刀神
怨念数ヘ歌之語リ 其之玖
その後、妖魔の気配がないのを確認し、梓丸達は半壊した家屋で身を休めることにした。突然の妖魔の襲来に恐怖させたことと合わせて家屋損壊の謝罪をしたのだが、子供達を妖魔から守ってくれたと逆に感謝されてしまった。守ったつもりはなかったものの――結果的にはそうなったということだろう――屋根のある場所で休めるというのはかなり助かる。とはいえ妖魔に目をつけられているかもしれないため油断はならない。
あの五体の妖魔が異常現象の要因そのものでないのなら、再び同様のことが起こる可能性がある。
「あの数え歌は予言だ」
腹へときつく包帯を巻きながら梓丸は言った。
「挑発かもしれないが」
「何であれ一つ重要なことが判明している」
床の間の方を向いて処置を行う梓丸から離れた場所で、縁側の外を見遣りつつ某が煙草の煙を吐き出す。
「結界の主は精神干渉型の妖魔の変異種だ」
「あるいは上位種か……そう断定して良いだろう。精神耐性のない者を媒介して数え歌を――呪文を唱えさせ、己の縄張りを呪術的に強化している」
ぐ、と包帯を強く引っ張りつつ梓丸は続けた。
「思ったより容易に突破できそうだ」
精神を揺さぶってくる妖魔は非常に厄介だ。妖魔によっては刀遣い同士で戦わされることもあるし、一般人を好き勝手に操る場合もある。だが言ってしまえばそれだけだ。本体そのものはそこまで強くない。妖魔の餌食になる者がいなければ、討伐は難しくないと見た。
妖魔の餌食になる者――すなわち。
「住民を集め避難させる」
包帯を巻き終わった後、立ち上がって服を羽織る。少しばかり苦しいが、皮膚が裂かれ中身がまろび出ているのだ、いつ何時妖魔が現れるかわからない以上応急処置をしないわけにはいかない。これなら直りが間に合わなくとも動けはする。
「妖魔の目的が私達であることは既に見当がついている。であれば奴を誘導し山の片隅で倒すのが一番良いだろう」
「呪術的補助をさせられている住民が近くにいないでは妖魔も本領を発揮できないだろうからな」
「城攻めと同じだ、相手の供給源を絶つ。妖魔を倒せずとも弱らせ結界を保てなくさせれば、外界と連絡が取れ住民保護も追撃もできる。……ところで」
上衣を着た後袴を履き、ようやく梓丸は背後を振り返った。応急処置を始めた時と変わらず背を向け続けている某がそこにいる。
「私は男だ。神だし。気にする必要はない」
「……お気遣いなく」
「むしろまだ生気が足りない。それほど意識するのなら逆に見てもらえた方が生気をもらえる気がする」
「発言が変態じみてるんだが……」
「私達にとっては死活問題だ。――こちらを向け」
低めた声に何を気付いてか、某がようやくこちらへと体を向けてくる。目が合う。日本人には珍しくない、鳶色の目だ。
この目もいつか白く濁るのだろうか。この頬にもいつかシミが出、しわが増えるのだろうか。声も弱くなり、喉元の皮膚は垂れていくのだろうか。背が曲がり、膝も曲がり、筋肉が衰え、そして。
いつか、死ぬのだろうか。
息を吐き出す。某へと進み出、その正面で膝を畳についた。つま先を立てたまま踵に腰を下ろし、両手の拳を腿の付け根に置く。
――跪座。
「本心を答えろ」
その膝前へと小太刀を置く。背を正し、正面で驚きを露わにしている相方へと顔を向けた。
おそらくは訊く必要もないことだ。本部の命に応じここに来た時点で覚悟はできている。これはそういう仕事だ。この男がわかっていないわけもない。
けれど、発する。
「――ここで死ぬ気はあるか」
死にゆく人間に答えさせるには重い、その問いを。
某は驚きの表情をそのままに硬直している。問われるとも思っていなかったのだろう。その問いはあまりにも平凡で、あまりにも当然で、あまりにも禁句だった。
右手の指に挟み持った煙草から湯気のように白い煙が立ち上る。柔らかな筆で一息に描いたかのようなそれは線香の煙に酷似していた。白く、細く、頼りなく――今にも途切れてしまいそうな。
某は口を閉ざしたままだった。けれどその表情はやがて状況を理解し、険を帯び、引き締まる。細められた目に微かな光が入り込む。
「……本心を言うのなら」
数秒の沈黙の後、刀遣いは口を開いた。
「死にたくはない。ここを乗り越え、正式に退職し、余生を過ごしたい」
「それは願望だろう。そうではなく」
「俺に妻がいた話はしたか」
梓丸の声に被せるように某は言った。喉元に上がりかけていた言葉を飲み込み、どうにか首を横に振る。
「……いや」
「妻と子がいた。別れたがな。だが保険金の類いは全部あいつらに渡されるようにしてある」
「別れたというのならそこまでしてやる道理はないだろう」
「嫌で別れたわけじゃない。戸籍を分けた方が何かと良かったんだ。命のやり取りを目の当たりにしていると、家族ってものがどうにも重く感じられてきて息苦しくなる。戦場では既婚者の方が生存率は高いと言うが、俺には荷が重すぎる代物だった。……仕事を辞めたら会いに行こうかと思っていた。もし向こうがまだ俺を認めてくれているのなら、戻ろうかとも」
煙草の端を咥える。先端の小さな灯火が一瞬消え、やがて某が口を離し息を吐き出すと同時に再度仄かに灯り直す。
「けど戻れなくても良いかと思う自分もいる。そばにいないのが当然になっているからか、そばにいられずとも良いかと。……けど一つ、一つだけ譲れないことがある」
男は顔を上げた。その手から一筋の煙を上らせながら、男は梓丸を見据えてくる。
直視。
「――あいつらに誇れる最期でありたい」
その一言を、告げる。
「どこで死ぬにしても、何で死ぬにしても、誇れる己で終わりたい。……これだけは譲れない」
その顔を見つめる。決意がそこにはあった。背後にした縁側からの柔らかな陽光が男を照らし、輪郭を浮かび上がらせる。煙が傍から上がり、陽の光を受けて白く透き通った。
相変わらず――癖のない男だ。
「……承諾した」
答え、梓丸は姿勢を揺らがせることなく眼前の相方へと向く。
「私は神でありお前は人間だ。我々には揺るがない関係性がある。叶えるか叶えてもらうか――その願い、しかと聞き届けた」
小太刀を掴み上げ、立ち上がる。鞘に入れたままのそれの先を某へと突き付けた。
「我は梓の木の精により人の手に委ねられ鋼から形を得し者、主なる者共をことごとく死に至らしめたが故に妖刀と呼ばわれし妖刀、それより出でたる刀神。太刀、無銘、名を梓丸」
小突くように鞘の先端でその胸部に触れる。心臓、人間の急所の一つであり重要臓器の一つにして、命を象徴する肉塊。
命。
ひとつと数える暇もなく失せる花の如き脆いもの。
「お前の願いを叶えよう、×××××」
さあ、共に参ろうか。
「――私が神であるならば、お前が人であるならば」
Thou know'st 'tis common;
all that lives must die,
Passing through nature to eternity.
(c) 2014 Kei