時間屋
4. 明日ありと思う心の徒桜 (1/2)


 時間がない。自分にも、あの子にも、彼にも。
 叶えたい。
 このままでは間に合わない。
 お願いだ、時間屋。
 どうか、どうか、私の願いを聞き届けておくれ。

***

 カラスが何羽か、大きな声で夕暮れを告げている。
「お呼びですね?」
 公園のベンチで項垂れる青年に、男は声をかけた。夕方すぎの公園は暗く、子供の姿はない。
 青年は顔を重そうに上げた。男と目が合う。生気のない目だった。この世の全てに絶望している、とでも言いたげに、男を見上げる。
「……誰だよ」
 表情のない青白い顔とは対照的に、男はにっこりと微笑んだ。
「申し遅れました。私時間屋という者です」
「時間屋…?」
「『時間屋』あなたの時間、買い取ります。買い取り価格高値! 時間安売りセールも同時開催! 時間が欲しいあなた、お金が欲しいあなた、是非お呼びください!」
 すらすらと言い、それきり黙りこんだ男を、青年は怪訝そうに眺めた。暗くなりつつある視界に紛れそうな、真っ黒なスーツ、鞄、髪、帽子。どこかのサラリーマンのような格好をした男は青年ににこりと笑みを向ける。
「時は金なり、と言うでしょう? 時間をお金に、お金を時間にするのが私の仕事です」
 青年の表情は変わらず、時間屋と名乗った男の表情も変わらない。
「時間……?」
「ええ」
「って、どういう……」
 まさか、と青年の口が動く。目を見開いた。
「寿命を、伸ばすことも……!」
 時間屋が苦笑ぎみに眉を下げた。
「いえ、そういうわけでは……大切な人との時間を、お買い上げいただけるだけです。寿命そのものを伸ばすわけでは」
「そう、ですよね……」
 青年は再び俯いた。自嘲気味な笑みを浮かべる。
「そうだよな……もう、どうしようも……」
「あなたが望んでいたことは何ですか?」
 時間屋が言った。青年が顔を上げる。時間屋と目が合った。
「……え?」
「あなたはもう受け入れている。その上で、あなたにできることがあるのでしょう?」
 時間屋は微笑んだまま、青年を真っ直ぐ見据えている。何もかもを知っているような、はっきりとした物言いに、青年は大きく目を見開いた。
「なんで……」
「地獄耳なもので」
「地獄耳、ね……」
 青年が薄く笑う。時間屋はそっと目を細めて青年を見下ろした。
「あなたが望むのならば」
 時間屋が言う。
「あなたの時間を買い上げて差し上げましょう」
「時間を……」
「それで、あなたの願いも叶いますよね?」
 時間屋の言葉に、青年は目を揺らした。ベンチから立ち上がり、よろりと時間屋に近付く。
「願い……そうだ、願いが……願いがある……どうしても、どうしても金が必要なんだ……」
 青年が時間屋にすがり付く。さすがに驚きの色を隠しきれなかったのか、時間屋は上体を僅かにのけ反らせて目を丸くした。
「頼む……金を、金をくれ……! 何だってやる、くれてやる、だから、だから」
 うわごとのように繰り返す青年に、時間屋が目を困惑に染める。
「それは……」
「頼む、頼むから」
 時間屋はその肩に手を置いて、静かな声で言った。
「……一秒千円になりますが」
「どんだけ持っていっても良い……俺の時間全部でも良い、だから、金を」
「それはさすがに……死んでしまうことになります。あなたの時間とは強いて言うならあなたの寿命ですよ」
「んなのどうだって良い! 頼む、早く、早く金をくれ!」
 僅かな希望を掴み損ねまいと必死に手を伸ばしている、そんな眼差しで青年は時間屋を見上げた。先程までとは異なる、生気が、希望が見え始めた瞳。その瞳で真っ直ぐに時間屋を見つめながら、早く、と青年は顔を歪ませる。
「じゃないと、間に合わない……」
 震える声で呟く。
「だから……だから……頼む、頼むから……」
「……わかりました」
 時間屋は胸にすがり付いている青年に、目を細めた。口元に笑みを浮かべる。
「交渉成立、ですね」
「じゃあ……!」
 願いが叶うと知った青年が喜びに頬を緩ませる。時間屋はそれに優しく、しかし悲しげに微笑んだ。

***

 桜が風に揺れた。淡いピンク色が青い空に映える。
 桜は道路沿いに植えられていた。綺麗に塗装された道路を、車が勢いよく走っていく。排気ガスがむわっと歩道に漂った。
 それを一身に浴びながらも青年は走っていた。すれ違う人は春の陽気を楽しむかのように、ゆったりと歩いている。
 息が上がる。風はまだ冷たい。目に染みて、更に鼻もぐずり始めた。背中に背負う鞄が青年の走りを邪魔する。しかし青年は走り続けた。時折息を呑み、鼻をすする。
 滲んだ視界に、桜並木が途絶えたところが見えた。見慣れた看板がそこに立っている。緑色の十字が陽光を反射して眩しい。
 車が一台、看板の横から歩道を横断していった。青年も道路脇の建物の敷地に走り込む。
 広い駐車場の奥に大きな建物が立っていた。広い出入口は相変わらず人で込み合っていて、杖をついたお年寄りからマスクをした子供までいる。青年はその中に飛び込んだ。
 白い壁が清潔感を出す建物の内部はかなり騒がしかった。看護師が患者の名前を大声で呼んでいる。待合室のテレビでは国会中継が流れていた。
 ざわざわとした人々の間を縫って走る。病室棟に通じる渡り廊下を通ってしまえば、人はだいぶ減った。階段を駆け上がる。
 走り続けたせいか呼吸が辛い。
 ある部屋の前でようやく青年は立ち止まった。一息ついて、戸をノックする。か細い返事が聞こえた。戸を開ける。
「美月」
 真っ先に飛び込んできたのは、壁も棚もベッドもシーツも真っ白な部屋の中で咲く花だった。色とりどりの花たちが誇らしげに花瓶にささっている。誰かからの差し入れだろう。
 青年はベッドに歩み寄った。横に立ち、上体を起こした女性に声をかける。
「美月」
「聡介くん」
 女性が微笑む。その微笑みに青年も笑みを返した。
「久しぶり」
「ずっと来れなくてごめんな」
「ううん、バイトとか就活で忙しかったんでしょう? しょうがないよ」
 女性の声は微笑みと同じくらい弱々しいものだった。
「ありがとう、来てくれて」
「何言ってんだよ。当たり前だろ」
「嬉しいな。聡介くんと話すと、元気になれるの」
「ならこれからは毎日会いに来る。美月が早く退院できるように、ずっと来てやるから」
「良いの? 就活で全国飛び回ってるのに」
「もうその必要はないからさ」
「え?」
「決まったんだ、就職」
「本当? おめでとう」
「だから毎日、来てやるから」
 ありがとうとまた言って、女性は微笑んだ。青年はその表情を見つめる。
「……なあ」
「何?」
「……渡したいものがある」
 青年は鞄を探った。
「なあに、改まって」
 くすりと女性は笑った。
「これ」
 青年が鞄から取り出したものを女性に差し出す。青年の手のひらよりも小さい箱に、女性は笑みのかわりに驚きを顔に表した。
「え……」
 青年が箱を開ける。
「結婚しよう」
 銀の指環が病室の明かりを受けて光る。
「結婚しよう、美月。結婚して、退院して、一緒に暮らそう」
 女性は目を丸くしたまま青年を見上げた。青年の真っ直ぐな眼差しに戸惑いを向ける。
「これ……どうやって……」
「頑張って貯めたんだ。バイトしまくったり、自分のもの売ったりして。それに、就職も決めた。この病院の近くだ。……美月のためなら俺は頑張れる。だから、美月も、俺と頑張ろう」
 女性の目が揺れる。青年はさらに言った。
「今、美月に言いたかった。今頑張ってる美月の励ましになれば良いなって、そう思って、急いで仕事決めてお金を集めて……本気なんだ、本気で、美月と一緒にこれからを生きていきたい」
 女性は戸惑ったように潤む目を青年に向けていた。やがて、わななく口を開く。言葉が漏れた。
「……駄目だよ」
 返ってきた答えに青年は目を見張った。女性が、だって、と言った色の薄い唇は、震えていた。
「だって……わたし、聡介くんと一緒に生きられない」
「え……」
「わたし、だって、わたし、もう長くないんでしょう……?」
 女性が顔を両手で覆う。青年はその様子を茫然と見下ろしていた。
 
 ***


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Doubt thou the stars are fire,
Doubt that the sun doth move;
Doubt truth to be a liar,
But never doubt I love.


(c) 2014 Kei