短編集
10. あの星を指差して (1/1)


 変わらないものが欲しかったんだ。だってこの世界はすぐに変化してしまう。子供は大人になるし、大人は衰えるし、行きつけの商店は閉店してしまう。お気に入りの鉛筆はいつか持つことすらできなくなってしまうし、教科書の中の物語も数年ごとに変わってしまうし、服の流行りなんてもっと酷いもので去年手に入らなかった商品が今年も店頭に並んでくれるなんてことはまずない。一期一会、そんなものはもう要らなかった。
 変わらないものが欲しかったんだ。そう、本当に。だから君とのひとときは僕のお気に入りだった。
 君はいつまでも変わらなかった。いつまでも同じことを口走っていた。さすがにその顔つきや背丈や声音は成長で変わっていったけれど、その思想は何も変わらなかった。
「君にはあの星が見えるかい?」
 そう言って君は夜の星空を指差す。広大なそれの中にぶち撒けられた胡麻粒のような点々のどれを指差しているかなんて、僕には全くわからなかった。けれど「うん」と僕は言った。事実、見えていたからだ。君がその眼差しと顔で見上げるもの、その先にある胡麻のきらめきのうちの一粒、それがどれのことなのかを僕は既に知っている。指差されなくてもわかっている。だって君は、いつもいつも変わりなくその星について語っていたのだから。
「いつかあの星に行きたいんだ」
 君は笑った。その言葉は何年も前から聞いてきたものと全く同じだった。
「あの星から地球を見てみたら、どんな風なのかな。やっぱりこの星空みたいに、どれがどれなのかわからないくらい小さく見えるのかな」
 どうだろうね、と僕は答える。このひとときが心地良かった。「どうだろうね」と答えるたび、僕は君と同じ時間を何度も繰り返し過ごしているという実感を得られた。世界は変わる。けれど僕は確かに僕で、君は確かに君だった。それが嬉しかった。周りは僕を「大きくなったね」だとか「大人になったね」だとか「立派になったね」だとかと言うけれど、僕は僕が僕のままだと信じていたかった。
 自分が自分ではない何かに変わっただなんて考えたくもなかったのだ。確かに身長は伸びて顔に髭も生えてきて、結婚して子供ができて、そうして孫も生まれたけれど、それでも僕は遠いあの日のままの僕であるはずなのだ。年老いたからって自分を「儂」とは呼びたくない。僕は僕だ。顔つきも変わった。声も変わった。周囲の環境も人々も変わった。子供服は着られない。公園で追いかけっこもできない。だけど、僕は何年も何十年もいつまでも「僕」なのだ。
 それを教えてくれるのが君だった。それを見せつけてくれるのが君だった。
 君だけだった。
 君だけ、だったのだ。
「……ああ」
 僕は笑った。他にどうしようもなくて、笑った。地面に突き刺さった縦長の石を前に、そこに書かれた君の名前を前に、膝をついて、白い花束を地面に置いて、そのまま俯いて、笑った。
「……どうしたものか、なあ」
 夢を語る君が眩しかった。昔から何一つ変わらないあの言葉が、意思が、願望が、心地良かった。僕がこの何十年と変わらない同一の僕であるという証、記憶に残らないほど遠い昔に始まった星空の下でのやり取り。それを繰り返すことすら、もう、できなくなってしまった。
 ああ、違うのだ。
 違うのだ。
 違う。
 僕が僕であるという証明、それだけではない。あのひとときが好ましかったのは、そこに君がいたからだ。君という一人がそこにいて、君という一人が星空を指差して、君という一人が目を輝かせていたからだ。
 ――君にはあの星が見えるかい?
 あの言葉が聞こえてくる。僕はその場で顔を上向かせて、そうして星空を見上げて、その星どころか全ての星が見えないことに気がついた。
 ああ、ああ。
 もう見えない。君と見上げたあの星は、もう。
 雨が降っている。顔に雫が落ちてはしわの間を伝って落ちていく。僕の上にだけ降り注ぐそれは、地面を濡らすことなく、僕の目尻ばかりに溜まってはこぼれ落ちていく。
 雨が降る。視界が歪む。もう、あの星は見えない。そんなことはどうでも良い。正直、君が話していた星が無数の点々のうちのどれだったのか、僕は正解を知らない。
 ただ、君の話が好きだった。君との時間が好きだった。何年も何十年もいつまでも変わらないその背中が、好きだったのだ。


解説

2021年02月26日作成

 あの星を指差して
 君と僕、あのひとときをまた繰り返そうか。

 ツイッター診断メーカー「あなたに書いて欲しい物語3」から【明さんには「変わらないものが欲しかった」で始まり、「夢を語る君が眩しかった」がどこかに入って、「その背中が好きだった」で終わる物語を書いて欲しいです。】というお題で。
 変わらないものが欲しかった、の一文で「変化する日々と逆らう、ずっと変わらない日々を体現する星空の下の少年」の背中が見えました。姿が変わっても環境が変わっても、ずっと同じことを繰り返す…というのは大抵は停滞の象徴ですが、今回はそれを肯定する方向性で書きました。
 『年老いたからって自分を「儂」とは呼びたくない。』の一文は私の本心です。昔話とかに出てくる「儂」呼びの老人達って昔から「儂」なんでしょうか。方言ならあるけど標準語では「儂」と自分のことを呼ぶ人っていない気がします。年老いたからって年寄りとして行動しなきゃいけない、大人になったからって大人の思考をしなきゃいけない、そういうのってとても苦しいんじゃないかな。それに逆らっている君が好きだった。この場合の”好き”の方向性は各人の解釈に委ねます。私としては何だって良いと思う。好きだったというその気持ちだけが真実で、「”好き”の内容」は解釈の違いでしかないのだから。


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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei