短編集
05. 何てことのない五月某日の話 (1/2)


 一人、気に食わない奴がいる。
赤坂
 とそいつは笑ってオレを呼ぶ。人の良い笑みだ、思わず「おう」と明るい声で返事をしてしまいそうになるにこやかさ、親しみ、好意。しかもそいつは例に漏れず顔立ちが良かった。芸能事務所じゃ珍しくもないことだけど、こいつに関して言えば目を引かれるほどに目立っていた。
 灰色とも受け取れる柔らかな色合いの黒髪はゆるくうねり、そのふわふわ具合に似合う微笑みは綺麗さと可愛らしさとを兼ね備えている。けれど身長は低くはなく、スタイルは良い。顔立ちから何から韓流アイドルを思わせるそいつは「天才俳優」として密やかに名を馳せていた。
 オレだってそこそこに評価が良い俳優だ。見た目と性格と口調がヤンキーみたいだと言われることはあれど監督からボコボコに怒られるようなヘマをしたことはい。ネットで「演技が良い」と褒められたこともある。SNSのアカウントのフォロワー数もそこそこある。さらにこの先へ駆け上がっていける自信もある。何なら、ネットでの評価もフォロワー数も芸能界での評判もあいつよりオレの方が良い。
 ――だから、目につくんだ。
「赤坂」
 あの朗らかな声で呼ばれるたび、息が詰まるんだ。
「……何だよ」
 ぼうっと眺めていた自販機から嫌々とばかりに首を回してそちらを見る。思った通り、奴がそこにいた。単色のシャツとパンツを着こなしたその姿は安価服飾チェーン店の看板よろしく味気ない。真っ直ぐに伸びる通路、その床と天井の白、そして壁に貼られたドラマや映画のポスタ――それらの背景と馴染んでしまうほどに、もしくは背景の方が目立ってしまうほどに、素朴で薄い。
「おめでとう」
 唐突に奴は言い、ふわりと微笑む。
早瀬監督のドラマのオーディション、受かったんだってね」
「ああ……それ。まあ、な」
 ありがとう、の一言が喉につかえる。
 別に隠していたわけじゃない。けど、こいつとは仲が良いわけじゃないし、こいつと共通の知り合いがいるわけでもない。あのオーディションの結果はまだ公表されてないはずだ。
 ――どこから知った?
 そっと視線を自販機に戻す。一瞬でも見返してしまった眼差しが、目に焼き付いている。
 濃灰色の、目。
 柔らかで、透明感の高い、そして。
 隠し事全てを見通すかのような、目。
「偶然知ったんだよ。別に探ったわけじゃない」
 オレの内心を見透かしたかのように告げてくる。いや、もしかしたら本当に見透かしているのかもしれない。
 ゾッとする。
 知らないうちに掴んでいた自分の腕に、爪が食い込む。
「……それで」
 声を押し出す。震えないよう、強く、吐き出す。
「何の用だよ。まさかただ『おめでとう』って言いに来たわけじゃないんだろ」
「そうだよ」
 濁すでもなく取り繕うでもなく、そいつはやはり笑みを浮かべたまま言う。
いて言うなら、報告、かな」
「報告?」
「君の作品に僕もエキストラで参加しようと思って」
 ――エキストラ。
 無名の、役。
 新人俳優や一般人がやる、映像の背景を演出する人材。
「……エキストラ?」
「通行人Aだよ。いや、通行人Fくらいかな? けっこうな人数を募集してたから。撮影時期が他の仕事と被らなそうだしやってみようかと思って」
「何で」
 再度そちらへ顔を向ける。オレより少し低い身長のそいつを睨みつける。思わず声に出たそれは疑問の形になってしまった。
 何で。
 何でなんだよ。
「何で?」
 きょとん、という擬態語が似合う素振りで奴は首を傾げた。その仕草に、顔に、本心から何もわかっていない様子に、苛ついた。
 苛ついたんだ。
 他人のことなのに、競争相手のことなのに、どうでも良い奴のことなのに。
 どうしようもなく。
「……お前なら」
 苛ついた。
「主演だって取れただろ」
「それはどうかな」
「できたはずだ」
「赤坂は不思議な人だね。僕の仕事の内容は君に関係あるの?」
「ねえよ」
「なら、君が気にすることじゃない」
 濁すでもなく、取り繕うでもなく。
 こいつは、ポスター撮影をする時のような整った笑みで言う。
「僕に指図する必要は君にはない。非難も称賛も構わないけど、君の指示に僕は従えない」
 おめでとう、と言ってきた時と同じ声音で言う。
 真っ直ぐに、味気なく。
 ――感情の一切が読めない様子のまま。
 だからこいつが気に食わない。話していると、まるでオレが間違っているかのように感じてしまう。正論の塊、討論の皆無、冷徹、清廉。
 不気味。
 それでも。
「……あっそ」
 言いかけたたくさんの言葉のどれをも飲み込んで、押し潰して、オレは背を向けた。逃げるように身を翻してそいつから足早に離れた。
 オレは間違ってない、という確信を早く取り戻したかった。


***


 事務所の外には小さな公園がある。公園というか広場だ。近くのオフィス街の人達が休憩しに来たり、近所の住民が犬の散歩をしに来たり、たまに何かの撮影が行われたりする。季節が変わって晴れの日が増えてきているから昼食をここでる人も増えてきた。
 その一角のベンチに座った。両膝に両肘をついて、顔を伏せて、そうして。
「はああああああああ」
 大きく息を吐き出した。
 何なんだ。何なんだあいつは。本当に十四歳なのか。オレ十八歳なのに話すたびに逃げている気がするんだけど。つか何で逃げたんだっけ――逃げたくなったからだ。また、逃げたくなってしまったからだ。
 何度も、何度も、同じことを繰り返している。
 ――赤坂は不思議な人だね。
 吐き捨てるように何かを言って最終的に逃げるようにその場を離れる、それを何度も繰り返しているのだから当然の感想だ。変な奴だと思われているに違いない。それは構わない、事実、そうだから。
 けど、オレの言いたいことがあいつに伝わっている気がしない。
「はああああああああ」
「もしかして疲れているの?」
「疲れてんだろうなあ、全然上手くいかねえし……って、おあっ!」
 ガバリと上体を跳ね上げる。案の定、横にきょとんとした顔で突っ立っているあいつがいた。
天堂……何で」
「飲み物、忘れて行ったから。自販機のこれ、君のでしょ?」
 差し出して来たのは缶ジュースだった。そういえばこいつに話しかけられる前、自販機から購入したままだった気がする。
「あ、ああ、さんきゅ」
「どういたしまして」
 缶を受け取る。冷えきったそれは、あたたかな外気に晒されて僅かに水滴をっていた。
「じゃあ僕はこれで」
「え」
「これを届けに来ただけだからね。それに君、今疲れてるんでしょ? 僕と話したから」
 違う、とは言えなかった。
「ごめんね、疲れさせちゃって」
「え、あ、いや、全然」
 正直、謝ってもらっても困る。しどろもどろに返事を返せば、奴はやはりあのふわりとした笑みで「なら良かった」と当たり障りのない回答を口にした。
 そして。
「……赤坂はさ」
 珍しく声を沈ませたそいつは、近くの地面を見つめた。そちらへと目を向ければ、緑色の何かがびっしりと生えている。
 クローバーだ。シロツメクサの葉。春の陽気が心地良い時期になったせいか、あらゆる道端で花を見かけるようになった。
「四つ葉のクローバーを幸運だと思う?」
「……どういう意味だよ」
「君達はそう言うから。クローバーは三つ葉が普通で四つ葉が珍しい、だから四つ葉は幸運の証なんだって」
「まあ……そう言わなくもないけど……」
「ただの確率の話だ」
 そう言ったこいつは珍しく笑みを浮かべていなかった。考え耽るように、地面の三つ葉の群れを見つめていた。
「低確率ってだけの話。君達は確率が低いものを手に入れるととても喜ぶね。四つ葉のクローバー、ソシャゲのレアキャラ――人気監督の主役オーディション」
「……てめえ、何が言いたい」
「僕にはわからないなって話さ」
 途端、人の良い笑みがその顔に現れる。無知を無邪気に告白した幼い子供のように、奴は笑い、そしてクローバーの群れへと一歩近付いてしゃがみ込んだ。
「僕にはどれもこれもただの草にしか見えないんだ」
 ぷち、と何かを千切る音。
「葉の数が多いからって、これが植物であることには変わりない」
 立ち上がり、奴はオレへとそれを差し出して来た。
 ――色鮮やかな緑の、三つ葉のクローバー。
 視線を上へと上げる。幼い顔立ちの、しかし大人びた少年がそこにいる。
「それが、あのオーディションを受けなかった理由か」
「さてね。気分じゃなかっただけ……と言ったら、また君を怒らせるだろうから」
「そんなにオレが怖いって?」
「いいや。嫌われるより好まれる方が何かと便利って知ってるだけ。それでも君を怒らせてしまうようだけど。難しいね」
 難しいね、と言いつつその顔は反省の色もない。難易度の高い実験に繰り返し挑戦している研究者のようだ。
 差し出された三つ葉のクローバーを、その緑を見つめる。そうしてまた顔を上げて、あいつの目を見据える。
 灰色の。
 柔らかで――質素な。
「お前は」
 言いかける。言いかけて、言い淀(よど)んで、そして言い換える。
「……この色が何に見える?」
 クローバーの色―緑。春の色、始まりの色。鮮やかで、心地良い、目を安らげる色。
 それを、こいつはどう見ているんだろう。
「緑色、青色、グリーン……って答えれば良いわけじゃなさそうだね」
 奴は、静かに微笑んだ。
 慰めるように、慈しむように、愛おしむように。
 青く晴れた空を背にして。
――わからないよ」
 そう、答えた。



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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei