短編集
29.弔い (1/1)
「花」が咲いている。花弁は五つ、小ぶりだが一つの茎に一つのみが咲く。それが広々とした丘に群れ、「風」に揺れている。その「花」の名を狼は知らない。己の闇色の毛皮とは違う、「雪」に似た色合いであることしか知らない。
そこは空の開けた「野原」だった。少しばかり鼻先を上げれば、明るい「光」が目に入ってくる。それを「太陽」と呼ぶことは知っていた。今が「昼」という時間帯で、「時間」というものは「朝」と「昼」と「夜」とを巡り、それをひたすら繰り返すことを知っていた。狼は長らくこの地をさすらい、様々な知識を得ている。けれどこの「花」の名だけは知らずじまいだった。
この丘には「人間」がよく来る。「人間」というのは彼らの自称で、後ろ足二本で背を天へと伸ばし、前足二本を胴体の脇でぶらぶらとぶら下げながら歩く器用な生き物なのだった。そのためか彼らの前足の先――彼らはそれを「手」と呼ぶ――は細く分岐し、前足一つで様々な物を「掴む」ことができた。狼にはできないことだ。
先程も「人間」が何頭か来ていた。狼の毛皮よりも暗い、夜の森に馴染むような色の「服」を着て、彼らは時折この丘に来る。その「手」にはあの「花」があるのだった。どうやらこの丘は「人間」が持ち込んだ「花」の「種」によってこのような光景になったらしい。迷惑かと聞かれれば、さほどでもないのだった。そこに草木が芽吹くことに苛立つ生き物は少ない。我々はそこにある物の間を歩き、食べられる物を探して食べ、そして死んで朽ちる。後から来た何かへ敵意を表すとすれば、その対象は同族の同性だけだ。
「花」の茎を折らないように足を使いながら進み、狼は丘の中で唯一「花」のない広場へと辿り着く。そこには「人間」が立てたモノが刺さっていた。木の幹を「切り」、「削り」、「棒」状にしたそれを二つ交差させた何かだ。その意匠が何を意味するのか、狼は知らない。けれど「人間」はこれを見上げ、前足でその形をなぞり、鼻先を下げる。その行為が何なのかはわからなかったが、悪いものではないのだろうとは思う。
狼はその「棒」の前へと歩み寄る。口先には「紙」を咥えていた。この近くを歩いていた時に見つけたものだ。「紙」を使う生き物は「人間」しかいない。「人間」がこの森に用があるとすると、この「棒」しかない。
「紙」というものは薄く、そして大きい。折れやすく、折られれば折られるほど小さくなり、何重かに重なっていく。そして大抵が「花」と同じ色をしている。けれどこの「紙」は土の色をしていた。それに、既に折れているようだ。広げようと鼻先と前足で試してみたものの、「紙」は既に何重かに重なったままどうにもならなかった。一部から甘い匂いがしたから、脂で固まっているのかもしれない。死んだ動物の肉は白く濁った脂で硬くなることを狼は知っている。それにしても随分と古い匂いだけれど。
ともあれ肉でないのなら食べる気にもならない。どうせならと狼はこれを「棒」のところへ持ってきたのだった。
「紙」を「棒」の下へ置く。風に飛ばされそうだったので、置かれていた「花」の下へと潜り込ませた。
この「棒」が何なのか、この「花」が何なのか、この「紙」が何なのか、狼は知らない。けれど「人間」がこの場所を大切にしていることは知っていたし、いつだったか――狼がまだ若い頃だった――ここに「人間」がたくさん来て、「剣」を突き付け合う狩りをしていたのを知っている。縄張り争いだったらしい。あの後、この丘は「人間」の血肉の置き場となった。殺したのなら食べれば良いのに、「人間」は死んだ肉をそのままこの丘へと埋めた。迷惑かと聞かれれば、さほどでもない。我々はそこにある物の間を歩き、食べられる物を探して食べ、そして死んで朽ちる。それだけだ。
きっと、この丘には「人間」にとって大切な意味と理由があるのだろう。狼も、大切な宝物や貴重な食べ物は誰の目にも入らない木陰に穴を掘って埋める。彼らにとって「人間」の肉はそういうものなのだ。
「棒」の下で腰を下ろす。「風」が吹く。「花」がざわめく。「紙」が音を立てる。目を閉じ、耳を伏せ、狼は静かに尾を揺らした。
解説
2021年05月16日作成
弔い
彼ら「人間」のように、狼も思いを馳せてみた。
ツイッター診断メーカー「世界を弔うモノ」から【あなたは狼の姿を模した世界を弔うモノ。花畑の下に眠っている終わりを迎えた世界のために忘れられた手紙を置いていく。それは献花の代わりと、その世界のために。】というお題から。
いつもと違う診断で。世界観好きですね…この方の作る診断はとても素敵で、「月光」の元にした診断と同じ方だと後で気付いたんですが、金銭がからむ創作に使うには事前に許可を取ってくれとのことでした。なので「月光」といい書籍化はしないかもしれない。
花の種類は特定していません。狼の種類も森の位置も何も特定していません。きっとこの世界のどこかにあるでしょう。「人間」達も狼も「花」も「手紙」も、この世界のどこかにあるのだと思います。
狼、といえば「クロニクル千古の闇」シリーズですね。翻訳本が図書館に入るようになった頃には既に原作が完結していたと思います。母がそんなことを言っていました。確か狼の子と一緒に成長した男の子が魂を動物達の中に入れることができて、その力を狙う輩と対立する…みたいな感じだったと思います。世界観が壮大すぎて幼い私には太古の森の様相が全く想像できなくて、かなり難しい本でしたね…三冊くらいしか読んでない。調べてみたら日本語訳も完結したみたいです。今の私は十二国記もしんどい想像力のなさなので、再挑戦するのはまだまだ先になりそうです。
switchゲームの「ロスト・エンバー」って作品も思い出します。こちらは狼として死者の魂と共に目的地を探す旅をするゲームです。鳥に魂を乗り移らせて空を飛んだり、ウォンバットに乗り移って穴の中に入ったり、もぐらに乗り移って穴を掘ったりもします。画面酔いするので全然進められていません。ぐぬぬ。世界観はとても素敵なので画面酔いしない方は是非。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei