短編集
1. HEARTLESS (6/9)
カールトンはそれ以上何も言わなかった。内村へと背を向け「もう用は済んだ。帰るぞ」と告げ、答えも聞かないままに歩き出す。内村もまた、それ以上何を訊くこともなかった。訊くにしても求めている答えが返ってくる気がしなかった。
二人揃って工場を出る。行きと同じくタクシーに乗り、山奥の洋館へと向かう。ただそれだけの時間のはずだった。後部座席で二人並んで座って、けれど何一つ会話もないまま、沈黙という同乗者と共に洋館へ辿り着く予定だった。
――突然車体が大きく揺れるまでは、そう思って疑わなかった。
まるで船が波に煽られたかのように、左右に大きく車体が揺れる。ぐわりと傾いだそれに逆らえるわけもなく、内村は豪快にガラスへ頭をぶつけた。
「な、何だってんだよ!」
「伏せろ」
冷静にカールトンが告げる。彼は既に上体をかがめて頭を抱えていた。
「外に姿を晒すな。撃たれるぞ」
「撃っ……」
どういう意味かと訊ねる必要もなかった。回答は外から与えられたからだ。
ガラスが割れる音、破片が抱え込んだ頭上にばら撒かれる予感。銃弾だ。銃弾が、窓ガラスを撃ち抜いて砕いている。
銃撃を、受けている。
「ここは戦場かよ!」
兵器による戦いはとうの昔に終結している。今は情報戦、経済力による殴り合いの時代だ。
「排斥派か?」
「ああ。生活困窮者も混じっているがな」
大したことのないとばかりにカールトンは答えた。先程の子供じみた声も握り締めた拳も、そこにはない。大人と見紛うほど冷静沈着な天才美少年がいるだけだ。
「hIEは闇ルートで売ればかなりの金になる。両者が協力することは珍しくない」
「けど俺達はhIEじゃねえよ!」
「彼らの狙いはhIEだけではない。人間の臓器、埋め込み機器、金になるものは何でもある」
「それを平然と言うなよ!」
内村の体内には埋め込み機器など入っていない。あるとしたら人間の標準装備である内臓一式程度なもの、しかし臓器売買はhIE部品売買よりもレートが低い。いつか使えなくなる臓器よりもメンテナンス次第で使い続けられる人工臓器の方が人気が高い上、hIE部品は管理の厳重さから入手がほぼ不可能だからだ。
つまり、今の内村の体は何の価値もない。が、それを襲撃犯が知るはずもない。捕まったら丁寧に捌かれること間違いなしではないか。
「待って待ってタンマ! こんな最後ってないよ! け、警察! 警察に通報!」
「佐渡に警察署はない」
「そうだよね住民いないもんね! 工場の危機管理は工場保有会社の責務だしね! 呆れた顔で睨むなよ!」
そんなことわかっていた。が、人間は危機に面すると思考機能が低下するものだ。馬鹿だなコイツみたいな顔をされても困る。両目が隠されているというのに目つきまでわかってしまうのはなぜだろうか。
「焦るな」
平然とカールトンはため息をついた。
「この程度、奴一人で十分だ」
奴。
その短い単語が示すものがわからないまま、内村は銃撃が止んでいたことに気が付いた。外で数人が呻き声を上げている。アクション映画で雑魚敵が次々と叩きのめされているかのような、苦しげで突発的な声が連続していた。
ガチャ、とカールトン側の車のドアが開く。カールトンが開けたわけではない。外から開けられたのだ。
「代わりのタクシーを一台呼びました」
ドアを開けた張本人は、長い茶髪をさらりと靡かせながら話しかけてきた。無論、その顔は無表情だ。
「到着まであと五秒です」
「なら五秒で全員叩きのめせ」
「了解いたしました」
カールトンの突拍子もない命令に、アイリスは当然の如く頷いた。そしてカールトンが車から降りる様子を見守ることなく、どこかへと歩き出す。内村が慌てて車から降りた時には、その姿は既に宙に浮いていた。
宙に。
跳び上がったアイリスの足が薙ぎ、襲撃者であろう武装者の横面を蹴り飛ばす。成人男性の体が地面と水平に吹っ飛ぶ。それが砂埃を上げて着地するより先に、アイリスの体は隣にいた男の銃器の銃身へ乗っていた。標的が武器の上に乗っているという事態に、男は硬直する。けれど他の武装者が己の銃器の照準をアイリスへと固定し撃った。連続し重なるいくつもの銃声、しかしそのことごとくが空を切っていく。くるりとアイリスが銃身の上で銃弾を躱したからだ。
それは踊りのようだった。舞いと呼んでも遜色ないものだった。
華奢な体が一回転する。白いワンピースがふわりと裾を広げる。その裾の下から――細い女性的な足が、旋回する。
アイリスは銃身から降りつつそれを蹴り上げて男の手から離し、宙返り、着地と同時に旋回、男のみぞおちを蹴り飛ばしていた。舞いのように見える、瞬間的な戦闘を彼女は行っていた。それは人の目で追える速さではない。向けられた銃のうちの一つを引っ掴み、捥ぐように奪い取ってつま先を軸に一回転、銃身で武装者の顎を殴る。武装者は後方へ転倒、脳震盪で不動となった。つま先のみで跳ね、アイリスは次の標的の眼前へと降り立つ。白い足が敵の手元を蹴り上げ、銃器を宙へと投げ飛ばす。手の中が空になったことに気付かないまま引き金を引こうとするその焦った横面へ銃身が叩き込まれ、人の顔とは思えないほどに歪み、それでも足りずに弧を描きながら側方へと飛翔する。重いものが地面に落ちるドサリという音が連続して聞こえてくる。
アイリスが眼前に来たことに気付き対処する前に、襲撃者達は地に叩きつけられていた。圧倒的な武力、戦闘力がそこにある。それでいて猛々しさではなく優雅さを保つ少女が、そこにいる。
舞姫。
戦場に君臨し銃器に勝る戦闘人形。
蹴りも殴りも一瞬だった。そのせいで残像ばかりが目に残り、彼女が縦横無尽にくるくると舞っているようにしか見えない。
タクシーが一台内村達の横へと止まった。すぐ近くの異常事態に気付いていないかのように、間抜けた緩やかさでドアがパカリと開く。
「……何だ、こりゃ」
そう呟くしかできなかった。
アイリスの舞いは終わっていた。タクシーが来るまでの五秒間のみの、特別公演だったからだ。彼女が佇む道路上には、呻き声しか上げられないでいる武装者達が銃器と共に転がっている。立っている人間は一人もいない。総勢十名ほどだろうか。
「……撃退完了しました」
簡素な声が報告してくる。少し穴の開いた服をひらめかせながら、アイリスが戦場のただ中でこちらへと振り向く。薄桃色の虹彩が過多電力を得てネオンのように輝いている。
「これでよろしいですか、オーナー」
「ああ。野蛮で吐き気がする」
毒を孕んだ声音で言い、しかしカールトンは満足げに高慢な笑みを浮かべてアイリスを見遣った。悪役そのもののような顔だった。目の前の憎いものがどうしようもなく憎くて、そしてその憎いものが哀れな状態になっていることを歓喜しているような、そういった表情だった。
「それができるあんたは最低最悪の不要品だ。――それと」
ふと、その表情に別の感情が混じる。
回顧、郷愁――拒絶。
「僕をオーナーと呼ぶな」
カールトンの言葉にアイリスが無表情を変えることはなかった。ただ、動力源を失ったおもちゃの人形よろしく目を伏せて頭を軽く垂れる。従順な騎士を思わせるその動きに、カールトンは鼻で軽く笑った。そしてドアを開けたまま待ち続けていたタクシーへと乗り込む。
「内村、早く乗れ。あいつらはもっといるんだ、のろのろしているとまた襲われるぞ」
「……あ、ああ」
言われるがままタクシーに乗り込む。ちらと見遣った先で、戦闘を終えたhIEが主人の出発を見送るように律儀に頭を下げていた。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei