刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之漆
戸を開け放てば、そこには中庭を眺められる縁側があった。けれど今目に入るのは質素に整えられた中庭ではなく、その奥。
頭部や肩から角を生やし、巨体を仰け反らせて吠える――鬼。
口内は赤く、牙が氷柱のように揃っている。それの上には鼻らしき突起、そしてぐるりとよく回る眼球がその左右に二つずつ埋め込まれていた。
四つの目玉を持つ、鬼。
それが家の塀へとよじ登りこちらへと向かって来ている。大きさは二米程。マガオニよりは小柄だが、胸板が厚い人型で筋力の高さを窺わせる。
それが――二体いた。
「……梓の君」
勢いよく戸を開け放った後呆然と立ち尽くしていた某がぼそりと呼んでくる。油の刺さっていない機械のように――実際そのような管理不足の機械は見たことがないが――ぎこちなく首を回し、某は中庭の方をそっと指差しながら強張った頬で笑みを浮かべた。
「……無理っぽくない?」
「安心しろ、少し多いだけだ」
「それが問題なんだよ。ていうかあれ何? 見たことない妖魔なんだが」
「妖魔なら必ず急所はある。それなりにデカいから急所を突きやすい……はずだ」
「はずって言わないで」
「どんな医療品にも百パーセントは存在しない。そういうことだ」
「急所を突きやすい確率は九十九パーセントの方なんですよね?」
言い合ううちにも妖魔は咆哮する。空気が震え、窓硝子が細かく振動する。上階から聞こえてきた悲鳴は子供達のものか。
「とにかく妖魔を集落から引き離す! ×××××、囮になれ!」
「言われずとも!」
縁側の硝子戸を勢いよく開け放ち、某が中庭へと飛び出して行く。その手には既に豊和が引き抜かれていた。
疾走、中庭の飛び石を順に踏み、最後に跳躍。常人ならばただの遊びにしかならないであろうそれの後、某の小柄ではない体は塀にしがみつく鬼達の頭上を軽く超える。
天下、旋回。
刀を下段に構え、跳躍の勢いを元に全身を大きく捻る。くるりと一回転、刀の振り下ろされる角度へ旋回による迫力が乗る。
「ッらあああああ!」
下段から上段へ刀を振り上げ、そのまま落下と同時に振り下ろす。
轟音、衝撃波。
妖魔の頭をかち割るように振り下ろされたそれにより、松の木がざわりと大きくしなった。
妖魔が咆哮する。痛みに耐えるようなその動きを見、もう一体が某へと向かい出す。
某が妖魔を蹴り塀の外へと降り立つ。そのまま住宅地から離れた場所へと走り込めば、妖魔はついて行くだろう。
思った通り、二体の妖魔は家屋への侵入を止め塀から降り、道路へと着地した。その視線を集めるように某は豊和を振り回す。
「おぅらこっちだ四つ目共! 四つあるなら二つくらい背面につけとけ!」
――まあ確かに、そうだ。
とはいえ前後左右に目玉がある妖魔というのも絵面が悪い、出会いたくはないので前面四つ目で正解だろう。
妖魔が完全に某へと注目する。と、梓丸は妖魔が這っていた塀の上へと跳び乗った。完全に背を向けた二体の妖魔を、両目で見据える。
焦点を歪ませ、瞳孔を狭め入射光を軽減。生気が視界を縁取り目に入る物体の輪郭を象る。
異能『必中如矢』。
「――見えた」
叫ぶ。
「三体全て同じ箇所だ! 胴中央より十二時に十五センチ、人間の心臓にあたる部位に霊核――」
叫びが止まる。
目の前の光景を、呆然と見つめる。
梓丸の異能は視界全域に発動できる。今視界の中にいるのは某、そして鬼に似た妖魔が二体。それらが持つ急所というものが梓丸には見えるようになる。人体の急所は多いが妖魔の急所は霊核ただ一つだ。つまり急所の位置や数によって「視界の中に何が隠れているのか」も見ることができる。
今、二体の妖魔と、それらの殴打攻撃を適当にあしらっている某を確認している。であれば見えるのは人間一人分と妖魔二体分の急所のはず。
はず、なのだ。
なのになぜ。
――妖魔の急所が合計五つに見えているのか。
「×××××!」
警告に叫ぶ。
「後ろに二体!」
同時に某の背後へと突っ込んでくる巨躯。
四つ目の鬼――それが、さらに二体。
挟撃だ。
「ッく……!」
梓丸の言葉で気付いてか己の直感で気付いてか、某は横へと転がることによって背後からの襲撃を逃れた。鬼の妖魔が四体、追い詰めんとばかりに某へ迫る。背後は山の斜面――そのまま山奥へと向かえばとりあえずは「囮」という役割を担える。同じことを考えてか、某は躊躇いなく斜面へと駆け出した。その後を妖魔が追う。道中の木々が倒され薙ぎ払われ、やがて妖魔の姿は見えなくなった。
妖魔の急所が判明している上某は玄人だ、四体程度は難なく倒せるだろう。
四体。
――そう、四体なのだ。
「おかしい」
異能による開眼をそのままに周囲を見回す。確かに五体分の妖魔の存在を視認した。あと一体はどこだ。
木の陰、塀の陰、家の陰、斜面の陰。どこにもそれらしきものはいない。気のせいだったのか。
否。
戦闘時の「気のせい」は無視してはならない。これは予兆だ。予期せぬ何かが訪れる、前兆。
――肌が粟立つ。
突然のことに梓丸は全身を強張らせた。気配、それも間近に。
背後に。
「ッ!」
振り返る――それすら間に合わず、衝撃が背中を叩く。体が反り、足が浮き、骨が軋むその勢いのまま吹き飛ばされた。
轟音、路面が割れ全身を強打する。
「ッあ……!」
数度体が跳ね、横転、そして某が駆け上っていった緩やかな斜面へと激突した。ごろりと路上へ転がり落ちる。全身が痛みに圧されていた。人体であれば骨が折れていたかもしれない。
口の中に入った土を吐き出す。手をつき、膝を曲げ、どうにか体を起こし、そして。
――壱ツ、わらしべ掴み上げ、
歌を、聞く。
〈壱ツ、わらしべ掴み上げ〉
〈天まで伸びよと笑ふ吾子〉
もはや表記すらも脳内に描かれる呪いの歌が、どこからともなく幼い笑い声と共に聞こえてくる。
〈弐ツ、揃ひて皆歌へり〉
〈桜散りたる夜の風〉
〈参ツ、天照る光の隠れなば〉
〈地覆ひぬる肆ツ目鬼〉
ぞ、と悪寒が走った。
三、四の数え歌。それは、今までどこからも聞こえて来なかったはずの、歌の続き。
――三日間、天照の管理を受けられなかった地に、四つ目の鬼が湧く。
知る。悟る。
これは数え歌ではない。召喚だ、呼んでいるのだ。未来を呼んでいるのだ。
警告、忠告、予告。
――予言。
顔を上げる。異能で探さずとも、妖魔の姿は見つけられた。屋根だ、屋根の上だ。縁側を覆う庇の上、二階の窓を叩き割ろうとしている。悲鳴が聞こえてくる。甲高い子供の声だ。
駆け出す。某がこの場にいない今、できることはそれしかない。
平衡感覚を失いつつある全身で走り、家屋の元へ到達、そのまま地を踏み切り垂直に飛び上がる。一階屋根へと着地、膝を柔らかく折り曲げさらに跳躍、二階屋根の隅を掴む。両腕でぶら下がった体勢のまま下半身を後方に振り上げ、足元にあった窓硝子を蹴り破った。
硝子が割れると共に屋内へと着地、すぐさま走り出す。目的の場所へはすぐに辿り着けた。子供がいるらしい部屋の前に妖魔が立っている。窓を割り壁を手で破いたらしい、その背後は窓も壁も失われ、ぽかりと空いた空洞が暖かな外気を屋内へ流し入れていた。
妖魔が部屋へと足を踏み出す。それへと駆ける。駆けながら考える。
どうする。
梓丸は刀神だ。刀神は刀遣いに力を貸すことによって戦う。今ここに刀遣いはいない。梓丸単体では何をすることもできない。
ここに来たは良いものの、妖魔に対抗するすべなど何も持ち合わせていない。
どうする。
どうする。
歌が聞こえてくる。耳元で囁くかのように、穏やかに、楽しげに、明瞭に聞こえてくる。
〈伍ツ、揃ひて皆歌へり〉
〈稚児の腸裂く爪陸ツ〉
Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.
(c) 2014 Kei