短編集
8. 文披31題 31編 (3/4)
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Day18. 【群青】
空の色を「青」と呼ぶのだと教わっていた。世界にはいろんな「青」があって、それは時に水であり、時に花であり、時に布であり、目であり、絵なのだという。けれどぼくは空しか知らなかった。この街には他に青がないのだ。砂嵐から逃れるように作られた街、麻布のついたてで区切られた土地、煉瓦を敷き詰めた地面は硬く、太陽に照らされて赤々と焼けた色になる。見渡せど土色、木々は砂を被り、ぼくらは日の光に負けないようにと浅黒い肌と黒い目を持つ。視界に入る何もかもが黄色みを帯びていた。それを知っているのは、旅商人が物知りでおしゃべりだったからだ。でなければぼく達は勘違いし続けていた。
だからこそ、ぼく達は世界の本当の色を永遠に見ることができないのだと理解している。
「はじめまして」
――そのはずだった。
「今日から七日ばかり滞在させてもらうよ。ボク? ボクはね、踊り子さ」
そう言ってその子は笑った。つま先立ち、そのままくるりと回って――纏っていた鮮やかな布をはためかせた。
青の。
「青の民は舞い踊る旅人。ボク達は海を渡っていろんな街を回り、踊りを披露するんだ」
それは、見たことのない青だった。空の青をいくつもいくつも重ねたような、それでもその青には足りないような――濃い、青だった。
青色に「濃い」という表現ができるなんて、知らなかった。
「ボクの踊り、見る?」
言われて、ぼくは頷いた。
「見る」
その青に目を奪われながら、頷いた。
「はは、良い顔。じゃあ今からキミは、ボクのお客さまだ」
自分の顔を見ようともしないぼくに、その子は嫌な様子一つなく楽しげに笑う。そうして、まるでぼくにそれを見せるように両腕を伸ばしてくるりと回った。
解説
2022年07月18日作成
ウィキペディア先生曰く。群青とは本来藍銅鉱のことで、群青色とはその色のことなのだとか。そしてラピスラズリを原料とする青色顔料の色も群青色と呼ばれるんだそうで、こちらは希少だったことから「(地中)海を越える」という意味の「ウルトラマリン」という名前が付いたと。ちなみに和名の群青とは「青の集まり」「青が群がったような色」という、まあ読んで字の如く。これらのことから「海を越えてやってきた青布を纏う舞踏の民」のお話ができました。なお、青布を纏う流浪の民というのは以前とあるテレビ番組で紹介されていたトゥアレグ族という方々を参考にしています。夏というよりは暑い異国の話という感じ。
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Day19. 【氷】
びぃん、びぃん、と耳の中に蝿を入れたかのような騒音が、手のひらに乗るほどの大きさの虫が立てている音だと知ったのは、つい最近のことでした。
「全くもって五月蝿いったらありゃしない」
どかりと軒下に座れば、家の主である女がくすくす笑いながら隣へ腰掛けてきます。
「これも夏の風物詩なのですよ。しずかさや、いわにしみいる、せみのこえ」
「どこが静かなものですか。私のいた山奥の方が何倍も静かだ」
「この場合の『しずか』は音ではなく見た目の話ですよ。閑散としている、の『閑』の字をあてるのです」
言い、彼女ははだけかけた浴衣の胸元を寄せ合わせながら笑いました。その様子を私はじとりと見遣って「これだから化け狐は」とため息をつきました。
「みっともない真似をするんじゃありません」
「人間は雌の胸元に弱い。それも普段隠しているものを不意にちらりと見せてやるとですね、あっという間に我に惚れ込むのですよ」
言いつつ再び浴衣の胸元を広げようとするので、私は再び大きなため息をついてやります。この化け狐は遊び好きで、私とは全く気が合いません。金魚なる魚の描かれた薄水色の浴衣が台無しです。
「それで、どうです、人間の生活には慣れましたか」
「全然。まず、物が多すぎます。洗濯一つするのにどれだけの物資を使うんですか彼らは」
「洗濯用洗剤、柔軟剤、洗濯用ネットに、あとは」
「洗濯機、乾燥機。匂いをつけるびぃずとかいうのもある。小うるさいあなたの誘いに仕方なしに乗ってみたものの、早速嫌になってきました」
「我々は川の水ひとつで済みますからね」
はい、と狐が何かを手渡してきます。冷えた瓶です。手一つで持てるほどの大きさの青緑色の小瓶で、中央上よりに窪みがあり、中に泡の生まれる液体が入っています。私は「おお」と身を乗り出しました。
「さいだあですか!」
「お好きですよね」
「うん。これだけはあなたと共に来て正解だったと思いました」
「ふふ、そんな可愛らしいあなたに一つ知恵を授けましょう」
ぺりり、とラベルを剥がした私の手が蓋を開けようとするのを、彼女は指を添えて止めてきました。奇妙なことをするものです。見遣れば、彼女は憂いの宿る人間らしい顔立ちをいっそう悲しげにするのでした。
「そんな顔をしても私は揺るぎませんよ」
「ふむ、人間にはとても効くのですが。――サイダーを凍らせると、ただの氷になるのですよ」
言い、彼女の指は私の手を撫でました。
「炭酸入りの氷にはならない。水に溶けた二酸化炭素は、水が凍ると外へ追い出されてしまうのです。だからもし、この瓶ごと凍らせたら」
「……自ら破裂する」
「ええ」
「何が言いたい」
端的に訊ねれば、彼女はいっそう眉を下げるのでした。
「人間は暖かい生き物だったという話ですよ。だから我々の存在は妖怪として許された。けれど、人間が冷え切った今、我々は許されないものになってしまった。その不寛容さはいつか、人間を自滅させるやもしれませんね。……それで木霊殿、あなたはここで生きてくれますか?」
「さてね」
私は狐の手を振り払い、瓶の蓋を開けました。白い煙が薄らと立ち上ったその口へと唇をつけます。
「自分が妖怪たる理由を伏せてまで存命することの何が正しいのか。……でも、ま、夏だけは人間になってあなたの家に来るでも良いですね、さいだあのために」
「ひとりぼっちな我の唯一残った友としてではなく?」
「狐の甘い言葉は聞かぬことにしております」
「おやまあ、手厳しい」
狐が柔らかく笑うので、私はにぃやりと笑い返してさいだあを飲みました。
私は蝉なるものの五月蠅さも洗濯の煩雑さも嫌いですが、このひとときは嫌いではありません。
解説
2022年07月19日作成
妖怪同士の話。氷をそのまま出すのはベタすぎるので、氷解という方向で考えました。炭酸水を凍らせても炭酸の氷にはならない、というのは改めて考えてみて「そうか…!」となりましたね。炭酸の泡たる彼女らは、炭酸水という面白みを失いつつある瓶詰の水たる人間とどう関わっていくのか。許容を失うと自滅するというのは何となくわかる話です。
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Day20. 【入道雲】
あまりにも暑いので、公園のベンチに座ってひと休みをしていた時のことだ。
「もし、よろしいですか」
ハンカチがしっとりと濡れているのを嫌に思いながら汗を拭いていた私に、それは話しかけてきたのである。木陰で見上げたその人は木陰に埋もれるような色味をしていた。日の強い日は影がことさらに濃くなる。彼の白黒の着物は木陰よりも黒かった。
「お坊さんですか」
「見ての通り」
言い、彼は毛のない頭をそろりと撫でた。細身の男である。さして特徴のない痩せた面持ちは坊主という生業の清貧さを表しているかのようだった。しかし、この暑い日に黒の着物とは。見ているだけで熱が伝播してきそうである。しかし彼はというと涼しい顔をして私の前に立っているのだった。悟りを開くと暑さまでもが平気になるのだろうか。そんな馬鹿らしいことを思う。
「一つ、お伺いしたいのです」
「はあ」
「ここらで雨が降ったのはいつですかね」
奇妙なことを聞いてくるものだ。
「ここ数日降ってないですよ。日照りというやつです」
「ほうほう」
「電力不足だけじゃなく最近は水不足がどうとかとも聞くし、野菜も値上がりするし、大変ですよ。早く降って欲しいものだ」
「そうですな」
坊主はにこりと笑った。奇妙な奴だなと私は顎下の汗を拭いながら思った。
「教えていただきありがとうございます。お礼代わりに一つお伝えいたしましょう。夏の雨は、地表から生まれるのですよ」
「はい?」
「地表の高温の空気と上空の低温の空気の温度差により、地表から湿った空気が上空に上がることで、雲ができ雨が降るのです」
言い、坊主は地平を指差した。そしてそれを、ゆっくりと空へ動かしていく。
坊主の指先が天へと昇る。
真上を指差したところで坊主は手を下ろした。そして、何を言えば良いのかわからないでいる私へと両手を合わせて頭を下げてくる。
「それでは、これにて」
顔を上げた後、坊主はすたすたと去っていった。呼び止める気も起きず呼び止める言葉も思いつかないほどの素早さだった。呆然と私はその背中を見送った。何とも奇妙な坊主であった。あまりの奇妙さに、私はしばらくベンチで座り続けていた。
――気付けば、時が経っていた。
夕方である。さすがに休みすぎたなと私は立ち上がった。そして何気なく空を見上げた。
雲があった。
白を知らぬかのように晴れ渡り続けていた青の空に白の雲があった。地平の先、遠くから巻き立つようにもくもくと、それは空へ伸び上がっていた。まるでこちらへ顔を覗き込ませてきたかのようなそのこんもりとしたてっぺんは、坊主の頭によく似ている。
「……あ」
私は思わずそれを指差した。そして改めて、地平近くの暗い灰色の雲の端へと指を差し、徐々に指を上げていき、最後は白の輪郭の鮮やかなてっぺんを指差した。
――夏の雨は地表から生まれるらしい。
私は急ぎ足で公園を出た。入道雲は夕立を連れてくる。ぼうっとしていたら大雨に降られそうだ。
「雨が欲しいとは言ったが、急にどっかり降られても迷惑なんだよなあ」
私の呟きがあの坊主に届いたかどうかは、わからない。
解説
2022年07月21日作成
入道雲の「入道」は坊主頭の人、もしくは仏道に入った人のことを指します。入道雲は地表から上空へ垂直方向に成長するんだそうで、そこらへんから自分お得意の不可思議かつほんわかな話にしました。雲をなぞって指を徐々に上向けていく描写を入れたかったので、うまく取り入れられて満足です。
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Day21. 【短夜】
ほう、と蛍の光がそばへと来ましたので、私は顔を上げました。見上げた空は柳の葉に覆われております。見渡す限りの景色が全て暗闇に覆われ点々と明かりを灯しているので、今が夜だということはわかりました。私は随分と長いこと、この木の下で立ち尽くしております。それがいつからかは覚えておりません。いつかはこの木の下から立ち去らなければならないこともわかっております。
それでも私は、やはりこの柳の木の下で人の往来を眺め続けようと思います。時は経ち、路面は砂利ではない黒色のもので塗り固められ、人々は牛車ではなく馬でもない箱型の車なるもので外出するようになりました。着物ではなく一枚布を縫い合わせた上衣と股のある穿き物とを合わせた装いは私の生きていた頃とは全く異なるものです。私はもはや生者を装うには古すぎました。
それほど長い時を、私は過ごしてまいりました。
柳の下から出て、私はそばに架かる橋へと足を向けます。先程私の隣に来た蛍はどこにも見当たりませんでした。そもそも、この辺りは蛍が住まうには山を降りすぎているのです。私はかつて、この川の上流で蛍の大群を見たことがありました。この辺りで見かける蛍は、川を伝って山を降りてきた蛍でしょう。
橋の半ばまで行き、私は立ち止まります。それに応えて、橋の上にいた人影はそうっと私へと振り返るのでした。
艶やかな黒髪の、美しいおなごです。その着物は大輪の花が描かれた反物で縫われており、おなごの白い肌にさらに花を添えるのでした。
「今年もお会いできましたね」
言えば、おなごは安心したようにほほえみます。
「今年もお会いできたのですね」
「あなたが来ない夏の夜は、この数百年、一度もありませんでした」
「それを聞いて安心いたしました。わたくしの願いは今も、わたくしを生まれ変わらせ、わたくしをこの橋のふもとのあなた様へと導くようです」
「来年も来てくださいますか」
「ええ、祇園にわたくしの光が灯る頃に。来年のわたくしが無事に翅を得、橋を渡れぬあなた様の元へと飛んで来ることができたのなら」
言い、彼女は橋の隅へと身を寄せ、体を傾かせ、その向こうへと身を投げ出しました。
流々と音を立てて流れる川へと、彼女の体が落ちていきます。彼女の美しい黒髪と白磁の肌と朱の着物が、空を行く蛍の光のように私の眼へ線を残します。
彼女が落ちた先で、ふ、と明かりが灯ったのを見るのは何度目でしょうか。
一匹の蛍は川面からふわりと浮き上がるように橋の上へ戻ってきて、私の周りを数度巡った後、橋の向こうの明かり灯る煌びやかな街へと飛んで行きました。
解説
2022年07月21日作成
お題は「みじかよ」と読みます。短歌などの分野で使われる夏の季語で、夜に恋を育む昔の人々にとって夏の夜は短くて儚い、という気持ちが含まれるようです。なので恋、そして逢瀬のお話を。
このふたりに関しては二度、書いたことがあります。「柳と蛍」「柳に蛍火ともす」の二作です。毎年の夏に書いてるなあと思って確認してみたら、去年の夏と冬でしたね。毎年書いてあげられたら、毎年会えるということになるでしょうか。でも見ての通り一瞬顔を合わせて来年の約束だけしてお別れなので、短夜なんて単語が足りないくらい短い逢瀬…付け加えると、柳の男は平安時代に川の氾濫に呑まれて亡くなった方の幽霊で、蛍は柳の男が生前見た川の上流に住む蛍のn回目の生まれ変わりです。本来は死後の世界に行けていない男を連れていくために蛍が毎年の夏の終わりに死にがてら迎えに来ているんですが、この逢瀬を終わらせないためにあえて男は柳の下に留まり続け、蛍は生まれ変わるたびに本能的に彼の元へ毎年向かいます。うちの織姫と彦星です。
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Day22. 【メッセージ】
誰かへお手紙を書きたくなったので、わたしはあなたへこれを書くことにしました。あなたはわたしを覚えていますか? そもそも知っているでしょうか。わたしはあなたのことをよく知っています。そのつもりです。
あなたは昔から頑固で、筋が通らない話は嫌がりましたね。癇癪持ちで、ちょっとでも苛立ったら喚き立てる、そんな子でした。今は喚くほどの元気はないけれど、一度気に入らないと思ったらとことん嫌うという愚直で面倒なところは何一つ変わっていません。それを表に出さないよう努めるようになったのは成長というものでしょうか。ちなみにあなたの世話焼きなところは今も全く変わっていませんよ。世話焼きで目立ちたがり、的を得た発言をしたがるけれど理解力はほどほど。そのくせ注目を浴びるのは格好が悪くて嫌。あまのじゃくですね。
そういえば、あなたは「大人になりたくない」と言っていましたね。大人になったら見えるものが見えなくなるから。神様も幽霊も感じられなくなるから。筋の通った人間などいないという現実に気付いてしまうから。実際、そうでした。それどころかあなたはとことん平凡なのに関わらず、周囲と比べると頭が良いと判断されるようになります。実際の自分と周囲の評価が異なるのは良きにしろ悪きにしろ難しくなりますね。今のあなたはあなたの理想通り、周囲に馴染む良き人間として立ち回ることを楽しんでいますから、後になって周囲の期待に自分を合わせることができなくなって泣き喚くことが多々あります。あまのじゃくで世話焼きで目立ちたがりで不器用、あなたはやはり面倒な人です。
おや、これではあなたを評価しただけの手紙ですね。では最後はあなたを褒める言葉を……と思ったのですが、やはりわたしはあまのじゃくですから、あなたを素直に褒めることなどできようもありません。他人ならいざ知らず、あなたが対象となるとお得意の世話焼きもする気になりません。
ですから、一言だけ。
こんなわたしですが、どうか今後もお付き合いくださいね。
わたしへ。
わたしより。
解説
2022年07月24日作成
メッセージというので誰かへメッセージ書くか! となった結果。例えるなら西野カナの「トリセツ」。こんな私だけど笑って許してね。
…いやふざけんなって思うけども?!
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Day23. 【ひまわり】
「世界で最も美しい螺旋を知ってるか?」
彼の質問はいつも唐突だ。私は呆れ返ったふりをして、その実少しばかりの興味を持って、彼へと首を傾げてみせた。
「それは謎解きかい? それとも、純粋な知識の話かい?」
「どちらかといえば後者だ。しかし『世界で最も』などという言葉が許されるのなら、それは謎解きでもあるのかもしれないね」
「これはまた難解なことを言う」
私は彼の学生帽の下の顔を覗き見た。私より幾分か背の低い彼は学校からの帰り道に私と並んで歩くとどうにも年下に見られるらしく、行き違う人に「弟さんと帰宅かい、仲良しだねえ」と言われてしまう。私はそれがどうにも居心地悪く感ぜられてならなかったのだが、彼はというとさして気にもせずに螺旋の話を唐突に始めるのだった。
「螺旋、螺旋か。カタツムリの殻なんかはどうだろうか」
「悪くない」
「ほう?」
「というのも、自然界にはとある数列が存在する。カタツムリの殻もそれによるものなのだよ」
「これまた難しい話が始まった」
彼は田んぼの畦道を行きながら朗々と数字を並べ立てた。聞けばそれは有名な数字の並びらしく、隣り合った数字を足した数字はその次の数字と等しくなり、隣り合う数字の比率は常に一定なのであるという。私にはさっぱり訳のわからぬ話である。
「なるほど」
何もわかっていないという意味で言ってみる。これが私の弟であるわけがないので、私は彼の背の低さが、もしくは自分の背の高さが恨めしくて仕方がない。私が彼より背が低かったなら私は堂々と胸を張って兄上の隣を歩くだろう。
「これもだ」
言い、彼は道端を指差した。そこには大きな背丈の植物がにょきにょきと数本生えていた。頭のてっぺんには茎で支え切れようもないほどの大きな花が咲いている。鮮やかな黄色は晴れた青の空によく映えた。
「ひまわりか」
「これの花がその数列、つまり『世界一美しい螺旋』なのだよ」
「花が数列?」
「ひまわりという花は実のところ、幾つもの小さな花が集まってできている。その花びら一つ一つが花であり、その集まり方が例の螺旋なのだよ」
「ははあ」
「中心から、こう、ぐるりとね」
彼はそれを指差した指先で、そのまま宙に渦巻きを描いた。内側から外側へ、徐々に半径を増していく渦巻きである。
「だからこの花は『世界で最も美しい』のだ」
彼は淡々とした、けれど明るい声で言う。
「世界で最も、などという言葉が世界共通だとは思えない。美しさの基準は国それぞれであり人それぞれだからだ。けれど、この花は世界共通の基準によりその評価が許されている。だから僕はこの花がいっとう好きだ。この花は確かに、世界の誰もが美しいと指を差せる花なのだから」
ブーン、と遠くから駆動音が聞こえてくる。空の向こうを飛ぶそれは我が国のものではない。私達が幼い頃から聞こえてきているもので、たびたび遠くの地平が赤く燃えるのを見るのだった。ここだけではない、他の土地もそうだ。そして敵国の土地も我が国の爆撃機によってあのように燃えているのだと思えば、あの炎は勇気にすらなり得る。
「ひまわりの花の美しさは世界の誰もが認めるというのに、世界は未だ敵対し続けている」
「我が国日本を認めぬ他国が悪いのだ。これは我が国の強きなるを主張し守るための戦い、先生も皆そう言っている」
「ひまわりの花は一つの枠の中に美しく並ぶというのに、その美しさを知る我々はひと枠に美しく並ぶことができない」
「それ以上言うのはいくら君とて許されないぞ」
「わかっているさ」
彼は学生帽の下で笑ったようだった。
「君にしか言わないよ。僕の隣にいるのが君だからこの話をしたんだ」
――蝉と戦闘機が耳障りな、夏の日のことだった。
あの日のひまわりは、私達が随分と老いた後も、あの畦道の横で毎年美しい花を咲かせている。
解説
2022年07月24日作成
ひまわりについて調べたらなかなかに面白かった。フィボナッチ数列の話です。そういやそんな知識が頭の隅にあったようななかったような…という再発見の良い機会でした。ひまわりって苦手だったんだけど、苦手だった理由の一つが種の並びがトウモロコシみたいに綺麗じゃなかったからなんだよね。そうか螺旋だったのか…種取りながらそんな気はした記憶あるけど、気のせいだと思って頭の隅に追いやって忘れ去ってたな…
ひまわりというと実家から車で行けるところにラベンダーガーデンがあって、そこで毎年ひまわりの迷路を作ってくれていたのを思い出します。今はないのかな? でも迷路企画をやらないにしろ毎年菜の花やひまわりを植えてくれるんですよね。目にも鮮やかでお店も好きで、たまにしか行かないからレア感あってけっこう好きな場所です。
***
Day24. 【絶叫】
若月あやなは物静かだ。
彼女はいつも教室の端の席に座って本を読んでいる。特段可愛いわけでも不細工なわけでもない顔立ち、高くも低くもない身長、太っても痩せてもいない体型。校則を守ったスカート丈と二つ結びの髪は彼女の性格をよく表している。
「あやなちゃん、宿題写させて」
という同級生からの申し出を断ったことはないし、
「あの子、優等生ぶってるよね」
という周囲からの陰口に背を丸めることもなく、
「若月さん、このプリントみんなに配っておいて」
という教師の頼みを断ることもなし、
「学級委員長? 若月で良くね?」
という教室の雰囲気に逆らうこともない。
彼女には一つ下の妹がいると知ったのは授業参観日のことだった。彼女のご両親は妹の授業を一通り見た後、放課後にこの教室へ来たのだ。曰く「あやなは見なくても問題ないとわかっていますから」だそうで、もちろん彼女が不満げな顔をすることはない。当然と言わんばかりに無言でそこにいた。その後妹のおねだりで高級寿司屋へ行ったらしいと噂で聞いたが、真偽は定かではない。
そういえば彼女にはいっとき彼氏がいた。その彼氏とは一週間ともたなかったらしいが、その理由は彼女が全く遊びに行かなかったかららしい。「授業終わったらすぐ帰んなきゃいけないんだって。親が忙しいから洗濯とか掃除とかしなきゃだし妹の世話があるとかなんとか。俺には構ってくれねえの? って聞いたらさ、あの若月がだよ、びっくりしたみたいな顔して『考えてなかった』ってさ。付き合ってらんねえよ、彼氏放っといて妹に付きっきりなシスコンなんてさ」とのことだった。
若月あやなは物静かだ。これほど陰で何かを言われていても、表立って何かを言われても、彼女が胸の内を露わにすることはない。ただ、一度だけ、彼女と話をしたことがある。
「カーテン、閉めようか」
放課後、夏休み直前の委員会会議が始まる直前、窓から差し込む日差しが暑くて眩しくて、僕は汗をタオルで拭きながら隣に座っていた彼女へ声をかけた。彼女はハッとしたように顔を窓へ向けて、そして立ち上がろうとした。声をかけたのは僕なのに彼女は自分でカーテンを閉めようとしたのだ。慌てて僕は立ち上がって彼女よりも先にカーテンを閉めた。彼女は驚いていた。あの若月あやなが、驚いていた。
「……ごめん」
その小さな声は感謝ではなく謝罪の意味を持っていた。ありがとうを期待していた僕は肩透かしを食らったように黙り込んでしまった。
それだけだ。
けれど、僕は夏の日差しを遮った黄色いカーテンのそばで明らかに青ざめていた彼女の驚き顔を、その呟くような謝罪の声を、夏風に揺れる遮光カーテンを見るたびに思い出している。
解説
2022年07月28日作成
お題「絶叫」ってテーマパークのジェットコースターか夏の怪談話かじゃん、と思った。あとは日常の驚き? 何にせよ私の作風じゃない。というのも、私の話は視覚的な情報が多くて聴覚や嗅覚の描写は少ないのです。それに客観的な立場から物事を見ることが多いから、叫ぶなんてそうそうすることじゃない。というわけでお得意の真逆作戦です。心の叫び、声に出せない絶叫。
Twitterの広告漫画でこういう主人公がいて、主人公の母親と妹(父は他界)にくそむかついたのをずっと覚えていたんだな。役割を押し付けるってジェンダーもだけど、嫌とかむかつくとかじゃなくてひたすら息苦しい。苛立ちよりも悲しみに近い感情になる。あやなちゃんのそんな絶叫を描けていたら良いなと思います。
これ書いてて思ったけど、私の一人称小説ってあれだね、描写対象と語り部の間に共通の感覚があると同性同士になるし、違う感覚(赤の他人)が前提だと異性同士になるね。
***
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei