短編集
14. 優しい手 (1/1)


 優しい嘘なら許されますか? それとも、優しい嘘ですら許されないのでしょうか? たとえるのならばそれは心の傷を増やさないための配慮で、たとえるのならばそれは誤解させないための気遣いで、たとえるのならばそれは痛ましい事実に気付かないようにとその目元を布で覆う慈愛なのです。それすらも許されないのだとしたら、この世界に存在する現実はもっと柔らかく美しく軽やかであるべきでしょう。
 私達の目の前で繰り広げられる二十四時間三百六十五日休憩なしの終幕なき舞台は、舞台と呼べるほどの整合性すらありません。妥当性もありません。盛り上がりも唐突で、役者も不揃いで、主題は不鮮明で、商品として何一つ完成していません。未来ある登場人物が突然死ぬかと思えば、三歩先も見えていないような人が長々と舞台の真ん中を占領していますし、「性なき者にも人権を」と唱える男と「女性に自由を」と叫ぶ女が同じ舞台で隣り合って演説を繰り広げ、その奥では「皆が苦労しているのだからお前も苦労しろ」と個人を殴る群衆があります。見るに耐えない作品です。この地球という丸い舞台の上を管理すべき神という名の監督は、いずこかへと消え去ってしまいました。舞台のあちらこちらで人が叫び、人が泣き、人が憂い、人が笑い、人が思考し――たくさんの不格好な物語が数え切れないほど上演されているのです。
 このような世界を嘘偽りなく見続けろというのはあまりにも酷い話でしょう。その純朴な眼へ突き刺さるべきは光であり槍ではありません。その小さな手が受け取るべきは愛であり憎悪ではありません。その儚い全身は知性の気配を遠方から運んでくる風に包まれるべきものであり、身近な土地で地団駄を踏む靴裏に踏み潰されるものではないのです。そのはずなのです。
 だから私は、足元へと膝をついて手を伸ばします。コンクリートの隙間から顔を覗かせる小さな可愛らしいたんぽぽの蕾は黒ずんだに覆われて、僅かに内側の鮮やかな黄色が見えていました。この子はきっと美しい花を咲かせるのでしょう。きっとこの無機質なコンクリート一面を華やかな場所へと変貌させるのでしょう。星よりも月よりも太陽よりも眩しい、周囲を明るく照らす道標となるのでしょう。
 私はその茎へと手を伸ばします。そうして、ぷつりとそれを折り曲げて引きちぎります。蕾のまま、たんぽぽは私の手の中で細く揺れました。突然足元を失って驚いているようでした。けれどこれで良いのです。この世界は人の手では何も変えられません。この舞台には監督がいないのですから。舞台の端と端と真ん中と奥と手前とで叫ばれる全ての主題へ、万人に受け入れられる円満な結末を準備することは、神ではない誰にとっても不可能なのですから。
 なら、その混沌の中へと飛び込ませ苦しませる必要などないでしょう。この世界には咲かずとも良い花がある――我欲だとしても、不要なお節介だとしても、悪だとしても、それでも私はそう思うのです。


解説

2021年03月10日作成

 優しい手
 この手がいつか、不要となりますように。

 ツイッター診断メーカー「あなたに書いて欲しい物語3」から【明さんには「優しい嘘なら許されますか」で始まり、「三歩先も見えない」がどこかに入って、「咲かない花もある」で終わる物語を書いて欲しいです。】というお題で。
 咲かない花もある、という言葉は好きですね。花だからといって咲かなくてはいけないというのはあまりにも窮屈です。今回は咲く前の花を摘み取って守ろうとする人の姿を思い浮かべたので、こういうお話になりました。厭世的なのは日頃の鬱憤かもしれない。「三歩先も見えない」はおそらく目の前に霧があってひとりぼっちになっているような、ちょっと寂しい感じを想定した文だと思うんですが、あえて悪い意味で使ってみました。
 このTwitterお題を載せる時に短文も添えるんですが、今回のは暗くて自分勝手なお話に優しい花を添えるような一文ですね。「この手がいつか不要となりますように」。これが「私」の本心なのかもしれません。
 ちなみに世界を舞台に見立てるのはシェイクスピア由来です。たぶんよく多用する表現。


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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei