短編集
06. 悪役令嬢に婚約破棄を言い渡した俺は結局ボッチになった (1/2)
簡潔に言うならば。
俺は今、異世界転生をしている。
ネット広告でよく見るやつだ。なんかよくわからんが、なんだったかな、なろう系とかいう。そういえば「なろう系」って何系なんだろうな? 野郎系のなよったいバージョンだろうか。虫も殺せなそうな美少年がオラオラしてる系ってことだろうか。わからん。
「ねえ、アレイン様」
ふと横から体温が引っ付いてくる。陽光に照らされた風がふわりとした花の香りを鼻先に運んでくる。うっわ良い匂い。そして――ひっついてくる柔らかさよ。ここは天国か?
「何だい、ミナ」
意図せず声音は甘くなる。だってこの子可愛いんだもん。ぱっちりとした目は澄んだ緑、まつげは長く目元は薄くピンクがかっていて、瞬きを少しするだけで憂いめいた表情になるその儚さが美しい。身長は俺の肩に届くほど。つまり見下ろせば顔の額、眼差し、唇、そして――胸元が見える。
見ちゃうじゃん? だってわかりやすく胸を晒すドレス着てくれてるんだもん。見ちゃうじゃん? 俺は見ちゃう。
花を象徴するかのようなフリルだらけの彼女のドレスは結婚式場でしか見られないような豪華さだ。対して俺の服はというと結婚式場ですら見ることができないであろう派手さ。肩当てに下がる金色の紐、紺の生地は硬くて皺ひとつ付きそうもない。左胸にはライオンみたいな獣が白い花を背景に前足を上げている紋章。ボタンのごつさといい学生服みたいだ。けれど胸元はスーツのような襟がついていて、西洋の軍服っぽい。
日本とは違う世界なんだ、ここは。
「ぼうっとしてらっしゃいますわ。どうされました?」
「いや、ついね。君が可愛かったから」
「あら、まあ、そんな」
ミナが顔を逸らす。結い上げた髪の向こうで柔らかな頬が赤くなっている。何だこの可愛い生き物。
「そういうところが可愛い」
その赤へと顔を寄せて頬ずりする。ついでにキスを落とせば、彼女はわかりやすく恥じらった。何だこの可愛い生き物。可愛いんだが。
――とまあ、俺は今異国めいた世界の異国めいた豪邸の中で美少女といちゃこらしているのである。
あちこちに花が咲いていて、それだけでなく壁にも花が描かれていて、床はぴかぴかの大理石のような白い石、見上げれば花を持った天使が描かれた吹き抜けの天井。高所から差し込む陽光が室内を照らしていて、夜になれば使用人が壁に灯した蝋燭の炎が白い壁や床を照り、視界は幻想的な明るさになる。高層ビルなんてものはない、パソコンも自動車も電気もない。けどどうにも不便は感じられない。スマホを終始いじっていた俺でも、今や動画配信よりも使用人との会話の方が楽しく感じられている。
そもそも――以前は大勢の誰かと無駄話をする機会すら、あまりなかった気がする。
だから、俺は今、幸せだ。
「あら」
隣の美少女が不意に声を上げても。
「あれは……シェリア様?」
その可愛らしい声が俺の婚約者の名を告げても。
――小休止。
婚約者。こんやくしゃ。そういえば俺にはそんなのがいた。
げ、という声を押し殺してそちらを見る。俺達が仲睦まじく寄り添っていた庭園、その向こうにその姿はあった。凛とした高い身長、堂々とした出で立ち、切れ長の眼差し。髪は結わず、癖のないままに下ろしている。セーラー服を着せて二つ結びにでもすればあっというまにガミガミうるさい学級委員長の完成だ。それがあの女、俺の婚約者。
とはいえ俺が求婚したわけじゃない。家柄の関係でそうなっているだけだ。
「ご機嫌よう、アレイン様」
ミナの声に気付いてか、それともそれ以前から俺達に気付いていたのか――シェリアは相手を小馬鹿にするような意地の悪い微笑みを浮かべてこちらへと歩み寄ってくる。嫌な女だ、本当に。
「昼間からお盛んですこと」
「花は昼間に愛でるものだからな。そして美しい花というものは夜も美しい。だから俺は始終ミナを愛でる。それだけだ」
意訳すると「くっそ可愛い子とずっといちゃいちゃしてて何が悪い」。第一俺の好みは凛々しい女ではなく可愛い女だ。自分の欲望に忠実になって何が悪い。せっかくの転生、楽しまなきゃ損じゃんか。
「相変わらずですわね」
不満げにするでもなく、シェリアはただ微笑む。白い花をそこかしこにあしらった邸内で、黒を基調としたドレスの彼女は異様に浮いて見えた。
「ですが今はまだわたくしがあなたの婚約者。一夫多妻は認められているものの、婚礼前の複数交際は世間の批判を浴びます。ご自覚なされませ」
「安心しろ、お前との婚約はじきに破棄される」
ぐ、と隣のミナの体を抱き寄せる。見せつけるように彼女と密着する。
「お前との婚約破棄の後、正式にミナとの婚約を発表する。お前は二番目だ、シェリア。お前の家はそれでも十分だろう」
「ええ、そうですわね。アレイン様はわたしくと結婚さえできれば、国王一家の庶流たるわが父の後ろ盾を得ることができます。わたくしとしましても、どのような形であれ由緒ある家柄の方と結ばれるのならば文句はありません」
「ああ、約束通りお前の家の借金は肩代わりしてやる」
これは、政略結婚だ。
ただの利害の一致、愛も情もない形式だけのもの。
だから、外部に色恋を求めたって良いじゃん? 極上の幸せを求めたって良いじゃん? そちらを優先し寵愛しても良いじゃん?
人は幸せになるために生まれてくる、なら俺だって幸せになるために転生したに違いないんだから。
「……約束は守る。だからお前達も我が一族との約束を守れ。それ以外に何があるんだ、俺達の間に」
「いいえ、何も。悲しいほどに何もありませんわ」
そう言うシェリアの微笑みは愉快げですらある。
「なら下がれ」
吐き出すように告げる。これ以上、苛立ちと怒りを隠したやり取りができる余裕はない。
「ここを去れ。お前の顔は見たくもない」
「随分と嫌われてしまったこと。それでは、これにて」
ふわりと腰を軽く落とし、シェリアが頭を下げてくる。見惚れるほどに美しい所作だった。あの女はそういう細かなところがきちんとしている。だからこそ、この、他人を嘲笑うような笑みが気に食わない。
「そういえば、ミナ様?」
顔を上げた後、シェリアが彼女へと微笑む。その微笑みもまた、他人を嘲笑するそれだった。
「聖白花、お咲きになりまして?」
聖白花。この国に伝わる植物の名だ。この建物のみならず国のあちこちに描かれ象られている白い花、それは神の花とも呼ばれ、それが咲き続ける限りこの国は安泰であるという伝説がある。それにあやかり木彫りやら絵画やらがあちこちに飾られているわけなのだが、その花は実際に存在し、王家に連なる血族の者が育てることとなっていた。
が、時代を経て、聖白花を育てる一族は煩雑としてきている。もはや誰が王家の血を継いでいるのか定かじゃない。そのため、「王家の者が聖白花を育てる」という話から「聖白花を育てたものが王家の血筋」という話にすり替わり、現在は一家の名誉の底上げのために誰もが聖白花開花に躍起になっている。
聖白花を咲かせる――それができなければ貴族の位すら危うくなるのが現在のこの国の事情だ。
「王家の血を継ぐ父を持つわたくしがアレイン様に嫁ぐ以上、聖白花を育てられる方がアレイン様の本妻でなければアレイン様の名に傷かつきます。ミナ様はあの難解な花を育てられたのでしょうか?」
「……いえ」
ミナが顔を隠すように俺の腕へと縋りつく。
「……また、先日、枯れてしまいました」
「あら、まあ」
くすくすとシェリアが笑う。
「それは残念ですこと。そんなあなたにアレイン様の本妻が務まるのでしょうか」
「……シェリア」
「ふふ、アレイン様のお顔がとても怖いですわね。ミナ様をとても愛していらっしゃる。その愛があなたの家を没落させなければ良いのだけれど」
「消えろ」
低く言い放つ。
これだからこの女は嫌いだ。人の不幸を嘲笑っては、予言めいた不吉なことを言う。いつもそうだ。
――アレイン様は悲しいお方ですわね。
いつも。
――あなたの目は見えない誰かを探しているというのに、あなたがそれに気付くことはないのでしょう。
いつも。
睨み付ければ、シェリアは含み笑いをそのままに再度頭を下げ、背を向けて去っていった。その黒いドレスから目を離し、すぐさま隣へと顔を向ける。
ミナが身を強張らせながら俺に縋りついていた。むにゅ、とその胸が俺の腕によって形を崩し柔らかさを強調している。揉みてえ。――ではなく。
「……アレイン様」
「すまない、ミナ。追い返すのに手間取った」
「申し訳、ございません……わたくし、まだ、聖白花を、咲かせ、られなくて」
「気にするな。聖白花は管理が難しい花だ。いつか咲く、花とはそういうものだ、気にしなくて良い」
「……わたくしは嫌な女です。聖白花が咲かないことを、あなたにお伝えせず、あまつさえ……シェリア様が、わたくしの花に、何か、細工をしているのかと、疑ったりして」
「何?」
躊躇いがちに発された言葉に耳を疑った。
「それは本当か!」
シェリアは性格が悪い。けれどあれは、相手の不手際を遠くから眺めるタイプだと思っていた。使用人虐めをするとも聞いたことがない。俺が何かされたこともない。
まさか、とあの意地の悪い笑みを思い返す。
――とうとう手を出してきたのか。
「いえ、本当に細工されていたわけではないのです! けれど、何をしても、いつまでもうまくいかないから……そうなのかしらと、少し、少しだけ、思ってしまって。わたくしは駄目な女です……!」
小さな嗚咽が聞こえてくる。伏せた顔は見えず、涙は確認できない。けれど彼女は泣いていた。細い肩が震えていた。
その姿すら愛おしい。
「大丈夫」
そっと抱きしめる。彼女の胸がさらに俺の腕へとくっついて幸せな気分になる。細い腰に手を添えれば、女性らしい尻の存在が指先に感じられた。さすがにそれ以上下へ触れるのはやめておいたが、滾ったのは事実である。
俺はミナが好きだ。好きな人と一番に結婚したいし、好きな人を一番に愛したい。婚約破棄は成功させる。ミナとの婚姻も成功させる。世の中の転生物語がどういう結末を迎えるのかは知らないが、愛する女のために悪女との婚約破棄を成し遂げる男などそうそういやしないだろう。
俺はやる。
やってみせる。この腕の中の儚い少女のため、そして。
――彼女とヤッてみせるために!
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei