短編集
18. アイノカタチ (1/1)
ぴょい、とうさぎの子は顔を上げました。肌の上を冷たい風が吹いていきます。ぶるると全身を震わせてうさぎの子はもう一度、さっきよりも首を長く伸ばして空を見上げました。
そこにおひさまの姿はありませんでした。お休みの時間なのです。おひさまのいない空は地の果てまでも暗く、黒く、うさぎの子の白い体毛さえも見えなくなってしまいそうです。けれど怖くはありませんでした。おひさまとそっくりのおつきさまが、おひさまの代わりに輝こうと頑張ってくれていたからです。
うさぎの子は夜が好きでした。ひとりぼっちになるような、自分が宙に溶けて消えてしまうような、そんな不安を心優しいおつきさまが拭い去ってくれるからです。
だからうさぎの子は夜になったらおうちから抜け出して、おつきさまのいる空を見上げます。そうしておつきさまと一緒に夜の森の中を散歩するのです。おつきさまはとても優しいので、うさぎの子とどこまでも一緒に来てくれます。それが嬉しくて、うさぎの子は夜が好きになったのです。
今日はどこに行こうか。
とことことうさぎの子は森を歩きます。草の中へと頭を突っ込んで、ガサガサとその中を歩いていきます。するとどこからか鳴き声が聞こえて来ました。耳を畳んで背を低くして、うさぎの子はそちらを見ます。
そこにいたのはたぬきの親子でした。おかあさんとおとうさんの間でたぬきの子が忙しなく顔を動かしています。すりすり、と茶色の毛並みの中に鼻先を埋めているたぬきの子の表情に、まるでおつきさまと散歩をする時の自分みたいだな、とうさぎの子は思いました。
おかあさんが我が子の頬を鼻で小突きます。それへとくすぐったように身をよじらせて、たぬきの子は逃げるようにおとうさんの背中へとよじ登ります。
その様子をうさぎの子は見つめて、そして音を立てないようにと静かに草むらを抜け出しました。
次に見かけたのはふくろうの夫婦でした。木の上で二羽揃って並んでいます。特に鳴き声を上げることもなく、互いへと何をするわけでもなく、ずっとそこにいます。何かを見つめているのかと思って、うさぎの子はその木の下をそっと通って二羽の顔を見上げてみました。二羽は目を瞑っていました。何も見ず、何もせず、けれど離れることなく揃って木の枝に掴まっているのでした。
少し考えて、うさぎの子は足音を忍ばせてその場を後にしました。とことこと森の中を歩きます。おつきさまもすすすっとうさぎの子についてきます。
うさぎの子とおつきさまは森の木々を抜けた先へと辿り着きました。そっと木陰から顔を覗かせてそちらを見つめます。一軒家の軒先、縁側に人間がいました。人間の子を膝に乗せたおじいさんです。
「ねえ、じいじ」
人間の子が顔を上向けておじいさんを見上げます。
「つきがきれいですね、ってどういう意味?」
「おや、風流なことを知っているね」
「友達が言ってたの。お前、有名な先生のお言葉なんだぞ、知らないのかって」
「大人びたことを言う友達だね」
おじいさんが笑います。
「それはね、あなたのことが好きですよって意味なんだよ」
「おつきさまを好きなんじゃなくて?」
「そうだよ。おつきさまを一緒に見上げられる相手のことが愛しく思える、そういう言葉なんだ。大好きという意味の愛の言葉なんだよ」
「ふうん」
よくわからない、と人間の子はおじいさんの膝から飛び降りて空を見上げました。その丸い目におつきさまの光が入り込んで、おつきさまの色に輝きます。
「でも、おつきさまが綺麗なのは知ってる!」
「それでいいよ、今はまだ。……そら、もう寝る時間だ。おいで」
人間の子がおじいさんのもとへ戻り、二人は揃って家の中へと入っていきます。
「じいじ、手ぇ繋いで」
「いいとも。今日は一緒に寝ようか」
「うん!」
二人の背中を、うさぎの子は見つめました。その繋がれた小さな手と大きな手を、見つめました。
とことことうさぎの子は一軒家の庭先に出ました。そうして、あの人間の子どものように空を見上げました。
おつきさまがいます。ずっと、ずっと、うさぎの子を見守るように追いかけてきていたおつきさまが、そこにいます。その光はおひさまよりも弱くて、白いうさぎの子を灰色に見せるほどです。物陰に何がいるのか見えにくいですし、夜の風は冷たくて身震いしてしまいます。
けれど。
とても、綺麗です。
そして――たぬきの親子のように、ふくろうの夫婦のように、人間のおじいさんと子どものように、あたたかい優しさと一緒にうさぎの子のそばにずっといてくれるのです。
うさぎの子は後ろ足で立って、ぐうっと首を伸ばして、空へと顔を寄せました。たぬきの子がしていたように、おつきさまへとそっと鼻先をすり寄せようとしました。もちろん、おつきさまにうさぎの子の鼻は届きません。それでも首を伸ばして、その淡い光へと少しでも近付こうとしながら。
――月が、綺麗ですね。
あの人間の子どもが言っていた言葉を、心の中で呟くのでした。
解説
2021年03月20日作成
アイノカタチ
これからもずっと、一緒にいようね
ツイッターのタグで「文字書きさんILoveYouを訳してみてください」というのがあって、それに「手を繋ごうか」と返したことからこの話を書きました。手を繋ぐという動作には様々なシチュエーションと心があります。恋人同士の愛しさもしかり、家族への慈しみもしかり、赤の他人への気配りもしかり。それらすべてを人は愛と呼ぶのだそうです。
私が優しいお話を書く際、うさぎさんがよく出てくる気がします。short(old)に入っている「とんびの空」もうさぎがとんびの子を導くんですよね。私の中のうさぎさんはそういうイメージがあるのかもしれません。
この数ヶ月で短編をたくさん書いてきましたが、それらを一冊の本にまとめるとしたらタイトルは「アイノカタチ」だと思っています。いろんな愛の形をいろんな文体で書いていきたいものです。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei