短編集
8. 文披31題 31編 (4/4)
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Day25. 【キラキラ】
星がきらめくのを 人は瞬きと称し
星がまるで眼であるかのように 言うのです
そして星は死んだ人の魂なのだとも 皆言うのです
ですからわたしは 毎夜空を見上げて
いくつもの輝く眼へ 問いかけます
「あなたはだあれ?」
答えはなく 光はそこにあるばかり
太陽が空に昇るまで
星は目覚め続けている
であれば 星達は見ているでしょう
あの人のことを
わたしへ花の冠を授けた あの人のことを
ああ、おかあさん、どうしましょう
彼の眼に わたしは落ち着かないばかり
優しい眼差しに ため息をついてばかり
ひとは恋人なくして 生きていけるものなのかしら?
そうであれば良いと 何度も星に願ったけれど
ねえ、おかあさん
聞いて欲しいの わたしの苦しみを
ねえ、名も知らぬ星の眼
聞いて欲しいの わたしの喜びを
そして導いて欲しいのです
わたしの行く末を
夏の空 鳥の十字 琴の音よ
旅人の行く先示す 北の道標よ
わたしが迷わないよう そこでずっと輝いていて
解説
2022年07月27日作成
ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト作曲「きらきら星変奏曲」より。
元々この曲は当時フランスで流行っていた「ああ、お母さん、あなたに申しましょう(Ah, vous diral-je, maman)」というシャンソンを編曲したものだそうです。その歌詞は娘が母に甘い恋を告白するというもの。そのメロディをモーツァルトが使用し、そこによそから歌詞がつけられたっぽい。元からある流行り歌→モーツァルトが変奏曲を作曲→別の場所で「きらきら星(原題:The Star)」の詩が発表されるorされている→原曲メロディに「きらきら星」の歌詞がつけられナーサリ―ライム(マザーグース)にて発表→モーツァルト作曲「きらきら星」として日本で広まっている、という変遷…らしいのだが正しいかは怪しいところ。とりあえず、ここでは「Ah, vous diral-je, maman」の詩と「The Star」の詩を結び合わせています。それだけだと「おかあさん」という存在が謎なので、「人は死ぬと星になる」という俗説を採用しました。
しっかし「The Star」、ざっと読んだけどめっちゃ言葉選び上手い。空の色の変化や星の輝きの逞しさ、頼りがいが手に取るように感じられる。詩人ってやっぱすげえわ…
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Day26. 【標本】
部屋の物が増えてきたので、断捨離なるものをしてみることにした。漢字三文字となると格好良く見えるけれど要は部屋掃除である。私の部屋はいわゆる子供部屋で、幼少期から大学卒業までずっと使っていたのだった。今は会社員で実家から離れて暮らしている、この部屋もそろそろ片付けておかなくてはいけない。
「あ、これ懐かしい」
――とはいえ長年できなかったことが今日突然できるようになるわけはなく、私の手はすっかり掃除よりも掘り出し物探しに熱中していた。
「香り付きの消しゴムだ」
小学生の時に流行った文房具だ。これはメロンの香りがする消しゴムで、色はメロン色、カバーもメロン柄。かなり消しにくくてすぐに使わなくなってしまった、実用性に欠ける思い出の品。
何の気なしにカバーを外す。消しゴムの側面には、マジックペンで小さく書いた黒文字があった。滲んでしまって読めないけれど、これは確か、おまじないだ。書いた名前を見られることなく消しゴムを使い切れたら、その名前の相手と結ばれるという、恋のおまじない。元々消しゴムを使い切ったことがないし、当時は皆こぞって友達の消しゴムカバーを外したがったから、私は家で使うことにしたこの消しゴムに憧れの先輩の名前を書いたのだった。結局使い終わらなかったし先輩とは仲良くすらならなかったけれど。
それでも、懐かしい、青春の思い出だ。
「美知佳」
名前を呼ばれて振り返る。部屋の扉手前で、部屋の中を見回し呆れと恐れとドン引きとで顔をしかめる紗世子がいた。
「……ほんっと整頓下手だよね」
「嫌だ、見ないでよ」
「見るなって方が難しいよ。――お義父さんが川から帰ってきたって。けっこう釣れたみたいだよ」
「ほんと? やった、今日はお母さんお得意の焼き魚だ!」
「食欲旺盛だね、こんな暑いのに」
パタパタとTシャツの胸元を引っ張って扇ぐ紗世子は本当に暑そうだった。ここ二階にはエアコンがない。窓を開けて扇風機をガン回しにするだけだ。
「居間にいなよ。紗世子、暑いの苦手でしょ」
「恋人の実家でのんびり寛ぐほど無神経じゃないから」
「誰も気にしないのに」
「私が気にするの。……それ、消しゴム?」
紗世子の指摘に、私は手のひらに乗せていた緑色のそれを握って隠した。目敏い紗世子は部屋に入ってきて私の手から消しゴムをふんだくった。
「あー! んもう!」
「少し溶けてんじゃん。どうせ何も考えずにプラスチックの上に放置してたんでしょ。……あ、これ知ってる。おまじないだ」
「知ってるなら尚更見ちゃ嫌!」
「いーじゃん。それとも何、今でも恋焦がれてる相手の名前なわけ?」
「それはない!」
喚きながら消しゴムを取り返す。カバーを付け直して、そして机の中に投げるように放り込む。
「でも、取っとく」
「捨てなよ。そうやって物が溜まっていくんじゃん」
「捨てらんないよ」
これは私の心の痕跡だ。心を型取ったものだ。私の一部だったもの、今はもうどこにもないもの、けれど確かにあったもの。
これを捨てたら、あの時の思い出全て忘れてしまう気がする。それは少し、少しだけ――寂しい。
「んじゃ、新しい消しゴム買ってあげる」
紗世子は私を嘲笑うでもなく朗らかに笑った。
「そこに私の名前書いといてよ」
「何それ。んじゃ紗世子も私の名前書いた消しゴム持っててよ」
「時代はパソコンだからなあー消しゴム使いきれないや」
「じゃあちっちゃい消しゴムにして、手紙書こう、手紙。私紗世子に手紙書いてあげる」
「はは、なんか面白そう。早く消しゴム使い切った方が勝ちね」
「乗った!」
夏の子供部屋で笑い合う。階下から父の私達を呼ぶ声が聞こえてきた。
解説
2022年07月28日作成
標本、というとグロ系やヤンデレ系が思いつくんだけど、そっち方面はもうおなか一杯だなということで通常運転です。標本って貴重なものを半永久的に取っておくイメージがあったんだけど、実在するものの一部を何度でも観察したりできるようにすることだそうです。鉱物の標本とかは確かに、岩の一部を持って帰ったりしてたな…ちょっと理解が間違ってたことが今回わかりました。というわけで、過去の恋心の「標本」保存、そして今後のための標本作りの話。昔のものを取っておいていつでも当時の気持ちを思い出せるようにするのも、もしかしたら標本なのかもしれない。
ちなみに消しゴムのおまじない、本当にあったやつです。誰も消しゴム一個ちゃんと使い終われなかったり失くしたりでおまじないでも何でもなかったけど笑
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Day27. 【水鉄砲】
夏の終わりに、父は戻ってまいりました。
村長さんの前でぴしりと額の横で腕を掲げて敬礼をする父は、覚えている顔よりもかなり老けているように思えました。父がお国のために軍服を着て海外へ向かったのは数ヶ月前のことです。農作業の最中に捻った足が完治するのが遅くて、父は召集に遅れて参じました。怪我が治るまでの間、ラヂオを聞きながらそわそわと膝を揺り動かしていたのをはっきりと覚えております。
ラヂオでは我が国の兵隊さんの益荒雄ぶりが朗々と報告されておりました。なのに、どうやら我が国は戦争に負けたらしいのです。
私は、正義は必ず勝つのだと信じておりました。では負けた我々は正義ではなかったのだろうか――否、そんなはずはありません。我らが天皇陛下は神であり、神が他国に劣るはずがないのです。戦争が終わり同級生の叔父や兄が帰ってくるのを見つつも、私は未だに納得できていませんでした。
そんな折、私は近所の子供達と水遊びをすることになりました。未だ暑い日が続くので、少しばかり涼しくなろうと思ったのです。大人達が働いている間、大人とは呼ばれず子供とも言い難い私は幼い子達の世話をすすんでしておりました。
我が家の庭に置いた大きな桶の中に井戸水を汲み、小さな池を作りました。子供達は歓声を上げながらその中へ素足を入れ、ぱしゃぱしゃと足踏みをします。私は桶の外でしゃがんで手で水を掬い、子供達へと掛けました。すると彼らも学んで私へと容赦なく水を掛けてきます。私達は笑い声を上げながら互いへ水を掛け合いました。道行く人々がニコニコと笑いながら私達を眺めるのが、私は嬉しくてなりませんでした。
しばらくそうして、子供達が飽き始めた頃、私は最終兵器とばかりに竹水鉄砲を取り出します。竹の筒に棒を入れ込んだ物で、先端を水中に入れながら棒を引いて中に水を取り込み、棒を押し込むことで中の水を相手へとかける道具です。突然の凶悪な玩具の登場に子供達は驚きに満ちた歓声を上げました。私は構わずその銃口を子供達へ向けて、手のひらで掛け合うよりも痛みのある水を掛けてやりました。子供達は逃げたり私へ立ち向かったりと賑やかにはしゃぎました。
――その声に、呻くような泣き声が混じったのです。
誰もが笑いをやめてそちらを見ました。父が、縁側で座って私達を眺めていた父が、目元に手を当てて俯いて泣いておりました。堪えきれないとばかりの低い泣き声でした。
「おとう」
私と子供達は父へ駆け寄りました。どこか痛むのかと訊ねましたが、父は首を振るばかりでした。
「その鉄砲を向けられた先で、お前達が笑うとるのがなあ……嬉しゅうて、悲しゅうて……」
私には父の言葉の意味がわかりませんでした。ただ、父が私の頭を撫でてくれるその手が久し振りで、少しだけにやけてしまったのは覚えております。
――父は、戦場での出来事をついぞ私に話してくれませんでした。
解説
2022年07月28日作成
毎年この時期になると二作くらいは戦争(終戦)関連の話を書くんですけど、今年は多いですね。書き続けなきゃいけないかなという気がして毎年何かしら書いてます。モチーフとして好きというのももちろんあるんですが…日本が敗戦国であることはとても重要だと思います。戦争に負けたけれど、今は、その事実が意識されないほど普通の「一国」になっている。その事実が私には興味深いです。そこに当時の人々の思いがあるんだろうし、勝ち負けではない当時の人の思いってのもあるんだろうし、それはきっと今の私達とは環境こそ違えど根本的なところは同じだと思うんです。自論かつ欺瞞ですけど。そこを書いていきたいなと思っています。戦争体験ではなく、戦争を憎むでもなく、肯定するでもなく、戦争という歴史の経過の中に生きた人と同じ生き物として。
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Day28. 【しゅわしゅわ】
覚えている物語がある。幼少の頃、確か小学校低学年の時に読んだ子供向けの話である。夏休みのある日、おばあちゃんの家に遊びに行った女の子(もしくは男の子)がそこで男の子(もしくは女の子)と出会う――そんなストーリーだったようなそうではなかったような。さして長くはない、けれど小学校低学年の教科書に載せるにしては長い話であった。実のところあまり詳細には覚えておらず、その本が表紙の厚い児童書だったか文庫本だったかすら覚えていない。挿絵はあった気がするが、アニメめいた明瞭なキャラクターではなく水彩画のように淡い白黒のイラストだったような気がしている。何もかもが曖昧だが、そこにあった飲み物の描写だけはどうにも忘れられないのだ。
それはおばあちゃんに作ってもらった飲み物だった。サイダーにレモンを搾り、ハチミツを加えるのである。名称はなく、サイダーの泡立ちとレモンの酸っぱさ、そしてハチミツの甘さの味わいがまるで私の舌にそれを乗せたかのように明確で、読みながら飲んでもいない炭酸の痛みに口をすぼめていた覚えがある。
我が家は砂糖の塊である炭酸飲料は滅多に購入しない。レモンなどスーパーでしか見たことがない。ハチミツも然り。全てが憧れであった。
大学生になり、一人暮らしを始めた私はとうとうその飲み物を自作してみた。未だ数度しか飲んだことのないサイダー、初めて買うレモン、これまた初めて買うハチミツ。普段作らない氷も作ってみた。結果はというと、ハチミツがサイダーに溶けずそこに溜まってしまったので実質レモン味のサイダーであった。けれど微かにハチミツの甘みがあり、市販のレモンではない瑞々しくも苦いレモンの味があり、ぱちぱちと遠慮なく口内を刺激する炭酸の痛みがある。あの忘れてしまった物語の、子供向けに書かれた文章、そのままの味がそこにあった。文章とはこれほど正確に感覚を伝えられるものなのかと驚愕したものである。
私は幾度かその飲み物を作った。毎度ハチミツは溶け残ってしまったが、最近知ったところハチミツはあらかじめお湯で溶かすと良いらしい。レモン汁と混ぜてからサイダーに入れるレシピも多い。しかしあの話の中ではレモンを搾ったサイダーの中にハチミツを垂らしていたはずなので、私はハチミツの固まるこの飲み物の方が正しいと信じている。
なお、この話のタイトルを知りたくてネットで幾度か検索をしたけれど、出てくるのはいつもハチミツレモンソーダなどというまるで昔からよくあると言わんばかりに有名な飲み物のレシピばかりであった。なんと、あの飲み物はあの物語だけのものではなかったらしい。思い出の田舎の味が大手量販店に大量生産されたかのような、一方的な悔しさで口をすぼめたのは言うまでもない。
解説
2022年07月28日作成
まじでこのお話探してる。調べても調べてもレシピが邪魔で何もわからない…ずっと小学校の図書館の「きいろいばけつ」とか「白いぼうし」とかそこらへんの本だろうと思っていたのに、高学年になって読み直そうとしたらどこにもないという…
当時学級文庫でクレヨン王国シリーズもたまに読んでいたし、もしかしたら青い鳥文庫かと思いつつ確信はない。当時挿絵のない本は読めなかったはずだから挿絵はあったはず…文章に書いてあるまんまの味がしてものすごくびっくりしたんだ、本当に。
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Day29. 【揃える】
フウリン森では夏になるとお祭りが始まります。キツネもタヌキも皆タイボク先生の木の下に集まって、タイボク先生の幹を提灯や短冊で飾って、夜になったら明かりを灯して先生の周りをぐるぐる、ぐるぐる、踊り回るのです。
「タイボク先生はやっぱり物知りだねえ」
大木の幹を見上げながら、ウサギの子はぴょこぴょこと耳を動かしました。
「マツリってのはそんなに楽しいものなのかい?」
「ニンゲンの真似をして毎年やっているけれど、皆楽しそうにしているよ。もちろん私も、いつも静かな私の周りが賑やかになるものだから、ちょっとそわそわしてしまうね」
タイボク先生は太い枝をさわさわと揺らして笑います。チリンチリンと枝に括り付けられた小さな風鈴が音を立てます。ニンゲンから「タイボク」と呼ばれているその木は、この森の誰よりも長生きで物知りなのでした。
「楽しみにしておいで」
「うん。兄弟達にも教えてくる。……僕らの父ちゃんと母ちゃんも、マツリをしたのかい?」
「ああ、したとも。二匹とも跳ね踊りがとても上手だった」
ウサギの子はくりくりと目を動かしてから、「そっか」と目を閉じて笑います。
「そういえばタイボク先生、あの子は来るのかな」
「あの子?」
「マイゴ。僕らと全然話ができない、ニンゲンの子供。前の満月の次の日からクマスケじいさんのほら穴に住んでるんだ」
ふむ、とタイボク先生は呟きました。
「すっかり忘れてしまっていたな。まだ、ニンゲンの村には戻ってなかったのか」
「戻りたくないって言ってたんでしょ?」
「今年も草木にはきつい年だったからなあ。戻ったとしてもまたこの森に置いていかれるか、それとも……」
マイゴと名乗ったその子は、この森の誰とも話ができませんでした。タイボク先生だけが、その子が話すニンゲンの言葉を理解できたのです。けれどタイボク先生もさすがにニンゲンの言葉は話せません。この森の誰もが、その子と仲良くできないでいました。
「僕らの父ちゃんと母ちゃんはニンゲンに殺されたから、僕はちょっと怖いな。クマスケじいさんも怖いけど、じいさんはもう木の実しか食べれないみたいだから」
「クマもニンゲンも、お腹が空いてなかったら殺しには来ないよ」
「じゃあ洞穴の前に木の実をどっさり置いてこよう。友達のリスにも頼んでみる」
言い、ウサギの子はくるくるとその場で回りました。そして立ち止まり、鼻先を照れたように前足で撫でつけます。
「……ニンゲンとも仲良くしてみたいな。マツリに来てくれたら仲良くなれるかな」
「キツネとタヌキも祭りで仲直りしたからねえ、きっと仲良くなれるよ」
「うん」
ウサギの子は頷いて、そしてお尻をふりふり森の中へと戻っていきました。
祭りの夜、森の動物達はタイボク先生の周りに集まっていました。木登りの得意な子達がタイボク先生の幹に飾りを巻いていきます。
ツタに括り付けられた笹の葉には、どれも傷がついています。各々思い思いに願いを込めながら、自分の爪で葉を引っ掻いたのです。文字を持たない動物達の唯一の文字でした。ニンゲンは夏になるとこうして願い事を竹に飾るのだそうです。
タイボク先生の枝には赤い提灯がいくつもぶら下がっていました。森の奥にあるほおずきの木から取ってきたものに、狐火を灯したものです。ほんのりとしたその明かりは、いつもの暗い森に昼とは違う明るさを与えていました。
いつもはそれだけです。あとは、皆でタイボク先生の周りを踊りながら回るのですが、今日の祭りはどうやら違うようでした。誰もが頭から何かを被っているのです。これでは、誰が誰なのかさっぱりわかりません。
「見て見て、タイボク先生」
頭から大きな白い布を被った子が言います。声と体の大きさからするに、ウサギの子でしょうか。
「クモの一家に頼んで作ってもらったんだ。これで僕が何なのかわからないでしょ。他の皆もね、いろんなのを頭から被ることにしたんだ」
「これはまた、一体どうして?」
「マイゴはニンゲンでしょ? でもここにマイゴ以外のニンゲンはいないから、来てくれないかもしれないねって皆と話し合ったんだ」
ウサギの子はぴょんと布の下で耳を立てました。
「これなら、皆同じ生き物に見えるでしょ? マイゴもひとりぼっちだって思わないよね?」
タイボク先生は驚いて、それから嬉しそうに体を揺らしました。
「それは良い案だねえ」
「何か」が遠吠えをしました。「何か」がそれに合わせてキャンキャンと鳴きました。ピィッ、ピィッ、と甲高い鳴き声に、ホウ、ホウ、という鳴き声も重なります。ぴょんと白い布を被った「何か」が跳ねて、重ね合わせた楓の葉を被った「何か」がコンコンと笑って、傘のような大きな蓮の葉で懸命に頭を隠す「何か」がポンとお腹を叩いて。
大きなもの、小さなもの、いろんな「何か」がタイボク先生の周りを回り始めました。前足をふりふり、尻尾をふりふり、踊りながらゆっくり歩いて行きます。その中に、シャツを頭から被った二本足の小さな「何か」がいました。その子の隣にいたお年寄りのクマと目を合わせて、タイボク先生はにっこり笑いました。
チリンチリン、とタイボク先生は風鈴を鳴らします。いくつもの音が一つのメロディを作っていきます。
フウリン森のお祭りは始まったばかりです。
解説
2022年07月29日作成
お題が「揃える」なので「お揃い」方面ではなく「外部の力で一様にする」という方面にしました。最後のお題が「夏祭り」なのにここで夏祭りしちゃったな。こういうお話にはウサギの子を多く出しがち。自分の中でウサギは素直さとかの象徴なんでしょうか。
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Day30. 【貼紙】
ある里の外れにとても厳つい顔の男がいた。至って普通の男だったが、真顔が怖いと子供を泣かせ、笑顔が鬼のようだと大人から逃げられるほどだった。それで男はいつも帽子を深く被っていたのだが、それはそれで不審な男だということで里の人々を怖がらせてしまっていた。
「なら宣伝したまえよ」
と言うのは男の唯一の友人である。都会住まいの彼は朗らかな細顔が優男そのものだと女に人気なのだった。
「俺は元よりこのような顔なのです、とね」
「声をかけることすら難しいんだ。歩み寄っただけで怯えられてしまう」
「なら紙に書いてそこらに貼っておけば良い。町内掲示板のようなものがこの里にもあるだろう? そこに似顔絵と自己紹介文を貼っておけば良いのさ」
「何だか気恥ずかしいな」
「物は試しだよ」
男の友人はその器用さによって紙に男の似顔絵を描いた。
「君は常に眉をひそめているから、少し眉間を開かせよう。眉毛が太いのも原因かね。口を引き結んでいるのは印象がよろしくない、頬の肉が落ちているのは老いて見える。そういえば君は眉といい目といい鼻といい口といい、全ての部位がくっきりはっきりしすぎているのだ、やわらかな雰囲気を出すためにのっぺりさせようか。……よし、完成だ」
「おいおい、待て、待ってくれ。この顔は俺じゃない。別人だ」
「別人なものか。これが君さ。騙されたと思って、これを貼っておいでよ」
男は友人の言う通り、己に似ても似つかない似顔絵を里の掲示板に貼ってきた。己の名、年齢、好きな食べ物、そういったことを綿のような吹き出し線の中に書いたその紙を貼ってきた。
数日後、男は里の皆に声をかけられるようになった。それもそのはず、男はやはり帽子で顔を隠すようにしていたからである。「アンタ良い顔をしていたのだね、せっかくだから見せておくれよ」と言われようと、男は頑なに帽子を取らなかった。おかげで誰も貼紙を疑わなかったし、男の素直さと勤勉さとに誰もが気付いて里の仲間としてあたたかく迎え入れた。
男は常に里の人々に囲まれて過ごした。そして誰もが、男のことを面持ちの優しい男だと思っている。
解説
2022年08月01日作成
たぶん夏祭りのポスターとかがお題に沿ってるんだろうなと思いつつ一捻り。友人が悪い奴だという話ではなく、里の人達が悪いという話でもない、ただの客観的なお話です。これで良かったのかどうかはわからんが、男にとっては独りぼっちじゃなくなったからまあ悪くはないんだと思う。
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Day31. 【夏祭り】
晴れた空の中央から花火の音が聞こえてくる。
「今日は町内の夏祭りだから」
母は言い、「時間があったら行っておいで」と笑いながら夜勤へ向かっていった。父は朝から町内会の仕事で不在だ。家の近くにある広い公園で行われるそれは毎年の七月末に企画されるもので、町内の大人達が屋台を出したりステージを用意したりする。夜になるとビンゴゲームが始まったり盆踊りをしたり市販の花火を打ち上げたりするのだ。子供達はというと当日はしゃぐだけなのだけれど、高校生にもなった自分は完全に子供側でいるには暇すぎて、大人側でいるには祭りの進行の手順を知らなすぎた。
二階の自分の部屋で、机に向かう。夏休みの宿題は多い。高校生にもなると宿題が各科目から出されるから、ものすごく多く感じられる。量が多ければ多いほど真面目にやらなくなるものだけどな、なんて思っているのは内緒だ。そんなことを言ったって状況は何も変わりはしない。教師という職業は慣例に従うだけで精一杯なほどに忙しい。
――世界は思った以上に僕を脇役扱いしている。
子供の頃は、自分こそが主役なのだと思っていた。頑張れば頑張っただけ褒めてもらえると思ったし、その頑張りの内容は常に正しいまので、予定通りの結果が出ると信じて疑わなかった。自分の頑張りは誰もが見ていて、自分の発想は誰よりも優秀で、自分の失敗は誰もが許してくれる、そんなふうに根拠もなく思っていた。けれど実際はどうだ。頑張りは主張しないと見てもらえないしその頑張りが理想的な結果を導くとは限らない。心が折れた時に必ず誰かが慰めてくれるということはなく、何が悪いのかわからないままに怒られることもしばしばだ。
これが世界の本当の姿なのだと、自分はただの一人の人間にすぎないのだと、僕はようやく知り始めている。
だとしたら、何も知らず自分を万能な主人公だと信じていた頃を彷彿とさせる町内の夏祭りは恥ずかしい場所だった。照れる、という意味ではなく、曖昧な笑みで立ち尽くす、という意味での「嫌な」場所だ。夏祭りの打ち合わせに参加していない自分は運営を手伝うことすらままならない。子供側として遊び回るしかない。それがどうにも落ち着かなくて、僕は今年も部屋に留まっている。近所の同級生や先輩が来なくなったのも大きい。自分だけが無知な子供のふりをするといういたたまれなさが我慢ならないのだ。
ドン、ドン、とまた花火の音が聞こえてくる。机のそばの窓から、花火の残骸めいた白煙が近所の家の屋根の上に漂っているのが見えた。昼間の花火は華やかさがなく音ばかりが大きい。打ち上げ場所が近いから、花火の白光や煙が空の向こうではなく空中のど真ん中に上がっているように見える。
近いな、と僕は呟いた。
花火が近い。夏祭りの会場が近い。
それを僕は、家の中から眺めている。それでも良いかもしれないな、なんて他人事のように思う。夕方になったら盆踊りの音楽が聞こえてくるようになるのを知っていた。子供達がステージの周りで追いかけっこをするのも、焼きそばの屋台からの煙が油っこいのも、遊ぶのに邪魔になるからと空き地の横の木に金魚すくいの金魚が入ったビニールの袋がいくつもぶら下げられているのも、いつもビールを飲んで居間でテレビを見ている父や同じ雰囲気のおじさん達が汗をかきながら会場内を歩き回って物を運んだり声をかけたり紙を覗き込みあったりしているのも、既に知っている。
夏祭りは近いのだ。目を閉じずとも足を運ばずとも、頭の中にそれはある。
僕は机の上へ顔を戻した。質の悪い紙に印刷された原稿用紙が置かれていた。国語の教師から渡された、夏休みの思い出を書く紙だった。まるで小学生みたいなその宿題は案外皆の気持ちを昂らせたようで、紙を渡された日に夏休み最終日の思い出を書き上げた猛者もいた。皆、無邪気に遊んでばかりの小学生の時には書けなかった、部活動への熱意や宿題への嫌味などを嘘偽りなく書くのだろう。
僕はシャーペンを手にその紙に文字を書き込んだ。
『今年の町内夏祭りも不参加を決め込みました。』
そんな冒頭で、書き始めた。
解説
2022年08月03日作成
夏祭りというお題なのに夏祭りに参加しない話になってしまった。なぜだ。でも高校生にもなったら地元の祭りには全く顔を出さなくなりましたね。行くのも恥ずかしいしすることはないし、同年代の友達もいないし。でも遠くから聞こえてくる夏祭りの音楽(地元の日本舞踊の音楽があるのだが、それが延々と流れている)は嫌いじゃなかった。最後にしてはしまりの悪い話になってしまったな…でも真実、私にとっての夏祭りはこんな感じなので仕方なし!
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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei