時間屋
8. 鳴かぬ蛍が身を焦がす (1/2)


 ほう、と息を吐けば、白い空気が口からほわりと現れる。それを何度か繰り返し、都子はふとそばにある公園へと目を向けた。
 昼近くの公園は、小さな子供と母親らしき女性がボール遊びをしていた。ブランコのそばに設置されている大きな遊具には、滑り台の他登り棒などがついていて、小学校低学年くらいの子がいつも遊んでいる。その遊具には時計がついていた。それを何度も見、そのたびに都子はため息をついていた。
 何度目かのため息をつくと、白い息が視界を遮る。その向こうに見えた人影に都子は気付いた。彼女の元に、彼は急いでいる様子もなく歩み寄ってくる。
「よっ」
 軽く片手を上げて都子に笑いかけてきた。それを見、都子は一瞬言葉に迷う。
 今何時だと思ってるの、と怒ろうか、何かあったの、と訊ねようか。何も言わずに行こうかと歩き出せば良いだろうか。
「……沢田、遅い」
 結局白い息と共に出たのは、ふてくされたような文句だった。
「あはは、ごめんな」
 沢田は紺色のマフラーを引き上げながら笑う。
「寒くて起きれんかった」
「わたしは頑張って起きたのに。ていうか、なら、集合時間を午後にすれば良かったじゃん」
「いやあ、だってねえ……確かにそうやな」
「おい」
「まあまあ」
 ぎろりと睨み付ければ、彼はいつもの笑顔でなだめてくる。自分が悪いという自覚が見えない。それもいつものことで、都子はただため息をつくしかなかった。
「じゃあ、行こか」
 独特の方言混じりの話し方で促され、都子はこくりと頷く。
 並んで歩いていく間、会話はほとんどなかった。ただ黙々と歩く。両側に並ぶアパート達は人気がなくて、たまにある民家から人が出てくるくらい。大学が近いここは、休日の昼間であっても子供の楽しそうな声は聞こえず、とても静かだ。むしろ夜の方が酔った大学生が騒ぎながら歩いているから賑やかになる。
「……なあ、瀬田」
 ふと沢田が声を出す。
「どうするん?」
「……さあ」
「どうにかせんとあかんやろ」
「うん」
 都子の短い返答を最後に、再び沈黙が流れる。
 沢田が言っているのは、都子のバイトの先輩のことだった。都子はその人に好意を抱いていた。しかし近々その人はバイトを辞めるようで、落ち込んだ都子に、沢田はその性格に似合わない、真面目な顔をして言ったのだ。
 ――告った方が良えと思うけど?
「……言える気がしない」
「そこは頑張らんと」
「けどさ、別に言わなくても良いんだよ、わたしは。眺めてるだけで幸せだったし、そりゃ、付き合えたら嬉しいけど」
「じゃあ告ったら良いじゃん」
「簡単に言わないでよ」
「でも言った方が良いって。言った方が後悔せんよ? それに、瀬田はその人の連絡先知らんでしょ」
 時に的確な指摘をしてくる沢田は、時に厄介な人になる。都子は曖昧に頷いた。
「……うん」
「じゃあ、もういつ会えるかわからんじゃん? な、言えって」
「うーん……」
「これからその人への誕生日プレゼント買いに行くんやし。渡して、そのついでに好きですって、付き合ってくださいって言えばいいじゃん」
「だから簡単に言わないでよ……」
 相手は違う大学の四年生だった。対して都子は大学一年生。バイトで出会って半年くらいだし、シフトがよく被るわけでもない。ほぼ一目惚れだった。対して一緒にいた時間が長かったわけでもなし、特別親密度が高いわけでもなし。そんな状態で告白を敢行できるほど、都子は恋愛慣れしていない。
「シフト被ってる日あるけど、誕プレを渡す時間があるのかわかんないし……」
「時間は作るもんやろ」
「連絡がとれないんだから無理でしょ」
「あ、そうやったか」
 ぽん、と手のひらを合わせた沢田を睨み付け、都子は大きくため息をついた。ふわっと白い息が目の前に舞い上がる。
「時間、かあ……」
 沢田が呟く。
さえあれば、いけるんやろうになあ」
――でしたら」
 知らない声が聞こえたのは、その時。
 背後から聞こえた男の人の声に、都子はびくりと肩を縮めて足を止めた。そして、沢田と共に振り返る。
 二人が振り返った先に、男の人が立っていた。若い。都子達より少し年上といったところだろうか。
「時間を手に入れられるとしたら、どうしますか?」
 不思議なことを言って、その人は微笑む。
 真っ黒いスーツの上に真っ黒いコートを着たその人は、真っ黒い鞄を持ち、真っ黒い帽子をつけていた。短い髪も黒。全身が真っ黒だった。それだけでも異様なのに、その人は人なつっこい笑顔を浮かべて帽子を外す。
「沢田弘明さん、瀬田都子さん」
 初対面なはずなのに都子達の名前を呼び、その人は黒い虹彩の目を細め、笑った。
――お呼びですね?」
 学生用アパートや民家が立ち並ぶ中、その人は帽子を被り直して都子達へと視線を向けた。
「初めまして、時間屋です」
「じかん、や……?」
 突然の真っ黒い人の登場に戸惑った沢田が呆然と繰り返す。それに頷き、時間屋だというその人は無表情で口を開いた。
「『時間屋』あなたの時間買い取ります。買い取り価格高値! 時間安売りセールも同時開催! 時間が欲しいあなた、お金が欲しいあなた、ぜひお呼びください!」
 定型文句のようにすらすらと言い切り、ふつりと押し黙る。気まずいような沈黙が暫く流れた。
「えっと、つまり……どういうこと、ですか?」
 都子が訊ねる。宗教勧誘よりも意味のわからない文句だった。何を言いたいのか全くわからない。
 都子の問いに不快そうにすることもなく、時間屋は微笑んだ。人の良いその表情に、都子はなぜかほっとする。
「もし時間をお望みなら、差し上げますよという話です」
「時間を……?」
「ええ。時間屋ですから。商売なのでそれなりのお金をいただきますが」
 時間をくれるとはどういうことだろう。都子は沢田を見上げた。彼もまた都子を見、首を傾げる。どうやら彼にもよくわかっていないようだ。それもそうだろう、時間とは概念であって物ではない。商売道具ではない気がするのだ。
 でも。
「……時間をくれるんですよね」
 都子の言葉に、時間屋は頷く。沢田がぎょっとしたように都子を見た。
「ちょっ、待てって」
「だって、本当に時間がないんだもん」
「けど、こんな変な話を信じんでも」
「時間が欲しいんだもん」
 都子の言葉に、沢田は口を閉じる。都子は時間屋から沢田へと目を移した。彼の目を覗き込むように見つめる。
「……どうせ誕プレ買うなら、ちゃんと渡したいよ」
 もし告白ができなくても。
 心の整理くらい、できる気がするから。
「……そっか」
 沢田が都子の目に笑いかける。その笑顔は、いつも通りの得意げなそれで。
 けれど、どことなく寂しげで。
「瀬田がそう言うんなら、良いんやないかな」
「沢田……?」
 妙な違和感だ。いつも通りの笑顔と声なのに、都子は沢田の様子に不安を覚えた。
 ――わたし、何かを見落としているんじゃないだろうか。
「時間屋さん」
 沢田が時間屋に目を向ける。目を逸らされ、沢田の隠れた感情が探れなくなる。都子は諦めて時間屋へと向き直った。
「あの、いくらですか」
「……沢田?」
「おれが買います」
「沢田……!」
 驚く都子を無視し、沢田は真剣な表情で時間屋をじっと見つめる。沢田のその表情に、都子は戸惑った。いつもおどけて、周囲を笑わせる彼の、そんな表情を見たことがなかったのだ。
 対して時間屋は、優しい微笑みを沢田に向ける。
「一秒千円です」
「……ってどんくらいですかね」
 計算が苦手な沢田が、途端に表情を崩して苦笑いを浮かべる。都子は大きくため息をついたと同時に、いつも通りの沢田に心の中で安堵した。
「……一分で六万、五分で三十万じゃない?」
「って高っ!」
「いえ、そうでもないですよ」
 道化師のように目を丸くして口をぽかんと開けた沢田に、時間屋はにっこりと言う。
「一秒の価値は人それぞれですが、一秒で運命が変わる方もいらっしゃいます。一秒は確かに短いですが、その一秒が誰かの人生を大きく変えてしまうことだってある。一秒が誰かの命を救うことだってあります。一秒の価値はお金の単位では収まりきれないほどなんです。そう思えば、一秒千円なんて安いんですよ」
「一秒の、価値……」
 都子の呟きに、時間屋は嬉しげに目を細める。
「……わかりました」
 沢田が口を開いた。
「瀬田、三十秒で終わらせてな」
「……え」
「時間屋さん、三十秒って三万円ですよね?」
「ええ」
「じゃあそれで」
 沢田がかっこよく顔を引き締めて時間屋に言う。それを聞き、都子は呆然と沢田を見上げ――そして、顎をがっくりと落とした。
「はああっ?」
「や、だっておれ今金欠やし」
「だったらわたしが買うよ! わたしバイトのお金あるし!」
「それもそうか……いや、ええよ、おれが払う。おれが誕プレやればって言ったんやし」
「むしろ払わないでください! 三十秒って、え、三十秒って!」
 三十秒で何をしろと。
 二人のやりとりを見、時間屋はくすりと笑みをこぼした。
「大丈夫ですよ」
 その言葉に討論を止めた二人に、時間屋は楽しげな、しかし優しい笑みを浮かべる。
「一秒で変わる運命があるんです、三十秒もあれば、思いは伝えられますよ」
「だそうですよ瀬田さん」
「んな阿呆なっ!」
 かくして、都子の三十秒の戦いは設定されたのであった。
 
 ***


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Doubt thou the stars are fire,
Doubt that the sun doth move;
Doubt truth to be a liar,
But never doubt I love.


(c) 2014 Kei