短編集
15. しゃぼん玉になりたい (1/1)


 泡になってしまえたら、私の何がこの場所に残るのだろう。きっと何も残らない。人魚姫でさえあぶくにしかならなかったのだもの、綺麗な声すら持っていない私が何かを残せるはずがない。きっとこの傷だらけの腕も、がりがりで色気のない体も、ぼろぼろの髪も、綺麗さっぱりと溶けて消えてなくなって、そもそもそこにいたことすら忘れ去られてしまうんだ。
 だからね、私は泡になりたいって言ったんだよ。なのに君はどうして顔を輝かせるの? 素敵、なんて身を乗り出して言ってくるの?
「それ良いね! 泡になりたいだなんて考えてもみなかった!」
 放課後の夕焼けに溺れる教室の中で、夕焼け色を頭から被った君は夕焼けよりも眩しい笑顔で私を見る。
「泡になれたらどこまでも飛んで行けるね! どこまでも、屋根の上まで、その先まで、ずうっと! 空の色と海の色と、地面の色と、この世界のいろんな色を混ぜこぜにして取り入れて、きらきらしながら旅ができるんだね!」
 もちろん、そんな明るい意味合いなんてなかったよ。私がイメージしていたのはしゃぼん玉じゃなくて水の泡、空気が水の中から上へと上って大気中に消えていくあれ。なのに君は、勝手にしゃぼん玉だと思い込んで。
 けど、私は訂正しなかった。訂正しないまま、そうだね、って言ったんだ。
「……ずっと、ずっと遠くまで行けたら……きっと楽しいから、ね」
 騙されてあげたかったの。君の満面の笑顔に、本当に嬉しそうな君に、気付いてないことにしてあげたかったの。だから私は言い直さないまま、君の言ったことと私のイメージは同じだね、私も空を飛びたいって思ってたんだよって嘘を言ったんだ。
 だって、わかってた。
 本当は。
 君が。
 ――冬が終わる頃、桜はまだ芽吹かない季節の変わり目、私は一人で屋上に立つ。手の中には卒業証書を丸めて入れた筒、それから透明なフィルムに巻いてリボンで留められた一輪のピンクのチューリップの花。
 屋上に立って、私は空を見上げた。いつしか見た、あの夕焼け色がそこにあった。空も学校も街も世界も、何もかもが夕日に焼かれて炎上している。そのまま燃えてしまえば良いのに。全部全部、燃えて燃えて炭になって真っ黒になってしまえば良いのに――なんて、言えなかった。
 君にしか、言えなかった。
 君は私の気持ちをわかってくれる唯一の人だった。だからわかってた。本当は君が、泡になりたかったってこと。しゃぼん玉じゃなくて水の泡になりたかったんだってこと。だからあの日、君がここから飛び降りたって知った時は驚かなかったよ。少し寂しかっただけ。私も一緒に連れて行って欲しかったな、なんて。
 でも君は先に泡になっちゃった。もう誰も君のことを話題にしない。君の席は席替えの時に運び出されていたし、君の卒業証書はどこにもない。君は本当に水の泡になっちゃったんだ。私を置いて。私と君が同じ気持ちだったこと、私も君もわかっていたのに。
 でも、私と君は同じで違う。私は君と同じ泡にはなれない。何度ここに立っても、なれなかった。今日もなれないままだ。そしてもう、私がここに立つことはない。
 だからね。
 私はしゃぼん玉になろうと思うんだ。
 君が本当になりたかったもの、私が本当になりたかったもの。きらきらとしていてふわふわと漂っている、空と海と地上と、世界中のいろいろなものをないまぜにして詰め込んだ綺麗な色を抱えて飛ぶ空中の泡。そこに君を混ぜてあげる。水の泡として混ぜてあげる。そうして一緒に飛ぼう。まだしゃぼん玉へのなり方はわからないけれど、だけどいつか、知ってみせるから。
 そうしたら君と一緒にしゃぼん玉になってみせるから。
 だから私は、もう少し、もう少し――生きてみようと、思うよ。


解説

2021年03月14日作成

 しゃぼん玉になりたい
 君と一緒に、どこまでも飛んでいこう。

 ツイッター診断メーカー「あなたに書いて欲しい物語3」から【けいさんには「泡になってしまえたら」で始まり、「騙されてあげたかった」がどこかに入って、「もう少し生きていようと思う」で終わる物語を書いて欲しいです。】というお題で。
 最後の締めが明るい感じなので、明るい締めになるようなお話にしました。泡、といえば人魚姫ですね。騙されてあげたかったとのことだったので、嘘を嘘とわかっていながら受け入れたような感じかなと思い、こうしてこのお話ができました。泡から始まるのでどうしても終始明るいとはなりませんでしたね。それが良いのかもしれない。卒業シーズンだったから卒業のお話にしたんですが、それも良い感じに働きましたね。うまくまとまってくれました。


前話|[小説一覧に戻る]|次話

Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei