短編集
06. 悪役令嬢に婚約破棄を言い渡した俺は結局ボッチになった (2/2)


 そう。
 俺は転生してこのかた、まだ女性との夜を迎えていない。一夫多妻制という夢のような世界に来たというのに何たることか。真面目過ぎると言えば聞こえが良いが、家柄が良すぎて夜遊びがさっぱりできないまま成人してしまったというのが本当のところ。
 禁欲期間約二十年――長すぎる。
 だからこそ、早いところ結婚したかった。が、これまた厄介なことに一度目の結婚の後一年は置かないと次の結婚ができないことになっている。俺は早いところミナと結婚したかった。もっと言えば、早く美少女と一緒に寝たかった。
 除夜の鐘も真っ青の煩悩男、それが俺だ。
 そのために俺は奔走した。シェリアとの婚約破棄のため、ミナとの正式婚約のため。
 そして、その結果が今。
「……と、いうわけで」
 俺の努力の数日が、ここで終わろうとしている。
「シェリア、お前との婚約を破棄する!」
 朗々と響いた俺の声は舞踏会場いっぱいに満ちていった。
 舞踏会場、というかほぼパーティ会場なここは、人々が陽光の乱射する透明結晶の下で笑みを交わし、握手を交わし、酒を交わす場所。つまり大勢の人が集まる場所だ。俺の決意を表明しミナの存在を許可してもらうにはうってつけの場所だと判断した。よもやこんな場所で婚約破棄宣言をする堂々たる男などどんな物語にもいないだろう。俺、かっこいい。
「とはいえ一時的な話だ、安心しろ。ミナとの結婚が済み一年間が過ぎた後、改めてお前と婚約する」
「……はあ」
 横に立つミナの腰を抱き寄せる。きゃ、とミナが小さな悲鳴を上げる。くそ可愛い。対してシェリアは呆然としていた――というよりは、呆れた顔をしていた。大勢の前で婚約を破棄されたというのに度胸のある女だ。
「……その話をこの場でする意味がおありだったのですか?」
「こうでもすればさすがのお前も反省するだろう?」
「反省?」
「ミナの聖白花に細工をしていたな?」
 様子を見守っていた会場が一気にどよめく。それほど姑息なことだ、こういった場で糾弾しなければこの悪女は再びミナに手を出してくるだろう。
 これは愛する女を守るための行動だ。
「覚えがありませんわ」
「嘘を言うな。ミナから相談を受けて調査した。その結果、お前がミナの花に手を加えていたという証言が数多く集まったのだ」
「その話であれば、逆です。ミナ様の花に仕掛けられていた細工を幾度か取り除いたことはあります。ミナ様の聖白花には育成促進剤が使われておりました。あれは通常の花には効果的ですが、聖白花に使うと花こそ咲けど種が実らなくなります。聖白花が難しいとされるのは花が咲く前に枯れやすいからではありません。種が実らぬことが多く、年中咲かせ続けることが困難であるためです」
 すらすらと言い、シェリアはそっと視線を動かす。試すようなそれはミナへと向けられた。びくりと体を揺らしたミナを小脇に抱き寄せ、俺はシェリアの視界からミナを隠す。
 守らなければいけない。
 俺は、大切な、愛する人を、守らなければいけない。
「この場をお借りしてわたくしも申し上げますが」
 これ見よがしに溜息をつき、そしてシェリアはとんでもないことを言い出した。
「ミナ様は貴族階級の方ではございません。そもそもミナ様ご本人でもないのでしょう?」
 ――ミナ本人では、ない?
 何の話だ。
 シェリアの言葉に再度会場がどよめく。当然だ、あまりにも突拍子がない。動揺をすぐに静め、ぐ、と奥歯を噛み締める。
 この女はなんて最悪なんだ。この期に及んで俺達を阻もうとする。
 俺の幸せを、壊そうとする。
「嘘で皆の信用を得ようとする気か、シェリア。見苦しいぞ」
「嘘ではございません。アレイン様の隣に突如現れた美少女……少々気になったものですから、調べさせていたのです」
 澄ました様子で目を細める。切れ長の目がさらに鋭利なものになる。
「ミナ・サレインアーノは二年前に亡くなられておいでです。今この場にいる彼女は替え玉……サレインアーノの血統の断絶を隠すため、そしてアレイン様と結婚し王家の血筋の名を得るための、偽物です」
 偽物。
 俺と結婚し――家を保つための。
「わたくしとアレイン様の婚約はわたくし達が幼い頃に取り交わされました。その真意を知っている者も多い……愛のない政略結婚だからこそ、付け入る隙があると見込んだのでしょう。一家存続を思えば致し方のない事情とお見受けいたしますが、この国にとっての王家は『聖白花を育て国の安寧を維持する者』を意味します。王家の血筋となり国の安寧を保とうとするアレイン様を騙そうとしたのなら、それは国家反逆罪、見逃せませんわ」
「ち、違います!」
 ミナが叫ぶ。
「わたしくはミナ、ミナ・サレインアーノです! 流行り病で一度死にかけはしたものの、どうにか一命を取り留めたのでございます! 決して、決して偽物などではありません!」
 そちらを見遣る。ミナと目が合う。潤んだ――否、焦りに見開かれた緑の目が、そこにある。
「アレイン、様」
「……ミナ」
「信じてくださいませ! これはシェリア様の罠ですわ! わたくしは決して、あなたを騙そうとはしておりません!」
「ミナ」
 名を呼ぶ。幾度となくしてきたそれに、彼女は幾度となく微笑みを返してくれた。俺と同じ言葉を返してくれた。
「君は」
 なのに、なぜ。
「俺を、愛してくれているか?」
 ――先程からその一言を言ってくれない?
 愛していると、策略ではなく愛ゆえにこの場にいると。
 なぜ、そう言ってくれない?
「もちろんです、アレイン様」
 ミナは頷いた。何度も何度も頷いた。
「愛しております、ですから、シェリア様のおっしゃっていることをお聞きにならないで……!」
 この胸の内を何と言い表せようか。
 ミナは繰り返し「騙してはいない」「自分は本物だ」と繰り返す。それ以外を言う様子はない。その姿を見つめる。可愛らしい美少女が自らへと追いすがってくるその様を、見つめる。柔らかな胸元も艶やかな唇もかぐわしい香りも、今や気にならなかった。
 いつまで経ってもミナは俺へ俺の求める言葉を言ってはくれない。欲しいんだ、と願うように思う。
 言葉が欲しい。笑顔が欲しい。可愛らしいその目が、顔が、体格が。
 声が。
 ミナは理想の女性だ。求めていた女性だ。俺好みの女性だ。やっと出会えた人だ。だから。
「……俺は」
 俺は、確かに。
「君を、君のことを、好きになったんだ」
 例え偽物だったとしても。俺の地位を利用するために近付いてきたとしても。
 この少女を、名でもなく家でもなく、見た目を、性格を、声を、俺は愛したんだ。
「君は違うのか、ミナ」
「……アレイン様」
 ミナは何も言わなかった。
「あなたのその一途さ、わたくしは嫌いではありませんでした」
 シェリアが一歩こちらへと歩み寄ってくる。そちらへと自然と顔が向く。
 目が合う。
 切れ長の、黒の。
 ――黒の。
 懐かしさに安堵しかける。けれどその鋭さに身が竦む。何度目の前にしてもシェリアは苦手だった。
「あなたはいつも誰かを見つめています」
 その目を細めてシェリアが言う。
「最初はわたくしに、次にミナ様に。けれどふとした瞬間に周囲を見回し、誰かを探し、そして諦めてわたくし達へと何かを求めるように視線をお戻しになる」
 淀みなく言い、彼女は真っ直ぐに俺を見つめてきた。
「アレイン様、あなたは」
 問う。
「何をお探ししているのですか?」
 それを、問うてくる。
 何を。
 何を、探しているのか。
 知らない。シェリアの言うことはいつも不明瞭で不気味で意味が分からない。俺は常にミナを見ていた。それだけだ。それだけだった。
 ――では、ミナに出会う前は?
 シェリアだ。けれど彼女はどうにも苦手だった。だからやめた。彼女を見つめることをやめた。
 シェリアの黒い目が切れ長であることに、常に絶望したから。
「……俺は」
 誰かを探している。丸い目の、黒い目の、誰かを。
俊哉君』
 俺の名前を呼んでくれる、誰かを。
 誰か、を。
 彼女、を。
「……かなみ……?」
 ――簡潔に言うならば、俺は今、異世界転生をしている。
 生粋の日本人だった俺は、いつの間にか異国の貴族の息子として生を受け、育ち、成人した――そうだ。俺は日本人だった。そして転生した。
 転生した。つまり。
 死んだ。
「お、れは」
 
 かなみを置いて、俺は日本の地で死んだ。さよならも言えないまま一人死んだ。
 死んでしまったんだ。
「あ……ああ……」
 俺には愛した人がいた。結婚を望んだ人がいた。ずっと抱きしめていたい人がいた。その頬にキスをしたい人がいた。腰に触れ、その先に触れたい人がいた。
 かなみ。黒い目に黒い髪の、可愛い女性だった。
――う、わああ、あああああ!」
 叫んだ。
「あああ、ああああああ、ああ!」
 叫んだ。そうでもしなければどうにかなりそうだった。
 ミナから手を放し、離れ、うずくまり、俺は叫んだ。一人で叫んでいた。この声を「愛している」に変えても「大好きだ」に変えても、彼女にはもう届かない。
 触れない。声を聞くことも笑顔を見ることもできない。
 どんなに「会いたい」と叫んでも。
「……かなみ」
 もう、会えないのだと。
 とうとう気付いてしまった。

***

 死因は覚えていない。要はそういう死因だった。死ぬことに対して何ら抵抗を抱かない、そういう死に際だった。
 仕事が忙しかっただけじゃない。感染症が流行って人と会う機会が減った。旅行に行くこともままならなくなった。家族にも会えなくなった。誰かと馬鹿話をする場がなくなって、みんな理由のない苛立ちと鬱屈とした不安に押しつぶされそうになりながら口を噤んだ。結婚式もライブも何もかもがなくなって、仕事すら減って、収入も支出も減って、することがなくなった。
 かなみと会おうと思う気持ちすらなくなっていた。
 けど今ならわかる。かなみと会いたかった。家族と会いたかった。同僚と愚痴を言いあいながら酒を飲みたかったし、派手な曲調に合わせてジャンプしては隣の知らない人と肩を組んで同じ歌を口ずさみたかった。もう少し待てば、それができる世の中になっていたのかもしれない。もう少し我慢すれば、会いたい人に会いたいと思った時に会いに行けるようになっていたのかもしれない。
 もう少し、もう少し。
 ――その「もう少し」が長かった。
 スマホ一台で繋がれる友人や恋人や家族が異様に遠く感じられて、気力のなくなった自分には彼らに連絡を取ることがどうにも億劫だった。それをしたなら少しは持ちこたえられたのかもしれない。今や何もわからない。
「……」
 ベッドの上でうずくまる。
 婚約は破棄した。シェリアとの婚約も、ミナとの婚約も破棄した。今の俺には他の女性と結婚することはおろか、会うこともできなかった。
 この世界にかなみはいない。
 会う女性全員がかなみではないことに絶望するしかない。
 生まれてからずっと抱えていた表現しようのない不安、それをごまかすために女を探した。女が好きだったから女に触れていれば安らげると思っていた。目の丸くて綺麗というよりは可愛い、自分よりも背が低くて頼りなくて、でも言うときは言ってくる、そんな女性を探してはアタックして、夜を迎えようと躍起になっていた。
 けど、それはすべて、かなみを恋しく思っていたがゆえの無意識で。
 そんなことをしたって彼女にはもう会えなくて。
「アレイン様」
 扉をノックし使用人が入ってくる。その足音を聞きながら、より深くベッドの中へと潜り込み、背を丸める。
「……こちらに置いておきますね」
 かさ、と紙をテーブルの上に置く気配。
 紙。
「……また、か」
 今や会話すらしなくなった使用人が部屋を出ていくのを待ち、そっと顔を出す。芋虫のような状態のまま、手を伸ばし、それを掴み取る。
 封筒だった。二つ折りにされた紙が一つ入っているだけの封筒だ。開けずともわかっている。けれど俺はそれの封を開けて中の紙を取り出し、広げる。
『昨日わたくしの聖白花に蝶が止まっておりました。けれどよく見たらでした』
 たったそれだけの、手紙。
 返事のしようもない、報告とも言い切れないただの一言。送り主の名は封筒に書いてあった。
「……相変わらず何を考えているのかさっぱりな女だな、お前は」
 シェリアからの手紙はこれで五十七になる。俺が真実に気付き部屋に閉じこもるようになってから毎日、何を意図しているのかわからない手紙が届き続けていた。
 通り道で美味しそうな香りを嗅いだこと。赤ん坊から「せりあさま」と呼ばれたこと。石に躓いたと思ったら靴が壊れていたこと。寝起きの自分の顔が思った以上に険悪だったこと。笑ってやれば良いのか突っ込んでやれば良いのかわからない一言だけが書かれた手紙を、一瞥してはそこらに放り投げ、しかし捨てる気も起きず、机上に積み重ねたままにしている。
 あの日の後、ミナからの連絡はない。罪には問われずに済んでいるはずだ、俺がそう命じてある。彼女は血筋の絶えた貴族一家の養子として新しい人生を始めているだろう。その末に俺の元へ戻ってくるのであれば――心底からの愛は与えられないものの、大事にしてあげたいとは思っている。
 彼女は、かなみじゃない。
 それに気付いた以上、かなみの面影を彼女に重ねることはできない。
 であれば、俺は――かなみ以外の女性を、かなみではない女性として愛するなんてできはしない。いつかはできるのかもしれない。けど今は無理だ。
 手紙を見返す。達筆にしたためられた中身のない一文を、眺める。黒の切れ長の目を思い返し、その目の女がこれを書く様を想像する。
 その表情はやはり澄ましているのだろうか。
 少し考えて、そして俺はそっとベッドから這い出た。机の引き出しを開け、中からいくつかの便箋を引っ張り出す。
 今や部屋にこもっている俺に話しかけてくるのはこの女だけだった。ならば少しくらいは良いだろう。
 今は、そういう気分だ。
 椅子に座り、俺は蝶の絵が入った便箋にペン先を当てた。
『蝶と蛾を見間違える奴があるか』
 ただ、それだけを書いた。


解説

2022年05月25日作成

 Twitterの広告に出てくる漫画が設定似過ぎてるわ元婚約者の男がみんな馬鹿だわで呆れつつ寝ようとしていたら思いついたから翌日数時間で書き上げた話(タイトル並みに長い説明文)。悪役のクソぶりを主張するやり方は主人公を持ち上げるには楽なんだけどね。そいつがクソな理由に納得できないと、主人公に肩入れなんてできんのだよ。なんかそういう個人的なアレ。
 あとはまあ一度は転生だとか悪役令嬢だとかそういう流行りも過ぎて供給過多になってるやつを一度は書いてみたかった。私が書くといわゆる「なろう系」はこうなるんだね。全然なろう系じゃねえな…


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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei