短編集
21. つばさをください (1/1)
羽があれば飛べるでしょうか。この高い高い展望台の上から、地の彼方に沈もうとしている太陽の輝きの中へ、飛んでいけるでしょうか。硬くて厚いこのガラスを突き破って、重力に引きずられるように落ちて、風圧に抗いながら翼を広げて、羽ばたいて、羽ばたいて、やがて浮力で体が軽くなって、そうして展望台から見える街全てを通り越したその先へと飛んでいけるのでしょうか。
太陽、というと、どこかの国に蝋の翼の物語があったことを思い出します。彼は結局翼を溶かしてしまって太陽の元へ辿り着く前に墜落してしまうけれど、それでもかなりの距離を飛んでいたはずです。彼が生きていた土地などとうの彼方へと吹き飛んで、翼が残っていても戻れないほどに遠く遠く離れていたはずです。
翼があれば、飛べるでしょうか。遠くへ、遠くへ、ここではないどこかへ、見たことのない景色の中へ、飛んでいけるでしょうか。
けれど私には羽はありません。ガラスを突き破れる力もありません。自分のいる街をただひたすらに見下ろすだけです。後ろでは子供達がはしゃぎ、隣では男女が身を寄り添わせながら指を伸ばして、あれが何、これは何、と建築物の名前を言い当てています。
眺めている間に夕日は沈んでいきます。良いのか、良いのか、本当にこちらへ飛んでこなくて良いのか、と私に囁き嘲笑いながら地平の奥へと去っていこうとしています。それを、私は見つめることしかできないのです。空は飛べません。ガラスも割れません。叫んでも、叩いても、何をしたって私はこの展望台の外に身を投げ出すことはできないし、エレベーターを使って見慣れ切った地上へ降りるしか選択はないのです。
つまらない生き物。
私は残念な生き物です。足があり腕があり目があり耳があり、物を掴み会話をすることさえできる万能な生き物だというのに、この広い空間に住んでいながら行きたいところへ行くことすらできないのです。空があり街を見下ろす展望台を作れるというのに、空の中へと飛んでいける機能は持ち合わせていないのです。環境に適応できない生き物は死滅するといいます。では、私という生き物もいつか絶滅するのでしょうか。
あ、と誰かが声を上げたのを聞いて、私はいつの間にか俯いていたことに気付きました。夕日の嘲笑に顔を背けてしまっていたことに気付きました。睨めっこに負けた気分です。せめてもの抵抗に、あの燃える輝きが勝ち逃げしていく様を見つめ続けなければいけなかったのに。
顔を上げます。太陽の光を失った街があります。祭りを終えた後のような、ああ終わった終わった、何もなくなったしここにいても何にもならないから帰るか、と言いたげなつまらない雰囲気が漂う紺色の光景です。
その中に、一つ。
点滅する何かが空を横断していきました。
息を呑みました。誰に何を言われたわけでもなくそれへと視線が奪われました。いいえ、確かに誰かが言ったのです。聞こえたのです。
――目を逸らさないで。
見つけて。見つめて。その小さくて確かな輝きを目に焼き付けるように、太陽を睨むように。
それに気付いて、と。
暗くなった空の中を、両の翼をぴしりと広げた機体が飛んでいきます。遠くへ、遠くへ、先程私が夢見た軌跡をそのままなぞりながら、太陽の哄笑を追いかけるように地平の彼方へと、飛んでいきます。
飛んで、いきます。
「ひこうき!」
誰かが叫びます。流れ星を見つけたように、それを指差して笑います。
流れ星。
流れ星なら、三度です。三度、その瞬きが駆けていく間に願い事をすれば叶うのです。
願いが。
どんな。
それは、ただ一つの。
空を、大地を、太陽を、追いかけ追い越しその先へと。
飛んでいく――羽。
羽。
羽を、手に入れる。
夢。
「――会いに行く」
声が聞こえてきます。
「会いに行く」
聞き慣れた、張りも美しさもないつまらない声が。
「その翼に、会いに行く……!」
三度。
急いで踵を返して、エレベーターへと駆け込みました。地上へ降りて、つまらない日々へと戻って、そうしてやらなければいけないことがあるからです。
あの翼に、会いに行く。
三度祈りました。三度宣言しました。であればこれは叶います。叶えます。叶えなければいけません。私はあの翼を手に入れて、太陽に追い付いて、追い越して、さらに先へと飛んでみせるのです。もう嘲笑させない。もう俯かない。
遠くに飛んでいくあの夢に、私は地上を走って走って追いかけて、追い付いて、いつかその羽でこの空を飛んでみせるのです。
解説
2021年04月06日作成
つばさをください
いいえ、必ず手に入れてみせる。私が、私の手で。
ツイッター診断メーカー「あなたに書いて欲しい物語3」から【炯さんには「羽があれば飛べるでしょうか」で始まり、「目をそらさないで」がどこかに入って、「夢は遠くに続いていく」で終わる物語を書いて欲しいです。】というお題から。
飛行機が好きです。機械じみたものが苦手な時もありましたが、こう、わくわくしますね。車とか。タイトルは有名な合唱曲を思い起こすものにしました。あれは夢を見続けて終わりますが、その先があったのならきっとこういった絶望だと思うのです。空を飛びたいねだなんて虫の良いことを歌っていても、結局私達には翼はないわけで。そこから空を行く物体に気付いて別のアプローチ方法に思い至る、というお話にしました。幻想が叶わずとも幻想と同じ光景は見ることができる、それが今の世界ですね。万人を幸せにはしないものの望んだ人に望んだ希望を与えられる世界だと私は思っています。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei