短編集
20. 冷蔵庫の中にあるものは (1/1)
※注意
R15G作品です。閲覧注意。
空っぽの冷蔵庫を見つめた、深夜二時。丑満時、だなんて言われる時間帯は百鬼夜行なんてものはどこにもおらずただただ静かなばかりで、蝿のような唸り声だけが冷えた箱の中から聞こえてくる。ぶうううん、ぶううううん。そういえば、とその音を聞きながら思う。時計の音、柱時計の音、それを「ブウウウウーン」なんて表現した文豪がいた。蝿の羽ばたきのような小うるさい音、耳元で蚊が飛んでいるような鬱陶しさ、それでいてついつい聞き入ってしまいそうになる低い振動音。
ぶうううん、ぶうううううん。
ああ、耳に残る。もう眠れない。冷蔵庫の扉に手をかけて、暗がりの中に灯るちゃちな蛍光灯の明かりを見つめる。蝿が飛んでいる。どこに? 冷蔵庫に。冷蔵庫の周り、もしくはその内側に蝿がいる。
ぶうううん、ぶうううん。
蝿が集っている。ごみ捨て場のような腐臭に引き寄せられて、集まってくる。冷蔵庫に。冷蔵庫に? 冷蔵庫は食材を清潔なまま保管しておく場所、蝿や不潔や腐敗とは無縁の場所。なのに蝿がいる。
蝿、蝿。そうか、蝿がいる。
この冷蔵庫には蝿がいる。夜中の街灯に集う羽虫のように、腐った何かに引き寄せられて集まってきた。
腐った何か。
冷蔵庫の中は空っぽ。
いいえ、いいえ、きっと残っているのね。臭い、欠片、もしくは存在そのものが。冷蔵庫に入れていたものの残滓が。いくら冷蔵庫とはいえ数十日経てば臭うもの。きっとそれが、今になってまろび出てきたのね。
ちゃんと水で洗ったはずなのだけれど。ちゃんと中身を掻き出しきったはずなのだけれど。血抜きもした、キッチンペーパーに包みもした。ポリ袋にも入れた。処理は間違ってなかったはず。それでも臭うのね。まるで密室から逃げ出そうと必死になるみたいに、まるで下半身を掴まれて引き摺られていくのに腕だけで抵抗しようとするみたいに、冷蔵庫の中からあの残り香がはみ出してくる。
ぶうううん、ぶううううううん。
蝿が飛ぶ。腐臭に歓喜して、空っぽの冷蔵庫の中で飛び回っている。
ああ、そう。そうだった。冷蔵庫の中は空っぽじゃない。ある。まだ、残ってる。シチューの残り。鍋一つ分の、余り物。白いお皿に入れた白いそれを、白い冷蔵庫の中で見逃していたみたい。
手を伸ばしてそれを取り出す。まるで棺桶から骨を取り出したみたいね。白い棺桶の居心地はいかがでしたか? すうっと冷えて、蝿の唸り以外何も聞こえなくて、良いところだったでしょう?
シチューの具材は、人参と玉葱、それからじゃがいも。あと、そう、大切な一品。
お肉。
そうだ、これを温め直して食べましょうか。ちょうどお腹が空いてしまったの。腐ったらもったいないし、何より。
――あなたをいつまでも一人にはしておけないわ。
一緒になりましょう。蝿のワルツを聞きながら、蝿の恨めし声を聞きながら、シチューを食べてしまいましょう。それが良い、それが良い。このまま放っておいたらいつか腐るもの、食べられるのだから食べてしまいましょう。それが正しいのです、食べ物は大切に、余すことなく、全て使い切りましょう。命は大切に大切にいただきましょう。内臓は炒めて、脳みそは溶かして、骨は出汁にして。爪はこんがり焼けば美味しそう。
どの部位も捨てはしない。全部、全部、価値のある大切な命。そんなことを当たり前にしているこの世界は限りなくやさしいですね。そうは思いませんか?
解説
2021年03月30日作成
冷蔵庫の中にあるものは
とても素敵な、大切なもの。
ツイッター診断メーカー「あなたに書いて欲しい物語3」から【けいさんには「空っぽの冷蔵庫を見つめた」で始まり、「私はもう眠れない」がどこかに入って、「世界は限りなく優しい」で終わる物語を書いて欲しいです。】というお題から。
どうしてこうなったかというとちょうどとある同人ゲームの話題を目にしまして、ああ懐かしいなってなったからです。「暗い日曜日」っていうゲームなんですけど。けっこうな暴力有同性強姦有殺人有血まみれぐちゃぐちゃ切迫ホラー有のR15Gなんですがかなり感動する。何かを見てガチ泣きすることまずないんですけど、これはクリア後数分くらい声上げて泣いてました。ハッピーエンドがハッピーなのかわからん…でも幸せルートには違いない…大丈夫な方はやってみてくれ。外れないから。数年前から作者様のブログも動かずエイプリルフール恒例の没ネタパロネタゲーム解禁もなく、寂しい限りです。作者様の生存すら確認する手立てがない…
その作品の中に冷蔵庫が出てくるんです。ブウウウーンンって唸る冷蔵庫が…中身は空だったり入っていたり。夢野久作の「ドグラマグラ」とイギリスの「切り裂きジャック事件」を知っていると二度三度おいしい作品です。まだ残ってるならニコニコ動画に序盤のプレイ実況があったはず。私はあれで雰囲気を見て購入を決めました。マイナーなので探しにくいかもしれないけど、プレイ後の感想で悪評言ってる人ひとりもいないし悪評自体全く見たことないからほんとお勧めできる。
…ただの宣伝になってないかこの作品解説文。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei