短編集
13. 言われて初めて (1/1)


 あんたさえいなければ、こんな思いをしなくて済んだのに。呆然と目の前の光景を見つめながら私はそう思う。昨日に戻りたかった。何もなかった昨日に、あんたのいない昨日に。悲しみもない、動揺もない、眩暈どころか全身を大きく揺り動かすかのようなこの動悸すら存在しない日々。平穏、普遍、オフィスと自宅を往復するだけの単調な二十四時間。だってそこにはあんたがいない。あんたという異変がいない。静かで私好みのひととき、それだけがあれば残りの人生なんてどうでも良いほどだったのに。
 けれどこいつはここにいる。私の目の前に、いる。癖の強い髪、何かを見つけ出したかのような目、細身ながらしっかりとした体はくすんだ色のスーツに包まれていて、その胸元には見慣れたロゴマーク。
「俺、お前のことが好きみたいだ」
 そんな言葉、会社の廊下で私みたいな可愛げを忘れた同僚に言うものじゃない。不快、不快、そうだ不快だ。息ができない、目が逸らせない。何だか心臓が変な鼓動を立てている。どうすれば良いの、こいつをぶん殴ってしまえば全てなかったことになるの? 
 行き場所のわからない手が自らの口元を覆う。このまま喉の奥に指を突っ込んで言葉を引きずり出してこいつに投げつけたい。馬鹿、何ふざけたこと言ってんの。あんたが私をどう思ってるかなんて興味ない、興味ないから素知らぬふりをしてきたのに。
 こいつ、私のこと嫌いじゃないみたいだな、なんてずっと前から知ってた。でもそれだけだ。自覚のない感情なんて他人である私の知ったことじゃない。害もないし興味もないから無視してきた。なのに、なのになんで今更それに気付くのよ。
 ああ、昨日に戻りたい。あんたが気付かなかった日々に、私が気付かないふりをしていた日々に。
 ――私が私の気持ちを知らないままだった日々に。
 どうして、どうして。こんなの気付きたくなかったのに。どうして時計の針は止まりもしてくれないの。


解説

2021年03月09日作成

 言われて初めて
 「それ」が私の中にもあったことを知る。

 ツイッター診断メーカー「あなたに書いて欲しい物語3」から【あけるさんには「あなたさえいなければ」で始まり、「昨日に戻りたかった」がどこかに入って、「時計の針は止まらない」で終わる物語を書いて欲しいです。】というお題で。
 言われて初めて自分の中の気持ちに気付いて自分がびっくりすることってあるよね。恋愛に限らず、実は粘着質だとか実は収集癖があるだとか、他人から指摘されて初めて気付くことってけっこうあります。これは明確に指摘されたわけじゃないけど、ってお話。言われなきゃ気付かなかったっていうのは相手のことだけじゃなかった。
 まあほぼ実話ですけどね! 創作屋としてはなかなかに良い経験でしたのでこうして昇華。かなり困ったしパニックになったけど。


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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei