短編集
12. 君想ふ (1/1)


 いつぞの恋の話をしやうか、月の光の差し込む個室で語らひしあの話を。
 恋とはなむぞや。恋とは感情の究極であると君は言ふ。恋とは発情であり尊敬であり執着であり、己を認めよといふ願望と己を充足せよといふ我欲であると君は言ふ。恋とは感情の名にあらず、感情の寄せ集めであると。憤怒であり恍惚であり寂寥であると。月の下にて見るその横顔は微かに笑み、陽光を拒み月光を宿す白き花を遠目から見つめるかのやうである。けれどそこに花は無ゐ。古びたアパルトメントの軒下にそのやうな花は咲かぬ。君は何をと思ひ出してゐるのか。私にはわからぬ。
 恋とは感情の名にあらず、と君は言ふ。感情の名にあらず、感情のみなもとにあらず。恋なぞと云ふものは主体無き妄言で、幻想で、だのにそれを感情そのものなのだとか言つて存分に振り回される人間なぞ、心を見誤つたあはれなものだと。私は何も言へぬまま、君の横で窓の外を見た。窓枠の中でと空ひた白く円ゐ穴は、少しばかり天井側へと昇つたやうであつた。


 後日、君の死が新聞に載つた。女と共に入水したと云ふ、ただ一文のみであつた。それを私は眺め、読み返し、さうして新聞を閉じた。人の死を伝へる記事を切り取つて取り置きするやうな気にはならなかつた。
 恋とは感情の名にあらず。君はさう言つてゐた。君にとつての恋は他の誰もが語る恋のやうな衝動的なものではなかつたのであらう。
 であれば君は今、後悔をしてをらぬのだらう。
 ならば良ゐ、ならば良ゐのだ。
 ひとりきりになつた部屋から窓の隅の月を見上げ、私はさう小さく呟ゐた。


解説

2021年03月06日作成

 君想ふ
 遠き地で、君は幸せで居るのだらうか。

 ツイッター診断メーカー「あなたに書いて欲しい物語3」から【けいさんには「いつかの恋の話をしようか」で始まり、「ぼんやりと思い出した」がどこかに入って、「そう小さく呟いた」で終わる物語を書いて欲しいです。】というお題で。
 古い文体のものを書きたくなりました。「文豪とアルケミスト」というゲーム発のアニメで萩原朔太郎先生の詩が淡々と朗読されるシーンがあったんですが、それが印象的でずっと覚えています。旧仮名遣いにするだけでも雰囲気がセピア色になる気がしますね。私としては「私は何も言へぬまま、君の横で窓の外を見た。窓枠の中でぽかりと空ひた白く円ゐ穴は、少しばかり天井側へと昇つたやうであつた。」の文が古風な視点で好きです。いつか旧仮名遣いの詩を書いてみたいんですが、そもそも詩というものを理解できるようになったのが最近であまり読んでいないので、まだまだ先は長そうです。

 こちらは縦書きの方が雰囲気が出るなと思い、縦書きで表示してくれる小説投稿サイト「Prologue」さんにも投稿してあります。ページは【こちら
 ルビ振りはまだできないので、できるようになったら傍点を入れたいですね。縦書きの時の傍点が好きです。横書きだと中点「・」が定番なので、このサイトでは中点を使っています。


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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei