時間屋
7. 子の心親知らず (1/3)


 そこは、都会というには賑わいに乏しく、田舎というには華やかさが多い町だった。
 あちこちで木々がうっそうと生い茂っているかと思えば、重機が地を掘り返し更地をこれでもかと作っている。できたばかりの国道では、排気ガスをもうもうと立ち上らせた車が騒音を立てて走っていた。そのそばには、建設途中の工事現場や建ったばかりの建物がずらっと並んでいる。
 それが数年前のこの周辺の様子だった。ここ最近は、景気が急激に悪くなったとかで建設工事は打ち切られ、鉄の柱がむき出しになったまま放置されている。店のいくつかは閉店していた。それでも、作られた国道は車の往来がさかんで、騒音は絶えない。
 国道から脇道に入ると、最近できた住宅街が現れる。ここにも建設が中止になった土地がいくつか見られたが、国道沿いほどではなかった。子供達の笑い声はいつも聞こえてくるし、主婦達の愚痴の言い合いもよく聞こえてくる。
 住宅が所狭しと並び子供達の声がよく響く中、歩いている老女がいた。腰はしっかりしていて、すたすたと住宅街の奥へと歩いていく。その顔は、歩き方にしては、冴えていない。
「……はあ」
 ため息が、遠くから聞こえてくる車の音にかき消される。ここは国道が近いため、国道を走る車の音がよく聞こえてくるのだった。
「どうしたものかねえ……」
「どうしました?」
 ふとかかった声は、国道の喧噪を貫くように、はっきりと老女の耳に届いた。ハッと顔を上げる。前に誰かが立っていた。ああ、と老女はため息をつく。ぼんやりしていて気がつかなかったのだろうか、それにしては近いところにその男はいた。
 そして思う。どうして気付かなかったのか、と。
 男は目を疑うほどに黒かった。黒いスーツに、黒い帽子。黒い鞄。顔はよく見えないが、声や雰囲気から若いことがうかがえる。舗装された道路と似た、黒い格好。髪は数年前の流行りも最近の流行りも反映していない、パーマも着色もしていない黒。
 老女は足を止めて男を見上げた。気付かなかったのが変だと思うほど、真っ黒な彼はこの真新しい住宅街から浮いていた。
「お困りのようですね」
 男は微笑む。その笑みに優しさを感じ、老女は、ええ、と頷いた。
「少し、考え事を」
「何が欲しいんですか?」
 唐突な言葉に老女は目を見開いた。
「……え?」
「ああ、すみません、突然そんなことを言ってしまって」
 のんびりと笑い、男は胸元から四角いカード入れを取り出した。それも真っ黒だ。黒が好きなのだろうかとぼんやり思う。
 カード入れから一枚取り出し、男は恭しくそれを老女に差し出した。
 名刺だった。真ん中に三文字の感じが縦に並んでいるだけの、厚紙。
「初めまして。私、時間屋と申します」
「じかんや……?」
「『時間屋』あなたの時間、買い取ります。同時に時間の安価販売も受付中! お金に困っているあなた、時間が欲しいあなた、是非『時間屋』をご利用ください!」
 真顔で言い切り、ふつりと押し黙る。
「時間を……?」
「ええ。時間が欲しい方には時間をお売りし、お金が欲しい方にはその方の時間と引き替えにお金を差し上げています」
 そんなことができるものなのか。老女は時間屋を名乗った男をまじまじと見上げた。ふざけている様子は見えない。本気で、時間を売り買いすると言っているのだろうか。それともこれは夢だろうか。
 願いが叶う、という、都合の良い夢。
「いいえ、違いますよ」
 時間屋はおかしそうに笑った。
「夢でも、私の頭がいかれているわけでもありません。……って信じられませんよね」
「ああ、いえ、そんな……ごめんなさいね」
 どうやら考えていたことが顔に出ていたようだ。頭を下げた老女に、時間屋は慌てたように、いえ、そんな、と声を上げる。
「でも」
 顔をあげた老女に、時間屋は言い、微笑んだ。
「あなたがお金を――自分の命を削ってでもお金を望んでいることは、わかっています。だからあなたに声をおかけしたんですよ」
 梅野裕子さん。そう老女を呼び、時間屋は目を細める。
――お呼びですね」

***


前話|[小説一覧に戻る]|次→

Doubt thou the stars are fire,
Doubt that the sun doth move;
Doubt truth to be a liar,
But never doubt I love.


(c) 2014 Kei