短編集
24. 寝覚 (1/1)
涙が頬を伝ったので、途端私の微睡みはタアンと弾けて消えました。そうして目を閉じたまま、私は私に驚きました。ハテ、いつ私は涙などというものを流しましたでしょうか。眠りについた時のことは鮮明に覚えておりますけれども、何ということもなしに蒲団の中で仰向けになりまして、新月の夜のような目蓋の裏をジイと見つめまして、今日はああだった、明日はこうしなければ、などと考えながら眠りが訪れるのを待っていたように思われます。悲嘆するようなこともなく感涙するようなこともない、至って特筆することもない夜の終わりでございましたし、ましてや夢などというものも見ておりません。
ソオロと目を開けますと、僅かながら窓辺から差し込んでくる朝日が目蓋の間へと割り込んできて、縫い針のような指先で私の眼をつついてきます。痛いナアと思いましたけれども、目元を覆ったり擦ったりするようなことはいたしませんでした。してはいけないと、そう思ったからにございます。
私はご奉公の身分でして、このお屋敷には旦那様と奥様、そして私と同じ年頃のお嬢様がいらっしゃいます。お嬢様は気さくな方で、甘味を分けてくださったりご友人とのお話をお聞かせくださったりと、私のことをたいそう可愛がってくださるのでした。そのお嬢様が、私の蒲団のかたわらに膝をついてエンエンと泣いているのでございます。
お嬢様がお泣きになる理由はわかりません。けれども、おそらく「エエお嬢様、いかがなされましたか」とお尋ねするのはよろしくないのでしょう。私や他の使用人が寝静まった夜にこうしておいでになって、私を起こすことなく泣いていらっしゃるのですから。こうして私は眠ったふりを続けることにいたしました。サテ、私は嘘も言えば我が儘も言う恥知らずでございますから、これはお嬢様に気付いたからではなく、知らないふりが上手になるための私のお遊びにございましょう。
「おみつさん、おみつさん、ごめんなさいね、ごめんなさいね」
お嬢様がうわごとのように私の名をお呼びしているのを、私はピクリとも動かす聞いておりました。
「私、坂町の若旦那のことを好きになってしまったの。けれどあのお方は、おみつさんのことが気になるのですって。私、怖くて悲しくて、見栄っ張りで、若旦那に『エエ、それでは明日おみつさんを連れて来て差し上げましょう』と言ってしまったの。それで今更嫌になってしまって、あなたがいなくなれば良いのかしらと思って。でもね、ごめんなさいね、おみつさん。やっぱりあなたは私の大切なお友達なのよ。いなくなるだなんて私が一番嫌なのよ。でも明日はどうしましょう。夜が明けてしまう。ああ、夜など明けなければ良いのに」
そうしてお嬢様はまたエンエンと泣いてしまわれるのでした。
私は目蓋を閉じたまま、薄らと明るくなっていく目蓋の裏を見つめたまま、サテもう一度眠ってしまおうかと思いました。お嬢様にとっても私にとっても、それが良いのでしょう。もしかしたら今のこの状況こそが私の夢で、パタリと落ちてくる涙は雨漏りやもしれません。いずれ明日になればわかることにございます。
ズズウと暗がりが揺らめいて、お嬢様の泣き声が遠のいて、朝靄のような闇がヒョロリと私の目元を歩き回り始めます。エエ、それで良いのです。今しばらく、私は夜へと戻りましょう。そうして再び朝を迎えた時には、お嬢様に「今日は一日お屋敷のお掃除をさせていただきたく思いますので、お嬢様はゆるりと外でお寛ぎくださいませ」とお伝えいたしましょう。夜とは夢、夢とは遠くに続いていくもの。涙一つで覚めはすれど、大切なお方のためならば何度でも、私は目を閉じ、夢の中へと舞い戻るのでございます。
解説
2021年04月19日作成
寝覚
朝が来なければ、とあなたが願うのなら、私は夜を続けましょう。
ツイッター診断メーカー「あなたに書いて欲しい物語3」から【けいさんには「涙が頬を伝う」で始まり、「知らないふりが上手くなる」がどこかに入って、「夢は遠くに続いていく」で終わる物語を書いて欲しいです。】というお題から。
古書シリーズです(そういう呼び名になりました)。涙を見て見ぬふりをして、そうして夢の中に戻る…みたいな感じを想像してこういうふうになりました。古書シリーズを書くときはいかに古臭いにおいを出すかに苦心します。タアンと弾けて消えるまどろみとかね。現代っぽい言葉遣いを避けるのも気を付けます。パアンとかバサリとかは現代っぽいので変えますね。まぶたの裏の暗闇って現代っぽいし…暗闇とか涙を流すとか夜明けとかちょっとイマドキっぽい。もう少し言葉使いを勉強しなくちゃなあ。
あと、タイトルの「寝覚」は古典の「夜の寝覚」からお借り?お借りしています。大学の共通授業というか学科関係なく選択できる授業でやったのよね。文学の授業たくさん受けた。専門は理学系だったけど。古典は良いぞ…
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei