の規律というものは時により移ろうからな、最低限と言われることしか把握できていない」
「梓丸」
「人間と神の違いはわかるか」
突然の問いかけに某は黙り込んだ。別に答えを期待したわけではない。梓丸は柱から背を離し人間達へと一歩歩み寄る。
「簡単な話だ。呼ぶか呼ばれるか、使うか使われるか、叶えるか叶えてもらうか。私達とお前達は常に需要と供給の関係にある、同列じゃない。――同じことがあれにも言える。呼ぶか呼ばれるか。お前達が呼べばあれは来る。望むも望まざるも関係ない。……歌詞を知っていると言ったな」
ふと女性へと目を向ければ、怯えたように体を縮ませて「はい」と小さく答えた。
「ならば紙に書け。口には決して出すな。紙に書くのもあまり良いことではないが……あれはおそらく字には反応しない。少しは安全だろう」
女性が慌てて紙を取りに立ち上がり部屋を出ていく。それを目で追い、そして某が梓丸を見上げた。
「なぜ言い切れる?」
「あれ自身が歌を歌っていたからだ。目にされるが主目的ならあちらこちらに文面を書き殴るだろう。あれは歌という、発声による言葉の羅列を求めている」
人というのは記録し伝承する生き物だ。目の前に起こったことを記憶し、紙に書かれた文を書き写し、声に出して発された言葉を復唱し――そうして覚え、他者へと伝える。
あれが数え歌を歌っていたのは、数え歌を広範囲に広めさせるため、加えて人間達に声に出して歌ってもらうためだろう。言葉というものは、見、聞き、思考し、意味を理解され、そうしてようやく「文字」から「言葉」となる。そして「言葉」から声になることで周囲へと強い作用を引き起こす。激励、罵倒、宣言、命令――人は「言葉」を「声」にすることでより大きな効果を得る。そういった霊的な力が人の発声にはあるのだ。
Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.
(c) 2014 Kei