刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之陸


 女性が裏の白い広告紙を手に戻ってくる。そして主人の隣へと座り、すぐさまそれへと字を書き始めた。その様子を主人と某、そして梓丸が見守る。
「何度も言うが、決してあの数え歌を歌うな。歌えば来る」
「あ、あの」
 主人がそっと梓丸を窺い見る。
「く、来る、というのは、具体的には……」
「その辺りは相手にもる。が、一番考えられるのは文字通りだな。ここに来る、現れる、顔を出す。噂をすれば何とやらというあれだ。これは知り合いの受け売りだが……」
 ふと言い淀んだのは、その知り合いを思い出したからだ。手に余る妖刀だった梓丸を断りもなく天照へと持ち込み押し付けるが如く颯爽と帰って行った、あの男である。天照の仕事に不満があるわけではないがやり方が良くない。あらかじめこちらの意志を確認するのが普通だろう。
「……梓、顔が怖い」
「嫌な相手を思い出した。――そいつが言っていたことだが、人間は声に出すことで運を引き寄せる場合があるらしい。音声による術だな。呪文を唱えて現象を引き起こすように、願いや夢を口に出すことで周囲を、と」
「まあわからなくもない話だな」
 初めて聞いたとばかりに目を丸くしつつ、某は頷いた。
「周囲に宣言することで周囲が手伝ってくれたり自分かやる気になったりするから、夢は口に出した方が叶いやすいという話はよく聞く」
「そういう側面もあるだろう。それだけではなく強制的にそうさせる場合がある。それが術というものだ。噂をすれば、というのはある意味では召喚術とも言えるな。……ん、書けたか」
 女性の手元を覗き込みつつ問えば、慌てたように女性は紙を差し出してきた。腕を組んだまま某の方を見遣る。察したのだろう、某は「はいはい」と言いつつ女性から紙を受け取った。
「歌うなよ」
「判ってるさ」
 念を押しつつ、横から覗き込む。
 ――壱ツ、わらしべ掴み上げ
 ――天まで伸びよと笑ふ吾子
 ――弐ツ、揃ひて皆歌へり
 ――桜散りたる夜の風
 同じだ。この集落に足を踏み入れた時に聞こえてきた数え歌と同じ歌詞が書かれている。が、これしか書かれていない。聞けば「これしか知らない」のだという。
「子供達もこればかりを繰り返すので……」
 これ、と恐ろしげに言いつつ女性は身を竦める。数え歌と言うからには十くらいまであるものかと思っていたが、二までしか数えられていない。続きがあるのだろうか。
「あの」
 ふと某が片手を上げる。教壇に立つ教師を前にしたかのようなそれの後、彼は紙を指差した。
「数字が漢数字ではなく大字なのと、使われてるのが旧かな遣いなのは? 聞いただけじゃそこまでわからないですよね」
「え? あ……」
 今初めて気付いたとばかりに女性は口元を手で覆った。
「本当……どうしてかしら、子供達からも口で教えてもらっていたのに……」
 どうやら無意識にそうしていたらしい。つまり。
 ――この数え歌によって精神干渉が行われている。
 けれど妙だ。聞き、脳内で歌い、声に出して歌う。それによって数え歌という呪文が人々から発され広まる。それが妖魔の狙いであるはずだ。その経緯に表記は必要ない。この数え歌を広めたがっている妖魔はなぜ、わざわざ人の精神へと鑑賞し正確な表記を覚えさせたのか。
「……梓の君」
 同じことに思い至った某が梓丸を呼んでくる。その顔は笑みを浮かべながらも引きつり、手は既に傍らの豊和を掴み取っていた。
「これ、しでかしてしまったのでは?」
「奇遇だな。私もそう思った」
 ゆるりと微笑みかける。
「これはかなり巧妙な仕掛けだ。。大字と旧かな遣いなのはそのせいだな。慣れない言葉は何度も読み込みリズムの良さを探してしまう。声に出さずとも、意味を理解し復唱し意識すれば『言葉』は力を得、その時点で強い効果を発揮する」
 おそらくはそれが妖魔の目的だったのだ。数え歌を調べさせ、音声に出すことを恐れて紙に書かせ、それを幾人かに数度にかけて黙読させる。
 あの数え歌を者達の元へ、あれが呼ばれ来る――
「お前もこれを見て数度頭の中で歌ったな?」
「口に出すなとしか言われなかったからな」
「私もそれしか言わなかった。ということは、これはおあいこということで手を打とう」
「賛成」
 某が立ち上がる。何事かと怯える主人と奥方へと、彼は人の良い寂しげな笑みで「ちょおっとお仕事です」と言った。
「申し訳ないんですが、奥の方に隠れてもらって良いですかね? ちゃちゃっと片しますので」
「軽く言うな。固有結界を張るような妖魔が級なわけがないだろう」
 やはり緊張感に欠ける男である。
 震え抱き合う二人へと背を向け、そして横に立つ×××××へと目を向ける。同時に彼もまた梓丸へと顔を向けてきていた。目が合う。
 色に、人ならざる二色の虹彩の目が映り込む。
 それだけで十分だ。人間に存在を認識される――それだけで、己は生気を得、戦うことができる。
「さて」
 ×××××が笑う。引きつるように笑いながら、戸を開け放つ。
――会敵だぁッ!」


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Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.


(c) 2014 Kei