短編集
1. HEARTLESS (7/9)
内村達が洋館に着いた頃には、既にアイリスが玄関先に控えていた。あの場には内村達が乗ったタクシー以外に乗り物はなかったように記憶している。hIEが宙を飛べるとは聞いたことがない。
「直線距離なら大した距離じゃない」
手洗いから戻ってきた内村の問いに、カールトンは素っ気なく答えた。洋館に到着次第、包帯は外され片目のみ眼帯で覆われている。
「これの身体能力は並みではない、見てわかっただろう?」
カチャ、と筒状のスプレー缶のキャップを外し、カールトンは内村へ視線を向けることなく続けた。まあ、と内村は眼前に直立しているhIEを見遣る。穴だらけの服を着たままの彼女は、やはり無表情のまま部屋の中で立ち竦んでいた。
「でも重量的に問題はなかったんだし、一緒に乗って帰ってきても」
「hIEと同乗なんて絶対に嫌だ」
「……さいですか」
予想通りというか何というか。けれど、と内村はカールトンの手に握られたスプレー缶から噴出される霧状の物質を、それがアイリスの穴の開いた肌を埋め尽くしていく様子を眺めた。肌スプレー――要はhIE用の塗料だ。カールトンの手にある缶から霧が撒かれ、内部構造の露出部が肌色に隠されていく。
「……そう言うわりにアイリスの修理はするんだな」
「錆びの方が厄介なんだ、部品そのものを交換しないといけない。その手間を考えるとこまめなメンテナンスの方がまだましだ」
それはhIE嫌いの人間が言う言葉だろうか、という問いの形をした感想は言わないことにした。代わりに「ほおん」と当たり障りも意味もない相槌を打ち、内村は部屋の中を見回す素振りで視線を背ける。何気ない仕草でポケットから端末を取り出して操作をしつつ、口を開く。
「……君さ、元々hIEそんなに嫌いじゃなかっただろ」
「唐突にわかりきったような口を叩くな。不快だ」
「君がいつまで経っても話してくれないからね、取材期間も残り少ないし、このままじゃろくな記事書けないし、最終手段ってわけ。――お姉さんの死後、君はメディアに取り上げられなくなった。研究そのものをしなくなったからだ。そして日本の製造会社への出向を理由にここへ来た……逃げてきたんじゃないの? 故郷から、お姉さんがいないという喪失感から」
「突っ込んだ話をすれば僕が話をすると思ったのか?」
「君の写真を見たことがある」
スプレーをかけていたカールトンの手が止まる。それを横目に、内村は続けた。
「君達を取材した二年前の米国の記事だ。試作品のhIEと――お姉さんも一緒に映ってた。君は取材にこう答えていたっけ。『姉が喜んでくれるんです。僕のことを大切にしてくれる姉のために、僕は姉の幸せを支えられるような物を作りたいんです』」
「姉のためにやっていたようなものだ」
素っ気なく、しかし内村の意図に応えるようにカールトンは呟いた。スプレー缶をアイリスに手渡し、内村へと向き直る。
そこにあったのは癇癪持ちの子供のような泣き顔ではない。
真実を知っている、大人の男の凛々しい顔だ。
「僕にとって姉は唯一僕を見てくれた人だった。両親も周囲も僕を天才だと褒めるばかりだったけれど、姉だけが僕を叱ってくれた。姉さんには感謝していたんだ、だからいつか姉さんの望む幸せが姉さんに訪れれば良いと……良い人に出会って結婚して、そうでなくても毎日幸せそうに笑ってくれたのなら、そう思っていた。けれど姉さんが愛したのは人間じゃなかった」
「hIEか」
「うちに試験導入された感情表現式自律型hIEの試作機だった。感情すらも算出して生じさせ表現する、より人に近いhIE、それの試験体。去年のリスボン会議でAIへの感情代替システムプランが否定されたが、その前の話だ。会議によって両親の会社は開発方針の変更を余儀なくされたわけだが……姉がそのhIEの廃棄を拒んだ。それどころかそのhIEを愛していると告白した」
hIEに恋することは珍しくない。形に関わらず物体に恋愛感情を抱く人間は昔から一部存在する。決して珍しくはない。けれどそれは、対象が人間ではないと認識した上での恋だったのならば問題ないという話だ。
「姉さんは両親と僕に訴えてきた。この人は確かに人間だ、心がある、私はこの人を愛したのだ、と。両親はもちろん反対した。元々hIEを道具として売り出そうとしていたんだ、それに妄信する事態が実現し得ると公表すると業界全体の損害になる。それが開発者の娘によって立証されたとなれば会社の存続すら危うい」
「それで」
端末の棒グラフをせわしない動きを眺めながら、内村は先を促した。カールトンは黙り込み、しかし今更後に引けないと思ってか大きくため息をついてソファへと歩み寄り、座った。
「……姉は失望し、さらにそのhIEに縋るようになった。僕じゃなくて、オーナーに従順な機械に頼るようになった」
「君は反対したのか」
「反対も賛成もしなかった。……できなかった」
内村がカールトンの向かいのソファに座る。二人は初めて顔を合わせた時のように向かい合っていた。カールトンの背後ではアイリスも同様に佇んでいる。唯一違うのは、カールトンがふんぞり返るではなく背を丸めて、胸元の赤いブローチを触っていることだろうか。
「……姉さんは幸せそうだった。僕が望んだ姉さんがそこにいた。けれど、両親の言い分も十分に理解していた。……後々回収されたhIEのログから、当時の会話が再現できた。失踪前、姉さんはhIEに『どうすれば良いか』と訊ねていた。そしてhIEは『リスクが高すぎるので諦めると良い』と答えた。hIEも両親の言い分が正しいことを算出したんだ。hIEには心はない。心があるように見えるだけだ。その点を理解していない姉さんの方が間違っている。hIEはそう答えた。当時の試験体にはまだ”言葉を濁す”といった高度なコミュニケーション能力は搭載されていなかった」
「それで、お姉さんは……」
「hIEを連れて失踪した。後日、山の中で死体が発見された。hIEの腕だけが姉さんの腕に赤い糸で結びつけられ、機体は密売されていた。姉さんは服を一切身に着けておらず、生体反応のない姦通の痕跡があったらしい」
「それは……その」
「酷い最期だった。人間に擬態し偽物の感情をそれらしく表現するhIEのせいだ。姉に道具以上の好意を抱かせたアナログハックのせいだ。だから僕はhIEが嫌いなんだ」
その手が己の目元に触れる。眼帯で隠されている方の目だ。
「アナログハックは視覚を介して多く行われる。だから見たくなかった。気付けば眼球を抉り出していた。何度か手術をさせられたけど、そのたびに抉り出した。毎度両目を抉る前に止められてしまったけれど、両親が僕に手術を受けさせることはなくなった。代わりに見聞の悪さのせいか僕を日本へと飛ばした」
嫌いなんだ、とカールトンは呟いた。それは唸るようなものではなく、子守歌のように穏やかで静かだった。
「嫌いなんだ、hIEが。機械然としていない物体が、それを人間だと勘違いしたまま死んだ姉が、その死を利用して事態を隠した両親が、何もできなかった僕が、全てが」
その後ろでアイリスは静かに立っている。その表情が無であることに、今ほど感謝したことはない。
カールトンは静かに立ち上がり、部屋を出て行った。誰も何も言わなかった。
部屋は静まり返る。身動き一つも許されないような、重苦しい沈黙。しかし突然、アイリスが前触れもなく頭を下げてきたことでその重々しさは払拭された。
「お部屋へご案内いたします。本日のご夕食はお部屋にてごゆっくりとお楽しみください」
その声にも顔にも微笑みがある。カールトンが去ったからだろう。心なしか空気に柔らかさが戻ってくる。その表情を、全身を、内村はじっと眺め見た。
「……君さ、ただのhIEじゃねえよな」
「はい?」
アイリスは不思議そうに首を傾げるだけだった。
「さっきの戦い。普通の家庭用hIEは戦闘機能を搭載されていない。蹴るも殴るもできねえようになってる。人間相手ならなおさらだ。それができるのは軍用機だけ、今のところな」
「……私が軍用機だと?」
「カールトンより前にオーナーがいなかったってのは嘘だな。カールトンにそう言えって言われてんだろ。――ハザード以降世界は超高度AIの開発を隠匿するようになった。今現在発表されている世界の超高度AI稼働数は正しくないんじゃないかって話は昔からある」
端末をテーブルの上に置き、内村は煙草を取り出した。一本咥え、火をつける。煙が立つ。
「ハザード以降AI開発関係企業の株も大暴落した。開発途中の超高度AIをこっそり廃棄した会社もあるって噂だ」
「……それが何か?」
「君は超高度AIの成り損ないなんじゃねえかってのが俺の推理だよ、アイリス」
アイリスは困ったような顔をしていた。心底困っているという顔だった。ふう、と口の端から煙を吐き出しながら内村はソファへと寄り掛かる。
「超高度AI搭載型軍用hIE……人間の形をした人間以上の思考を可能にする物。開発が成功してりゃ世界を大きく変えてただろうな。技術者であるカールトンが君を見つけてすぐにそれに気付かないわけがない」
「……内村様」
「となるとここで気になるのは、カールトンがそんな君を壊すではなく修理して、軍用機でも超高度AIでもない陳腐な使い方をしている理由だけど……もしかしてわざと? 君をhIEじゃなくて無駄な道具として生かすための、奴なりの」
「内村様」
目を伏せて、アイリスは内村を呼んだ。それ以上は言わないでくれと言わんばかりだった。それを平然と見、けれど内村はさらに何かを言おうとし――瞬間、爆発音に似た衝撃が洋館全体を大きく揺らす。
「何だ……!」
天井から釣り下がった照明が天井にぶつかるほど大きく揺れ、やがてブツリと明かりを消す。停電だ。車を狙撃されたのと似た感覚。緊張感が背筋を凍らせ全身を強張らせる。ぽろりと煙草が口から落ちる。
「オーナー!」
アイリスが窓へと駆け寄り、それを開け放って外へと身を乗り出す。煙が上がっていた。黒い煙だ。それが、洋館の一部、階上の部屋から上がっている。
「オーナーの部屋です! 爆撃されました!」
「直接攻撃してきやがったのか……!」
「使用武器からして強硬排斥派です」
けれど、とアイリスが苦痛に顔を歪ませる。
「どうして……前例がありません。オーナーを狙ってもhIE排斥には繋がりません。金銭目的にしてはリスクが高すぎます」
「とにかく行くぞ! あいつの無事を確かめて、ここから逃げねえと!」
廊下へと駆け出そうとした内村はしかし、後ろから気配が追いかけてこないことに気付いて振り向いた。
アイリスの姿がない。まさか、と引き返して開け放たれたままの窓から上階を見上げる。
――煙の発生場所へと真っ直ぐに壁を駆け上がる人影。
アイリスだ。
「んな無茶苦茶な」
呆れかけ、しかしブンブンと内村は首を振る。難しいことは後で考えるべきだ。まずは上の階へと行かないといけない。否、その前に警察へ通報だ。そして事態を把握し記録しなければ。記者としての本能が疼く。
足音の鳴らない廊下を、内村は駆け出した。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei